60:身内味方に求めるもの
「そちらの修繕計画はちょっと待った。その土地は下水道工事を済ませてからだ。うん待ったをかけている分は別の箇所……そうそう南地区のそこに大工を回して進めるように」
私の指示とその詳細をまとめた書類を受け取った人物は敬礼を一つ返して執務室を後にする。それを最後まで見送る事なく、私レイアは手元の領地への……パサドーブル州に向けた開発計画指示書をまとめていく。
領主であった父の死と、私自身の武功によって授けられた領主の座。であるが、今の私は再建中のスメラヴィア皇都、その城内に拵えられた執務室に引き留められてしまっている。
なぜ己に与えられた城に帰る事も出来ずにいるかと言えば答えは単純。皇陛下に残留と政務を願われては、臣下の立場では断れないからだ。
実際問題、私としてもエステリオの反乱で荒廃した皇都を放って置けなかったというのはある。いずれ自分が全土を支配する土地の都が荒れ果てていては困るのは私だからな。
それに私を含む大型の機械生命体同士の激突で破壊された都は、より衛生的な都市への改造する絶好の好機でもあったからな。後の再建工事にはともかく、下水関連を含めた土台部分にガッツリと発明品共々食い込んでいくのに都合が良いというものだ。そうしておけば後の開発にも手を加えやすいというものよ。
また不幸中の幸いとも言うべきか、エステリオは占領した都にもまったく手をつけていなかった。そのためヤツの改悪の後始末まではしなくても良かった。まあ占拠はしたものの皇を逃がしての戦時中では大々的な工事は難しいだろうが。もっとも、ヤツは人間の住む都市開発に関心を持ってはいなかったろうから、どのみちマトモな方向での開発はしていなかったろうがな。
「姉上、少し息を入れられたらどうです? 全然勢い衰えてませんけど……」
同じ執務室で書類の処理を手伝っていた弟の言葉。これにニクスから時間の情報を受け取れば確かに、スメラヴィアの標準時間で正午に近い。
「ふむ、良い頃合いか。助かったぞハインリヒ。必要があるからとはいえ、上が適切に休まずにいるようでは現場の者たちも休めまい……と、分かってはいるのだがな」
「そうでなくてもちゃんと休んでくださいって。姉上の代わりが出来る人間なんて少なくとも俺は知らないんですから」
「それは困るな。お前にはいずれ私の代理をやって貰うつもりでいるのだ。いつまでも出来るヤツがいるわけがないなどと言う心構えでいてもらってはな」
「ええ!? そりゃあ姉上に任されるのなら力を尽くすつもりですけど……俺はそんな、政務も軍務も何でも出来るって訳じゃあ……」
「何を言っている? 私は私のコピーをやれと言った事は一度たりともないぞ」
ハインリヒが勘違いするのも無理はない。誰かの代理をやれと言われれば、まずその誰かと同じ仕事が出来なくては、と思うだろうからな。
だが実際にはそんなことを求められている事例はほぼない。私の場合に限らずな。
自分に出来る事で代理役を果たせばそれで良い。そして代理役を任された一人でこなさなくても良いのだ。
「そ、そっか。そうですよね。俺なんかが姉上そのまんまの働きなんて……」
「それはそうだろう。が、ハインリヒに私以上の活躍が出来ないかと、そんな事はあるまい」
どうも弟には正しく伝わらなかったようだ。言葉のみで伝えるというのは難しい。
ハインリヒが父が認知した次期煌冠候補の血族であるという都合の良さがあることは認める。血統に拘る連中に対しては、私の委任状だけよりは覿面だ。
だがそれ以上に、私はハインリヒには光るものを見ているから、代理が出来るように教育しているのだ。
大胆な改革を主導するのはともかく、堅実に状況に応じた手配をこなす能吏。機を見てここぞという場面で兵を動かせる将。時流に噛み合えば私以上の結果を生み出しうる。それほどの資質を見ているのだ。
そこのところを噛んで含めるように言い聞かせれば、ハインリヒははにかんで濃い茶の髪をかき混ぜる。
「そ、そんなに?」
「もちろんだとも。私が何でもかんでも人材をかき集めているように見えるか?」
「それは、見えますね。なんか一個でも光るモノが見えたなら、惜しいな欲しいなもったいないなって言ってますし」
「それはそうか……確かにそうだ。いやだからこそお前にも光るモノを見たと言うことだ」
なかなか良い返しをするようになったではないか。が、私も自画自賛ながら悪くない返しができたぞ。実際ハインリヒもはにかんだ顔のままうなずいているしな。
そうして姉弟と上司部下の入り交じったやり取りをしつつ、食事用のテーブルを占領していた資料類を執務机らに退かせて解放する。そこで狙いすましたかのようにノックが響き、ミントに連れられた配膳役のメイド達が昼食の膳を整える。
普段ならばここでミントにも食事を共にさせるところである。が、ここは私に割り当てられた執務室とはいえ皇の領域。私に仕える筆頭の従者としてこの場に置く事までしかできん。
ともあれ昼食である。スメラヴィア筆頭貴族である私が都で摂る食事であるから、晩餐でなくともさぞ豪勢なものかと思われていることだろう。しかし実態としてその材料は軍の糧食に用意した保存食の余り。今も復興に働く兵や工匠への振る舞い飯と同じものだ。
酢漬けメインのサラダに添えられた、色鮮やかな赤や緑の香草や花弁。戻し干し肉を挽いたものをツミレにしたスープや、ツナギとあわせてと再形成した肉。と、都で生き残っていた宮廷料理人の技によって、それなりの見た目には仕上がっている。
「これも姉上の手が入ってるんですよね。いやぁ毎回とんでもないや……」
「当然です。レイア様は常に暮らしの細々なところまで豊かにするための導きを考えておいでですから」
「私がもたらした恩恵が多く。これもその一部であることはもちろんだ。が、それを活かす者の力もまた素晴らしいものだぞ」
野菜に染み込んだ酸味をまろやかさで包むソース。この重なりあった味わいを堪能しながら、私はこれを仕上げた者の技量もまた讃える。
たしかに私は兵の士気向上のため、お抱えのメイレンと共に糧食の味の向上と簡略化を研究していた。都の料理人にはその過程で得られた成果の一部を与えたに過ぎない。与えられたそれを受け入れて使いこなすこと。それは大したものだ。私の側も普遍的に扱える技術に限ってはいるからな。
いきなりフリーズドライ製法など伝えたところで、出来るのは適正持ちの波動術使いだけではな。
「姉上が井戸にやってる改造も、汲み上げが格段に楽になるのに、作るのも手入れも職人にちょっと手解きしたら出来るんですよね」
「手押しポンプ井戸か。カラクリは教えておいたから後の改良も不可能ではあるまい」
整備点検にまでいちいち私が出向かなくてはならないようではお話になるまい。面倒くさい。
私とて規格外の存在とはいえ個体に過ぎん。瞬間的に手の届く範囲には限界もある。加えて、いくら便利とはいえ理解不能、解析不能のオーパーツをばらまくだけではそこで終わりだ。その先の発展はほぼ見込めまい。
「私が指示だけを出して、昼食から昼寝までして、時には思いつきを試す時間がとれるようになる。これが理想ではあるな」
「でしたらご自分で抱え込みに行く案件を少しは減らして、私たちに任せていただきませんと」
「耳の痛い事を遠慮なく言ってくれる。だがその気概が嬉しいぞミントよ」
「……もしかして、俺も姉上にここまで言えるようにって?」
「もちろん。それくらいは期待しているぞ?」
私のこの返しに、ハインリヒはどこかひきつった笑みを返しつつ「頑張ろう」と呟くのであった。