71:魚籠から溢れるほどに
パサドーブル州都ミエスク。
そこからほどほどに離れた平野に旗が翻る。
細かいところは異なるものの馬の意匠を備えたその旗印は、スメラヴィアの名門貴族ミエスク家とその縁者の証。
そして一際大きい、雷嵐に女ケンタウロスの紋章旗の下に私、レイアは腰かけている。
まっすぐな銀の髪を結い、額には冠代わりになる儀礼用の黄金のサークレット。
百九十弱の恵体を包むのは、いつもの重装弓騎兵甲冑ではなく、大きく広がるドレスを精緻な彫金を施した金属で飾った鎧風のバトルドレス。
そして一方で腰にはいつもの太刀は佩いておらず、愛用の五人張も矢筒もない丸腰であるが。
そんなハリボテ姫騎士装備で着飾った私は、眼下に槍を立てて並ぶ兵らに向かって立ち上がる。
「我が催しによくぞ集まってくれたミエスクが誇る勇士達よ! 我が家に仕える身ながら反旗を掲げる者のいる中、我が命に素早く駆けつけてくれて感謝にたえぬ!」
私の放つ大音声に馬の旗が流れる。
その下に並ぶ将兵らは、さも忠臣でございとばかりに突風を帯びた謝辞を受けているが、現段階での本当の忠義者はこの中に果たしてどれほどいるのやら。
先日弟妹らと企てた作戦の通り、隙だらけに見える私を釣り餌として集めた兵らに過ぎぬからな。
「今回は演習ではあるが、是非ともその力を私の目に存分に見せつけて欲しい。一番槍や大将取りなど、良き戦働きを見せてくれた者には実戦さながらの褒美も用意してあるゆえ!」
この私の言葉に続いて私の傍らに積まれていた品がその包みを剥がされる。
日の下に露になったそれは煌びやかな宝剣や儀礼装。さらには黄金に輝く彫像に硬貨を溢れさせた宝箱などなど。
名馬や私の指示で生み出された保存食を詰めた箱の数々も添えたそれら褒美の山に、将兵らからどよめきが起こる。
「さあその力を見せてみよ! そして我が下にその人ありと呼ばれる武人としての一歩を踏み出すが良い!!」
こう開始宣言を締めくくった私は、鬨の声を上げて動き出した一門衆指揮下の将兵らを見下ろしながら当主用の豪華な椅子に腰かける。
「いやあ見事な演説でございましたな」
「しかりしかり。お若い美貌だけでなくその堂々たる振るまいには見惚れてしまいますな」
「さすがはスメラヴィアの戦乙女と名高いレイア嬢。このような御方を主君と仰げるとはいや頼もしいこと」
そんな私に次々とヨイショを浴びせてくるのは一門衆各家の当主たち。見物用に整えたこの場で私と共に演習を高みの見物と洒落込もうという者たちだ。
私の事は大方、自分の武名に驕って軽はずみに動く愚か者とでも思っているからそんな白々しい世辞を吐けるのだろう。死出の土産のつもりでな。
コイツらが警備の名目で配置した手勢。それで間違いなく私を討ち取れる確信を持てているのだ。思い上がりは果たしてどちらなのやら。
「さあさあ兵のすべてに行き渡るほどの大声を出したのです。波動の補助を用いたとしても喉が乾いた事でしょう。どうぞこちらを」
そんなヨイショ連中の一人が、給仕役に合図を出して私の目の前に果実水のグラスを持ってこさせる。
「……知らぬ顔だ。この場のもてなしを任せたメイレンの部下では無いな?」
「あ、ああ……それはそうでしょう。道中で困窮していた様子でいたのを見つけまして、聞けば出稼ぎに出た旅の途中と。それでここまで連れてきて、無理を言ってこの場の仕事に加えさせていただいたのです! 急で予定外の話でしたから!」
「……そうか。それは我が統治が充分に行き渡っていない何よりの証拠。我が手が確実に届かぬ内の一時しのぎにしかならぬが、私からも包ませよう」
私は言葉の通りに見知らぬ顔の給仕に金貨を握らせ、彼の出す果実水のグラスを一息に。
ふむ、この酸味と甘味。これにケンカを売るわずかな苦味……やはり毒か。
包囲も敷いている以上は遅効性の毒でくると予想していた。が、意外にもこれは即効性のものだ。まあ奴らは所詮出し抜き出し抜かれる間柄。そう考えれば仕掛け時を合わせるような連携など取るはずもないか。
「多くが重なりあった複雑な味の果実水であるな。なにかに活かせるかもしれん。どのような配合をしたのか是非とも教えてくれ」
「は? え? し、承知いたしましたぁ……」
水を勧めた一門衆とその傍らの給仕に笑顔でグラスを返してやれば、彼らは青ざめた顔でうなずくしかない。
まさか、なんでケロッとしているのだ、などと私に問い詰める訳にもいかんからな。
「ああそうそう。まさかとは思うが私が口を付けたものを、舐めようだなどと考えてくれるなよ?」
「ま、まさかそのような! そのような事をするはずもございません!」
毒の盛り忘れを確認しての犠牲者が出ては、間抜けが過ぎて笑えんからな。やめておくように釘を刺しておけば毒殺の仕掛人は青ざめた顔のままそそくさと私の前から逃げていく。
私はそれを見送って、給仕に扮して近づいてきたセーブルにこっそりと。
「……あれにマークを」
「主に仕掛けた段階ですでに」
彼の持ってきた串焼きを受け取り波動を確認してみればなるほど。離れていく気配を付かず離れずに追跡する知った波動を感じる。
直属の情報部の手早い動き。これには私も感心する他ない。優秀な者が育ち揃うというのは格別な満足感があるな。
まあ実際にはマークそのものはあらかじめつけていたのだろう。毒殺も用意したとして未遂で踏みとどまるのならともかく、喜び勇んで仕掛けて失敗した実行犯になってしまったのならな。
「もっと人手があったのなら実行犯が出る前に失敗させる事も出来ただろうに。手の回らぬままにさせていることが口惜しいな」
「この仕事、使えるレベルにまで育てるだけでも時間がかかるものです。加えて、手塩にかけたとて拾いモノすべてが十分に育つものでもありません。我らは今あるもので下知に応えるのみです」
人材育成、特に質を求める諜報分野での難しさを説き、持ち札でやれることをやるとフォローを。まったく泣ける忠誠心ではないか。
これほどの忠義者をこんなところで失ってはつまらん。
先走った毒殺の失敗を悟った者どもがにわかにざわつきはじめたからな。こちらも計画通りに動かねば。
メイレンの焼いてくれたのだろう串焼きを惜しみつつも手早く腹に。そうして手に残った串を投げる。
「その首もらい受け……ギャアッ!?」
それは真っ直ぐに私へ槍を向けて突っ込んできた勇猛果敢な反逆者の腕に突き刺さる。
「まったく堪え性の無いことだな。こんな見え見えの釣り餌にかかって仕掛けてきたのだから、機を見定める目などあるはずもないか」
「え、ええい! 怯むな! 多少武芸に秀でていようが所詮丸腰の女子供だ! 取り囲めい!! 押し潰せいッ!!」
「掠め取って分不相応に掴んだ物を我らで取り上げてやるのだッ!!」
一番槍が挫けたところで怯んだ兵に、声をぶつけて尻を叩く者ども。
それで私に槍を向けた兵は再び包囲を狭め始める。が、その歩みは恐れに縛られて遅々としたものだ。
そんな兵らにかかれかかれと急かす遠縁のに私は狙いをつける……のだがその瞬間、私が狙った男が横っ飛びに。
謀反人を殴り飛ばした光の玉を伴い、囲いを飛び越え現れたのは猿の尾を揺らす我が料理人メイレン。彼女はフレイルの先に相当するエネルギーボールを左手に、逆の手にみっちりとした堅焼きパンの薄切りに焼いた塩漬け肉と酢漬け野菜のサンドという軍糧食を握って私の傍らに。そして流れるように利き手の糧食を私に差し出してくる。
「串焼きのお味はいかがでした?」
「急いで飲み込むことになったが良い焼き加減に塩加減であった。このサンドも具材の組み合わせが良いな」
「ではゆっくりと味わえるようにコイツらを片づけるとしよう。正直、ウキウキはしないのだが……」
「楽しめる相手を私の他にはろくに用意できていないのはすまないな」
そう言って私は足元の石をシュート! 狙い違わず司令塔の頭にクリーンヒットしたその音を合図に、私達は怖じけた謀反人ども目掛けて踏み込むのであった。