87:そうきたかぁ
「そう、ですか……お父様は、やはり……」
「都を……いえ、城からも脱出をなされたという話は何一つ……」
ミエスクの城のプライベートルーム。私と我が弟妹。そして限られた侍従以外には身内同然の賓客しか通さない一室。そこで私からの報せを聞いたフェリシア女皇は悲しみに顔を伏せる。
聞かせるのに気の重くなる話というのがこれ、彼女らの父皇の安否に関するそれだ。
「影の刃」ら情報部を動かし、皇都復興の傍らに情報収集を進めてはいる。しかし集まる情報は希望の戸を開くどころか、絶望というタールを塗り重ねるようなものばかり。
曰く、皇都を射程圏に入れたメタルのデカブツが真っ先に撃ったのが城であった。曰く、攻撃から逃げ惑う生き残りを埋立てにするように都は爆炎と瓦礫とで土石流の渦さながらであった。等々。
本当に残りわずかな、初撃から何もかもを捨てて、どうにか逃げ延びていた影の刃の一員から聞けたのがそんな惨劇の一幕の様子だけ。
逃げ延び変装した皇とその護衛ではないか、なんて希望を持たせるような噂話はことごとくがそれらしい御一行が鉄巨人に皆殺しにあっていた。しかも別人の逃亡貴族様だったというオチに繋がる始末。
また瓦礫の撤去は順調に進んではいるが、御遺体も見つかってはいない。
「陛下……きっと父君は生き延びていらっしゃいます。レイア様が見つけられていないのですから、それほど巧みに潜んでいらっしゃるのです。他ならぬ陛下が信じて差し上げなくては……」
「……ええ、ええ、ありがとうミント……」
ミントの励ましと慰めの言葉にフェリシア陛下は瞳を潤ませて感謝を返す。
しかし二人には悪いが、未だに見つけられていないのは跡形も失くなってしまっているからだと見るべきだろう。
エステリオ……アステルマエロルが自分を流刑に処した皇を生かしておくとは思えない。
たしかに、ヤツはかつての世で下克上を繰り返しては成功させた事例を持っていない。だがそれは、簒奪を仕掛けられた側が単純に強かったためでもある。
現実には絶望的である事。それはフェリシア陛下も本心では分かっているのだろう。この先スメラヴィアの皇家は自分が継いで繋ぐしかないということに。
しかし、こんな事態にはするつもりはなかったのだがな。
もっとじっくりと、先皇陛下から信任を頂いて私が実務を取り仕切り、正式に王冠を受け取ったフェリシア陛下を後ろ楯に実権を掌握。支配地を広げていく、というのが私の当初の計画であったのだ。
時をかける事で、機体を置いて人としての身が朽ちていく可能性もあるが、それは機体との完全な融合で解決出来るだろう。
だから私も数十年の時間制限下で星を完全征服するような急ぎ足の計画は立てていなかった。このように、フェリシア陛下に喪失の苦しみを与えるつもりもなかったのだ。
賢明愚昧織り混ぜた膨大な数の意思が絡む以上、どれだけ堅実に組み立てたつもりでも盤面が崩される事は世の常。それが道理だ。
分かってはいる、分かってはいるのだ。
だが思いがけぬ局面に転ばされた事で、見知った顔が、我が庇護下にあるものの心が曇らされるというのはどうにも……口惜しい。
「……お姉様。お父様については確認がとれるまではいずれお帰りになるものと私は信じます。それまではお伝えした通り、お姉様に重職をお任せしたく思っております」
目元の雫を払い、切り替えたフェリシア陛下は宣言と共に書状を差し出す。
それは彼女の言う通りの委任状。
私レイア・ミエスク煌冠を摂政の役職に置くというものだ。
皇家正統の印の押されたそれの内容は、このスメラヴィアにおいてこの上の無い権威を持つ。これが正式に発表されたのなら私は名実共にスメラヴィア女皇の補佐・代行ということになる。
「……謹んで拝命致します。が、本当によろしいのですね?」
「もちろんです。お姉様の存在あっての皇家正統の存続ですから。お姉様抜きにしては私を女皇と戴く事を不安に思う者ばかりでしょう。ですので、任命を行う式典では前置きとしてこちらも出しますので、こちらは預かるなり破り捨てるなりお姉様の御随意になさって下さい」
「これは……禅譲の承認状ッ!?」
にこやかに渡されたそれに私は思わずひっくり返りそうになった。
いやだって、これ完璧なんだぞ? 書式も整って不備無しの、正式に渡ってしまえば完全に皇位が私に譲られてしまうヤツ!
こんなとんでもないものを、式典の段取りと打ち合わせの段階とはいえ譲る相手に渡すものか。
仮に私が先々と背負うものの見えない阿呆だったとして、それがちょっと欲をかく。たったこれだけで段取りも何もかもをすっ飛ばしに、この段階で全部奪い取れてしまうのだぞ!?
「何をッ!? 何をどうしてこんなものまでッ!?」
「だってお姉様に全部渡してしまった方が国は丸く治まる……少なくとも私がやるよりはずっと良い国になるのは確実なんですもの。女皇たる者、そこは冷静に見極めております。ですのでお姉様の良きように扱って下さいな」
「……なるほど。たしかにこれがあればより上手いアピールが出来はしますね」
いくら前人未到の活躍をして、し続けていたとして、国を預かるとなれば少なくない反発が起こる事は目に見えている。乗っ取りを企んでいるだのなんだのとな。
ましてや実態はどうあれ、私は肉体的には齢二十に満たぬ小娘だ。侮りやっかむ者は余計に増える事であろう。
そこで陛下が預けるならいっそ女皇の座ごと譲る。と言い出したのを固辞する事で忠義の臣としての面目は立つ。私が女皇になるくらいならば摂政になる程度は見逃そう、という気分になる者も出るかもしれん。
冷静さを取り戻して考えてみれば、たしかにこんな悪くは無い政治劇場はできる。しかしそれにしても、打ち合わせの段階でこんな正式な書類まで持ち出してくるとはな。
お姉様と呼び慕ってくれているのはありがたいが、ちょっと手放しに信用しすぎではあるまいか。私のような悪党に対して。
「まあお姉様は本当に女皇たる私のお姉様になられる事になりますので、別の方向で納得と敵意を集めてしまうことにはなりそうですけれども」
「そうですね。外戚が補佐するというやり方は古くからありますので、良くも悪くも前例となりますが……ところで、今なんと?」
「ええ。実績、活躍とは別の方向からも納得と敵意を集めてしまうことに……」
「わざとやってますね? その前です。私が本当に姉になる、とは?」
「なんだ聞こえてるじゃないですかお姉様。私フェリシア・プリムス・クロネン・スメラヴィアは弟君を、ハインリヒ様を夫に迎えるつもりなのです」
そ、そうきたかぁ。
にこやかに婿取り宣言をする女皇陛下に、私はなるほど、としか返事が出来なかった。
いや、悪い話ではない。むしろ良い話だろう。私としてはもろ手を上げて賛成だ。
二人はミエスクで過ごすようになる以前から、テオドールも加わっていた第一次エステリオの乱の頃からの付き合いだ。行動を共にする事も多く、互いに情が湧くというのも不思議な話ではない。
そんな相手が政略的に都合も良いとなれば、手放す理由もあるまい。政略から始まる婚姻が当たり前の王侯貴族としては稀有な例だ。陛下としてはこれを好機と捕まえにかかるしかないだろうな。
「それはめでたい話です。悲報凶報の連続が今度こそ終わると、皆が喜び言祝ぐことでしょう。もちろんこの私も」
「お姉様にも快く認めていただけて嬉しいです。でも聞いてくださいお姉様、ハインリヒ様ったら自分がオマケで、お姉様と義理の姉妹になれる事のが本命なんじゃないのかーなんて言うんですの。その絆も欲しいのは欲しいですけれども、それだけなら別の弟君たちの誰かでもいい、けれどもハインリヒ様が良いと言ったら照れてしまって……」
うむ。幸福であるのならそれで良い。良い事だがしかし、それを掴みとりに行く勢いと怒涛の惚気には私をして白旗を揚げざるをえないな。