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68:呆れて閉口することも私は許されぬか

 ナイジェル・パスクーム・ミエスク。

 ミエスクの名を掲げたいわゆる一門衆に当たる。

 が、トニトゥル氏を名乗る事は許されていない程度には遠い、古くに別れ独立した分家筋の男である。

 父テオドールとは同年代。妻子もある壮年までは同じだが、痩身のテオドールとは違って恰幅の良い男だ。

 本家に挨拶にくる都度、私に値踏みするような眼を向けていたのを覚えている。

 彼の継いだ分家パスクーム・ミエスク家は、元はパサドーブルの馬産と育成という事業の柱を本家から任されていた家であったな。

 と言っても、今や多くの牧場村を領してはいるものの実態としては問題解決は各村任せ。そうして責任を押しつけた上で、税を転がすありきたりな小悪党貴族だ。

 そんな横幅ばかりデカい小悪党は、フィリップを伴った私の入室を受けるなり、吹かしていた葉巻を置いてゆったりとソファから立ち上がる。


「おおレイア嬢。お忙しいところに押し掛けてしまったようですまなかったな」


「パスクーム・ミエスク殿。代替わりしたばかりとはいえ正統なるミエスク本家当主に対して何という口を!」


「んん? これは失礼をした。何せこんな小さな頃から見守ってきたのでね。私にとってはまさに娘同然、それ故の気安さ故だ。許されよレイア煌冠」


 フィリップの言葉に対し、広がった己の腰あたりに手をやりながら言い放つナイジェル。そのにやけ面は、口にした謝意があからさまに形だけのモノだと主張している。

 なるほど、私の煌冠家継承を認める気は持っていない。そう言いたいわけだな。

 そう相手の考えを読み解く私に、ナイジェルは顔から爪先、そして折り返してまた顔までにじっとりと視線を這わせる。


「いやはやそれにしても大きく、本当に大きくなられた。武名で鳴らした偉丈夫のような背丈と、それに反してよくよく実ったモノが……」


 そしてまた私の胸元や腰つきに注目し、よだれを溢れさせそうな口ぶりで空を弄ぶ手つきを。

 こんなあからさまで、よくもまあ形だけでも貴族が務まるモノだ。そんな呆れを抑えつつ嗜めようと口を開きかけたところで、フィリップが先回りに。


「貴方は! 姉上に対して何を!? それがいくら遠戚で旧知とはいえ、目上に対する態度ですかッ!?」


 堪えられぬとばかりにフィリップの放った非難に、ナイジェルは横に広がった顔を不快げに歪めてドッカと音を立ててソファに腰を落とす。


「そう言うお前は何だ? ワシが知る限りテオドールの、本家の子はレイア嬢だけだぞ? お前もどこぞで拾われてきた小姓か? レイア嬢、拾うのは構わんがそれならそれでキチンと躾をせねば恥をかくぞ?」


 フィリップを軽くあしらい、置いておいた葉巻を咥えて私に小言を。

 これにフィリップは怒りを溢れさせた勢いのままに言い返そうとする。が、深く息を吸い込んだところで私が手で制する。

 私が探し集めた腹違いの弟妹であるフィリップらはもとより、父が私を切り捨てての後継ぎと据えたハインリヒまでも無視したこの発言。つまり、現在私たちが動かしている煌冠家を継承者無しの空席と見なしているというわけだ。


「忠言はありがたく。ではナイジェル殿もお疲れでしょう。部屋は用意しておりますのでお休み下さい」


「むう? それは良い心がけであるが、ワシのどこを見て疲れておるだなどと……」


「皇室の紋が入った通達さえ見落とすほどに執務がままならぬ様子でしたので。やはり体が心についてこれていなくなっているようで。どうぞご自愛を」


 私の煌冠継承を認めていない事。それを重要極まる公文書の見落としとすり替え、その上での耄碌老人としての労り。このイヤミにフィリップは笑いを堪えて顔をそらし、対するナイジェルは不快感に眉を寄せる。


「他に無いようでしたら私たちはこれで。まだ予定が詰まっておりますゆえお相手出来ませんが、滞在の間はどうぞゆっくりとおくつろぎください」


 お前の戯言に付き合う暇はない。それをやわらかにした挨拶を告げて一礼。私たちは部屋を後にしようと。


「なんとそんなにも忙しかったのか、これは悪い事をした。そこまで育っていてもやはり若い娘には煌冠家の看板は重荷に過ぎるということか」


 退出しようとする私たちの動きを遮ったのはこの戯言である。

 お前は何を言っているのだ。

 そんな呆れと困惑の気持ちは異母弟も同じだったようで、訝しむような眼をナイジェルへ向けている。

 戸惑い固まった私たちの様子に図星を突いたと見たか、ナイジェルはソファにふんぞりかえって広い顔を笑みに歪める。


「それほどの重荷を若い娘に背負わせたままでいるのは遠戚として忍びない。ここは頼れる男に預けてみてはどうかね?」


「そんなのがどこにいると?」


 おっと思わず素で返してしまった。

 しかしナイジェルはまるで気にした様子もなく、むしろやれやれとばかりに悠々と首を横に振って見せてくる。


「それはもちろんこのワシだよ。同じミエスクの(よしみ)。若者にのし掛かる重圧は引き受けて見せようではないか」


 それはひょっとしてギャグで言っているのか?

 いや、この言ってやったとばかりのドヤ顔は本気だな。正しい実力も揃っていれば愛嬌にもなったかも知れん。が、何も備えていないナイジェルのでは身の程知らずの妄言にしか見えんぞ。

 フィリップの顔も見てみろ。意味不明過ぎる発言のあまり目が虚無を写しているぞ。

 しかし、ずいぶんと大きく出たな。私たちに代わって、自分こそがパサドーブルを治めるとは。

 統治らしい事は税の勘定以外は何もやらずにいるようなヤツだから、扱う額がでかくなるだけとしか考えられないのだろうな。

 そうして預かっているという名目で好き放題に手を回し、奪い取ろうという腹づもりであることは明らかだ。同類の俗物どもを抱き込む算段程度はすでにつけているのだろうが、その他の反発は必至。到底叶えられる野望とは思えんがな。

 いっそ任せて追い詰めるのも手か……とは一瞬考えたが無しだな。

 その間に苦労するのは私が育ててきた、そして育て始めた民と領土だ。私のモノをこんなヤツの好きにさせるなど許せるものではない。

 まあ急激に肥大化した組織から身軽になって、フットワークを活かして水面下での勢力拡大に勤しめるという利点も無くはないがな。


「御冗談を。今さらどのようなつもりで若者のためにだなどと。勢力を増す私を相手に無意味な妨害工作を仕掛けてきていたのを私が見抜けていないとでも?」


 私に自分の管理する村から馬を調達させないように。加えて取引先に圧力を加えてラックス方面に渡らないように工作していた事は証拠を持っている。

 もっとも、我が手に渡らぬようにとされていた軍馬らは私の元に来ていたがな。父の寄越した軍が逃がした分をいただくだけでなく、キチンと育てた牧場に代金も支払っての調達もな。

 普段から真面目に管理していれば、方便で隠してひっそりと売られる事もなかっただろうに。


「そ、それは……テオドールに、あの反逆者に命令されてやっていたのだ!! あの時に本家を支配していた彼に、分家に過ぎない私が逆らえる訳が無いだろう!?」


 それは本当にそうだろうな。名実共に上下のハッキリした本家分家で表立って逆らうのは確かに難しいだろう。

 だが無理ではない。

 本気で本家を乗っ取る野心と能力が備わっているのなら、私と本家の対立の間にただテオドールの手下として働くだけで終わるはずがない。

 双方の消耗のために何のアクションもしなかった段階で、このナイジェルに我が治世下での見どころは皆無だ。


「そうでしたか。では縛りつける者の手が無くなったということで、その老練なる手管を存分に活かせる、慣れ親しんだ土地から見せていただきたいものです」


 さっさと帰れ。

 飾らずに言えばそれだけの事を告げてドアを示せば、ナイジェルはその膨れた面を怒りで赤黒く染めるのであった。

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