69:その発想がないという奴だ
「姉上。この前に受け取った手紙、こんな内容だったんですけど」
パサドーブル城の城主一族用リビング。弟妹らに加えてフェリシア姫まで集まっての朝食の席で唐突にハインリヒが手紙を取り出す。
「あ、僕のところのも」
「私のもー」
それを見て、せっかくだからとばかりにフィリップをはじめとした残りの弟妹らも持っていた手紙を出しはじめる。
どしどしと渡されるこれに、私は燻製肉と合わせ焼いた卵につけかけていたフォークとナイフを離す。
「ああ。一門衆からの手紙たちだな」
受け取ったそれらは、先日わざわざ城を訪ねて本家当主を譲れと求めてきたナイジェル・ミエスク。それらとは別の分家、縁戚臣下らから、弟妹らに宛てた手紙たちであった。
内容については予想が出来ていたので、私は検める事なく宛先通りに渡してやった。
で、中を見たハインリヒが相談に見せてきた内容というのは案の定、裏切りの打診だ。
私を排して当主の座について欲しい。そのために自分達が支援する。というものだ。
フィリップらが宛先のものも似たり寄ったり。違うのは別の家がハインリヒを担ぎ上げようと動き出しているという密告が添えられているか否かくらいなモノだ。
「予想通りではあったが、まったくマヌケな……この程度でミエスク一族の親戚でございと支配者側の仕事をしてきたとはな……」
「まあ、雇い入れた使用人の中に彼らから推薦の者がいたわけですし、彼らの手で姉上の目を盗んで俺たちの誰かを誘うつもりだった、のでは?」
「それすら把握出来ていないあたりが間抜けではないか。間者のつもりにした者たちの嘘の報告を信じ、間者をやらせるために握った弱みが消えている事も気づいていないようであるしな」
私基準で整えた労働環境。これが本物であると理解したのなら、送り込まれた面々はあっさりと命じられていた内容を明かしてくれた。それでも寝返らなかったのは、躊躇う憂いを取り除いてやればもうこっちのもの。
これは抱えている情報部の質とやる気の違いが大きい。
特務兵としての給料に加え、世間的にはともかく、密かにその名誉と権利を守る待遇で雇い入れている「影の刃」たち。
二束三文で雇われる非国民扱いの集団相手では、ハングリー精神以外に劣る部分は無い。そして精神力というのは拮抗した競り合いの中で勝敗を分けるものであり、それだけではどうしようも無い。
餓狼は食らい生きるために懸命になるだろう。が、痩せ衰えた身で絞り出せるのはその細い体に残した分だけ。
そして実際の彼らは狼ではない。
三大欲求の枠を超える複雑な欲を備え、我が子以外にも知恵を伝え残し、訓練によって高みを目指して鍛える事の出来る人間なのだ。
野生でなく文明という環境下にあるのならばどちらが優秀に、高いモチベーションを保ち続けられるかはいわずもがなというものだ。
「それはもちろんですが、そもそもが姉弟間で……それも母違いの関係で、こうまであけすけに自分に届いた陰謀の誘いを明らかにするような関係性を想像もしていないというのが大きいと思うんですが」
「いやそうは言いますが殿下。俺たちレイア姉上には正直恩しか無いですし、なあ?」
「そうそう。毒草にやられて腫れた手で野草集めしなくて良くなったし」
「朝は早いままだけど、寒い中井戸の水汲みに蹴り出されたりもしないし」
「ちんぷんかんぷんな勉強させられるけど、遊んでいい日もあるしね」
口々にこれまでに比べれば極楽の暮らしだと口にする弟妹たち。
辺境庶民の暮らしぶりを語るその内容にフェリシア殿下は目元を抑える。
私としては、幹部級人材育成の試金石にする。そのつもりで探して広い集めてきただけなのだがな。
それだけでも、やんごとない血筋の御落胤なだけの庶民としての暮らしから生活のグレードをおおいに引き上げた事には違いないが。
その事実を恩に着て、好意と信用に繋がっているのなら好都合ではあるがな。
「確かに殿下の仰る通り、我々は貴族の兄弟姉妹としてはそもそもの成り立ちから型破りですからね。本家を出し抜き乗っ取る事を考えているような者どもにとっては、まさに予想だにしない結びつきであるわけでしょう」
「え、ええ……私とエステリオにも……周囲の派閥関係もありましたが、お姉様たちのような信頼関係はありませんでした。私自身に皇位に着くつもりはありませんでしたが、それでも私を女皇にと後押しする方々からの誘いを彼に明かすような事はとても……」
「どうしてですか?」
「……明かしに行けば、私と反エステリオ派閥の者達をもろともに始末するだろう。それが目に見えていたからですわ。彼に限らず、珍しい話でもありませんけれど」
それはそうだろう。アレはそういう動きをするヤツだ。
もっともフェリシア殿下の仰る通り、骨肉の争いの尽きぬ王侯貴族の正統継承に付いて回る話としてはありふれたモノ。
殿下本人に手を掛けるまではやるやらないは分かれるにしても、将来的な反抗勢力を削ぐくらいは当たり前だ。場合によっては外患さえ招きかねない内憂など残しておきたいはずもない。姫殿下の警戒心も持っていて当然のモノと言っていい。
貴族の兄弟姉妹、親類とは味方であると同時に潜在的な敵でもあるのだからな。
にも関わらず、私と異母弟妹らの間に敵対心や警戒心が見えないのは、単純に力関係の問題だ。
本気を出せば文字通りの万夫不当。要塞さえ砂上の楼閣のように蹴り飛ばす私を相手に逆らおうと考えるのは、よほどの身の程知らずくらいのものだろう。
何より年長のハインリヒやフィリップですら私の一つ下程度。その下はまだまだ幼い。野心を抱いても可愛いものよ。
だから姫殿下がそんな羨望の目を向けるような、純粋なモノでは無いのだがな……まあそれはいい。好きに勘違いしていてくれ。
「ともかく分家縁戚の者どもの内、私に翻意を抱いている者の一部がこれで明らかになったわけだ。関を封鎖した謀反者どもの犠牲を無駄にするこの馬鹿者どもに対して動かねばな」
ナイジェルか、あるいは別の一門衆に唆されての行動なのかもしれん。が、謀反のために動いても良いとする程度には、私の事を侮っている事は間違いない。縁戚で包囲してしまえばその連合でパサドーブルの主導権を握れる、程度には軽く見ているのだろうな。
まだまだ分からせ足りないようで嘆かわしい。
「具体的には? 武装蜂起したテオドール派残党対策で軍は手一杯ですよ?」
「そのテオドール派への支援もこっそりやってるんじゃないか? それで次は本家の切り崩しにってところだろ?」
「そうだな。その可能性はおおいにある。そして軍も動かせないし、動かす必要も無い」
「たしかに、表立って謀反者に手を貸してる証拠も無いですし、現状縁戚連中の翻意の証拠も俺たちへの手紙くらい。分家縁戚相手に軍を動かすのは無理ですけど、必要もないとは?」
「まさか姉上、またお一人で鉄巨人になって踏み潰しに行くなんて言い出しませんよね? 生身なら良いって話でもないですからね?」
この推測に弟妹の年少組と姫殿下は「お姉様のドデカい鉄巨人」と目を輝かせる。
その一方、給仕役に控えていたミントも含めた実務経験持ち達からは警戒混じりの視線が。
「それが一番手っ取り早くはあるがな。そんなことはせんよ。やる必要もない」
そのつもりは無かったぞ。そう告げても疑いの眼差しはまるで緩まない。
まさにこれまでの積み重ねが物を言うというわけか。まあ仕方あるまいな。
「本当に私が出撃するまでもないのだ。同じことをこちらもし返してやれば良いだけのことなのだからな」
こうして別プランを告げた事で、単身出撃を疑う目はようやく一応の収まりを見せたのであった。