6:食い意地が張っているわけではないぞ?
革の作業着を着た私の目の前には大きな岩が。
背丈190弱の私をして見上げるほどに高く、厚みも私が両腕を広げた長さを越える。
それも地上に顔を出している分だけでだ。どっしりと動かぬその様から、地下で根をやっている分の体積も相当なものだとうかがい知れる。
「レイア様、ゴーレムを使わないでよろしいので?」
そうして岩と対峙する私に声をかけて来たのは筋骨逞しい木こりの男だ。背丈は大柄ながら私よりも少し低い。が、全身の厚みは比較にならない、まさに熊のようと評される体躯の持ち主だ。その体格と無頓着に伸ばされた髪と髭の生み出す貫禄から、林業に携わる者たちを中心に多くの者から父のように慕われている。しかし実年齢はたしかまだ十代だったはずなのだが。
まあともかく我がラックスの林業従事者の中心的人物である彼、オルドであるが、私がニクス―特製のゴーレムとしている―を用意せずに現場にいることを疑問に思うのも無理はない。
彼はラックス村の生まれではなく、生身の私の活躍はほとんど直に見てはいないのだから。
「まあ見ているといい。掘り起こしてモニュメントにしたいというのでも無いのなら……な!」
軽く気を入れた締めの一音。それと共に放った我が拳が大岩に突き刺さる。手首までを飲み込んだ岩は、その打点から瞬く間に亀裂を走らせ、幾百もの破片に崩壊する。
軽く息を吐いて岩を砕いた拳を払えば、すぐさまに少し離れた場所に待機していたミントが駆け寄って腕や衣服を清めはじめる。
オルドはミントに身繕いを任せる私と砕け崩れた岩の山との間に眼を行き来させ、やがて見開いた目はそのままに拍手を。
「お、お見事ぉ……そんな細腕で、あんな大岩を……」
「お前に比べれば大概の人間の腕は細かろうが。まあこういうのは単純な腕力だけでは無いのだ」
嘘は言っていない。
準備を整え、打ち込むべき場所に寸分違わずに打ち込めば岩は割れる。
もっとも、私の場合は得意の波動法の応用だが。
踏み込み、腰を中心とした身体の捻り。それらが生み出すパワーをウチに波打つ波動で増幅。さらに撃ち込んだ打撃から波紋を起こすように岩に深く浸透。比較的脆い箇所を波動を楔にこじ開けていったに過ぎない。
言ってみれば熟練の石工が技術と直感、そして道具を総動員してこなす仕事を体ひとつでやるように省略したのだ。
「これで邪魔だった岩も動かせるだろう。後は任せて構わないな?」
「は、はいもちろん! これでここにも木が植えられます! すぐに作業に取りかからせます!」
「うむ。だが森だからと木こりたちだけでやることも無い。磨いて石材にする石工達も呼び寄せてある」
「それはありがとうございます。しかし、今は戦時なのでは?」
ふむ。オルドが言わんとしているのは、このように平時のように仕事をしている上に、人手を戦場に集中させなくても良いのか。という疑問か。
それはもっとも。だが的外れでもある。
「良い。ここで食料らの産物を作らないでおいて、一体どこで前線の兵たちを養えるというのだ」
戦に総動員。
なるほど、団結力を感じられて聞こえは良いかもしれん。だが食料や武器弾薬を生産補給する者がいなくては即座に息切れを起こすだけだ。適材適所。適切な人材を適切な箇所に適切な数配置しなくては、な。
自前で補給線を確保出来ていないようでは、一銭切りの略奪禁止令の徹底などさせられる訳が無いのだから。
「それに、戦時であるから民たちには魔獣対策を民たち自身に強いてしまっているのが現状だ。これ以上に負担を科すわけにはいくまい?」
「は、はいッ! レイア様のお心づかいに感謝します! ようし野郎ども、キリキリ働くぞ!」
私が締めに投げた一言を受け、オルドは突然に毛のすき間から覗く目元を擦ると、太い腕を振り回して仲間たちを急かしはじめる。
まあオルド一人の盛り上がりでは無いようだし、上がった士気は仕事にぶつけてもらうとしよう。
「しかし……ううむ、これぐらいで感激されているようではまだまだだな」
「それはレイア様のせいでは無いかと。父君の……いえ、どこであっても戦となれば民は暮らしを脅かされるものですから」
ミントの言う通り、現状でも私の領内とその外では民の扱いは雲泥の差だ。調べた限り、父テオドールの治世も他の家の統治よりはマシなくらいなのだと。
私の付け入る隙がいくらでもあると喜ばしい反面、私のような上乗せ無しでもやりようはあるのにもったいないと呆れてしまう気持ちもある。まったくどうして人間という生き物は同族を養うのが下手くそなのか。
とにかく広く私の支配下に置いて、より豊かに、持続性のある発展が当たり前の世にしなくてはなるまい。まだ見ぬ人材が今も埋もれ、略取され続けているのはもったいないというものだ。
「さて、次はメリンダ先生との約束だったか?」
「はい。風神神殿にてお待ちです」
「では待たせてはいけないな」
次に控えた仕事に向かうべく、私は第一の従者と共に停めていた馬に。それを見送るようにオルドたち木こり衆がかけてくる感謝の声に手を振り返しながら。
獣道を軽く整えた砂利の道。
木漏れ日の差すその道をセプターセレンとそれに続くミントの軽種の蹄で踏み締め進んでいく。
材木に果実に獣。恵みの宝庫であるこうした森を、私は完全に拓いてしまわずに領内にいくつも保護している。むしろ拓いた分を育てているくらいだ。
北に巨大な湖ルシールの恵みがあるとはいえ、森の循環が無くなれば大地は痩せ細った砂地へ変わる。そうなれば肉体で得たせっかくの食の感動も失われる事になる。そんなことはごめんこうむる。
ヒトという生物も加わってのサイクル。これが生み出している両サイドの森の出来に、私はまた豊かな旨味を期待してしまう。
そうしている内に林道を抜けて農道へ。
とはいっても、いずれ街道としても活かせるようにニクスが、いやそれ以上の大型車両でも悠々とすれ違える幅に整えた、それなりに広い道であるが。
本拠地であるラックス村に続くこの道へ出た私は、煙が上っているのを見つける。
なんの火の手か!?
焼き畑の時期でもなく何の報せも無い。この予定に無い火を見たこの焦りと共に、傍らのミントに目配せ。愛馬の腹に合図を入れて駆け出す。
「何事かッ!? 何の火だッ!?」
近づく火元に何事かと声を張り上げれば、煙の傍に立つ人物が手を振って返す。
「何をのんきなッ!?」
後ろのミントがこれに叫ぶ。が、望遠の目玉で詳細を見た私は完全に力を奪われてしまった。
「メリンダ先生。ややこしい事を……」
「あら? ちょうど焼けたのを嗅ぎ付けて来たものかと思ったのに」
そう小首を傾げつつ宣うのは、これから神殿で会う予定であった若い女神官メリンダ先生だ。ビレッタから伸びた長く淡い茶髪を揺らす毒気の無い顔には急ぎ足で駆けつけたのがバカらしくなる。
「さすがにそこまで食い意地まみれのつもりはありませんよ」
「え? レイア様が?」
それはどういう意味で?
言ったメリンダ先生はもとより、後ろで目を見開いてるミントも!
心外だ。それではまるで私がただの腹ペコ女みたいではないか。
「まあまあ。頂き物だけれどもせっかくだからレイア様にもって用意したんだから。ね?」
よほど私がヘソを曲げたように見えたのか、まるで幼子を宥めるようにメリンダ先生は焚き火の中から火箸で摘み出したものを差し出して。
「ほらルカくんから分けてもらったスローターホーネットのハチノコ。良く焼けてるわよ」
包みを外して現れたその中身は、焼き目のついた巨大な白い幼虫だ。
ヒトの太股ほどもありそうな、丸々としたサナギ直前にまで育ったモノ。そこから抜いた背わたの代わりに香草や野菜を詰め、塩をふって焼いた料理だ。
ルカが居着いてからちょくちょく食べている品だが、これがなかなかに旨いのだ。おっと目の前に出されたらよだれが……。
「ふふふ……レイア様も待ちきれないみたいだから腰を落ち着けられるところへ急ぎましょうか」
口元を慌てて押さえるも、やっぱりねと言わんばかりに微笑むメリンダ先生。悔しいが、予定通りには違いないからな。仕方がない。仕方がないんだ。