64:いつまでも居付いてはおれないので
「レイアお姉様とハインリヒ様。二人と都で過ごす期間も後僅かだなんて……」
「姫殿下にそう言っていただけるのはありがたいですが、姉上にも煌冠として治めなくてはならない領地がありますから。やはり現地にいるのといないのとでは違いますし」
「あらハインリヒ様。ここはご姉弟と私だけの私的な席ですのよ。もっと砕けた調子で良よろしいのに。ほら、フェリシアと呼んでくださいませ」
「そんな……自分は元々はいきなり大貴族の息子なんだって拾われたもので……分かりました、分かりましたよフェリシア様」
「はい、良くできました。贅沢を言わせてもらえばもう一声欲しいですけれども」
「勘弁してくださいよフェリシア様。様づけならそちらも自分相手にしてるんですからお相子ですよ」
まったく愛い奴らよ。
淡い茶髪にイエロードレスのお姫様と濃い茶髪の我が異母弟とのやり取りを眺めつつ、私は焼き菓子を口へ。
サクッと軽い食感と香ばしさに続き、混ぜ込み焼かれたドライフルーツの風味と甘味が続く。ここにすかさず茶を含めば、菓子のそれとはまた違う風味が重なるのだ。
そうして気安い年下の二人の掛け合いと菓子を肴に茶を楽しんでいれば、姫殿下とハインリヒの双方が私に顔を向ける。
「領地にもお姉様の力が必要なのは重々承知しています。けれど都にとっても、お姉様は今や欠かすことの出来ない存在なのですのに」
「それはそうかもなんですけど、それを自分に言われても……これ以上姉上がメインで動いていてはって状況になっちゃったから、ですよね?」
現状は先に二人が言った通りだ。
破壊された皇都の復興は、壊されたついでの改善も含め、土台の部分はほぼ出来上がり。
後は図面と土台工事中に技術を身につけた工匠らの手。そして予算が揃っていれば時間の問題というところまで来ている。
このプライベート茶会に用意された城の一室も、壁は破れたままでこそあるが、それを逆に景観として使える程度には応急修理が出来ている。
まだまだそこまで。しかしもうここまでである。
再奪還の戦から復興まで、私の力によるところは大きい。自重をした上でなおあまりにも大きすぎる。
これ以上におんぶに抱っこでは、皇家の威信が私への威信に完全に取って変わってしまうほどに。
正直、怪しい流刑地に予定どおりに送られたエステリオの件もある。未だにスメラヴィアに燻る乱の機運に、中央に身をおいていた方が都合が良い面もある。
しかし私が授かったばかりのパサドーブルの地も、元は反逆者に加担し、私と敵対関係にあった父の領地。一度きっちりとシメて治めておかねば有事に私の足を引っ張りかねん。
それでせっかく育てた民と土地を台無しにされるのは業腹であるからな。
そこのところを語って聞かせれば、フェリシア姫は言われるまでも無いとばかりに繰り返しうなずく。
「ええ、ええ。分かっております。情勢も、理屈も……都で御座いと宣ったところで、ここが兄の……いえ反逆者エステリオの尖兵が飛び出しただけで踏み荒らされた都市で、案内どころでは無いということも!」
「うむ、口惜しいものであるよな……」
拳を固く握って語る姫殿下の勢いに、私もハインリヒも自然と首を縦に。
正直なところ、フェリシア殿下は私にとっては脅威足りえない。足りえないのであるが、こういう同意する他無い妙な圧を出してくる事がままある。政絡みで押し負ける事はさすがに無いがな。
「……これではもういっそのこと、お姉様の領地をスメラヴィア全体としてしまった方が丸く収まると思っております」
「フェリシア様それは……!?」
ハインリヒが慌てて遮る。が、それも当然。スメラヴィア皇家の現継承権第一位である殿下による私への丸投げ思想。それは実質の禅譲。その予告と取られてもおかしくは無い。
まだだ。まだ早い。
スメラヴィアはいずれ私が星に君臨する足掛かりではある。だがまだ時期尚早だ。遅いか早いかでしか無いが、それでもタイミングというものがある。今はまだ姫を誑かした奸雄としての反感が勝ってしまうぞ。
「いいえ言わせてもらいます! 身内から国を割る反逆者が出て、その鎮圧を内々で終わらせられなかった段階で、スメラヴィア家に国の柱に足る力が無いことは露呈しました。このまま私欲にまみれた名ばかり貴族が跋扈するくらいならば、いっそふさわしい力の持ち主に譲った方が民のためにも良いではありませんか」
それはそう。
姫殿下の万感の言葉は至極もっとも。民の暮らしを憂える者としてはあり得ない考えではない。もっとも、国を預かる一族としてはな……。
「殿下。陛下がそれを考えなかったとお思いですか?」
「いいえ。四氏のひとつトニトゥルであるレイアお姉様は、系譜を辿れば皇家に行き着く一族。皇家の娘の嫁ぎ先に選ばれる事もあり親戚同然。正式に御家を継いでもっとも勢いのあるお方として、誰よりも玉座を譲るに相応しい方と見たに違いありません」
「……殿下からの高い評価はありがたく思います。ですが、陛下が姫と同じように考えたとしても陛下はそれは出来ぬと、してはならぬと……いま玉座にある者として逃げてはならぬとお思いになったのだと私は考えます」
私が抑えた声で私見を告げたのなら、姫殿下はハッとその青い瞳を見開く。
どうにか己の発言が無責任に過ぎた事は理解してくれたようだ。
「も、申し訳ありませんお姉様……私、姫たる者がなんという事を……」
「民により良いのは何かと考える事。出来る者に頼る事。それらは素晴らしい資質です。現状が特殊であるがため、思考がとんでもないところへ飛んでしまうのも八方塞がりで考え抜いたからの事。取り返しがつかぬということはありません」
怒涛の自己嫌悪に襲われているのだろう。狼狽えるフェリシア殿下に無理からぬ事だとフォローを入れる。
いやうんまあ、自分の代で王朝そのものが傾く国難に見舞われるなど、皇族には無くはない話で、心構えをしておくべきだと言うものもあるだろう。
それは道理だ。
だが姫殿下はまだ十四で、兄のやらかしでいきなりに継承権第一位入りだ。王朝の危機と言うなら、たしかに前兆と言うべきか時流として皇家の力が失われつつはあった。
が、いきなり国中で鉄巨人が歩き出して殴り合いを始める。それも皇家を利用しにすり寄ってきた者がそれを自在に操り、急激に勢力を伸ばしてくる状況まで予想しておけ、は無理難題に過ぎるというもの。
この状況を王朝の主として玉座を保ったままに乗り切るには人の枠にあるものではどうにもなるまい。
「ああ。だから陛下はフェリシア様をパサドーブル州に行かせる事にしたんですね。きな臭さが消えなくて、陛下側で一番活躍した姉上なら任せられるって」
「そういう事だ。陛下も出来る限りの手を打ってこの情勢に臨んでいるというわけだ」
情勢がどう転がろうが、姫殿下さえ無事ならば皇家の正統は守られるのだから憂いなしと、陛下御本人は仰っていた。
私に人質を預けるような形にも見えるが、スメラヴィア正統を活かす方策がある内は、フェリシア殿下を無碍に扱う事は無かろうと見込んでの事だとも。形式から私レイアに実態と異なる悪評が立てられる事になるかも。と、申し訳無さそうにもしていたが。
御自身以外に対して甘すぎるところはあるが、それでも甘さを捨てきれないなりに最適解を掴もうとする姿勢は見上げたものだ。
「そうなると、フェリシア様は何を惜しんでいたので? 姉上と一緒にミエスクの領地で過ごす事になるのに」
「それはそれとしてです! お姉様たちの領地で過ごすのと、在りし日の都で過ごすのとはまた違いますもの!」
そういう事らしい。
まあともかく仕事以外でも賑やかになることには違いない。そんな領地での生活を思って私は異母弟と顔を見合わせるのであった。