59:情に押し流される覚悟
「やれやれ。どうにか片付いたか」
スメラヴィア皇城の大広間。
そこで私は疲労を追い出すように甲冑姿で肩を解す。
まあ城とは言っても、壁の大部分が失われて、布で埃や風が舞い込むのを塞いでいるような、跡地と呼ぶべき有り様であるが。
鉄牛騎士フランチェスカと天人馬テオドール。デカブツ二体を出撃させた城が無事な筈もない。特にテオドールは城をダイレクトに崩しながらの出撃だ。この謁見の広間も穴と瓦礫だらけになってしまっていた。
そうであれば活躍するのはこの私。人力では手間のかかる大きな瓦礫の搬出に、人の手が届かぬ位置に布を被せる応急処置にと駆り出されたというわけだ。
おかげでどうにか廃墟から修繕し始めの城という程度には間に合わせられた。
「お疲れ様です姉上」
「皇都奪還最大の功労者になおも雑務を課すとは、まったく」
「うむ。ハインリヒもミントも大義であったな。私を思うミントの気持ちはありがたいが、これも適材適所。功を鼻にかけてふんぞり返っているよりは格好もつくというものよ」
諸侯の心証にも良かろう事であるしな。
大物が倒れた事。――それも戦力の大きな割合を占めていたミエスクの当主と、スパイクの令嬢が正体の――これで将の離反や機能停止を起こして散り散りになった反乱軍相手など、もはや落武者狩りも同然。ならば大功を立てた私が手柄首漁りに回るのは無作法というもの。あえて裏方仕事に回ることで、狩りが終わるまでの退屈しのぎにもなって双方に良しというもの。
「姉上が向かわなかった事でどうなるかとは思っていましたが、反乱の首魁の皇太子殿下も無事に捕らえられましたからね。おかげで姉上が危惧していた総取りからの不和を招くような事態は避けられそうで一安心ですよ」
「それはそうだが。こんな大騒動を起こした以上は継承権剥奪は確定だろう。生命も怪しいな」
「レイア様の仰る通り、どのような沙汰が下るにしても皇族からは追放される事は確実でしょう」
まあそこはあまり問題ではない。問題はエステリオ……アステルマエロルがヒトの軍に捕縛され、大人しくしているというその一点だ。
かつての名前を手下が口にしていたように、私と同じくかつての魂と意識を取り戻している事は間違いないはずだ。であるにも関わらず追手を振り切らなかったのは解せぬ。これから始まる陛下直々の論功行賞と合わせて沙汰が下される事になっている。が、その場で何かをしでかす企みなのか。警戒を怠るわけにはいかんな。腰にあるのは刃無しの飾り太刀であるが、私が真実丸腰になることなどありえないからな。
ともかく裏方としての仕事を終えた私は、功を讃えられる側に並ぶ。
そうして場が整えば、陛下と殿下が供に囲まれて玉座の元へ。
陛下が奪い返したその座に着くのに合わせ、私を含む皇軍諸将が膝を着く。
「皆、表を上げよ。余がこうして再びに玉座を取り戻す事が出来たのも、すべては簒奪者に靡かず、正統を世に示すために余を支え戦ってくれたそなたらの力あっての事。生きてこの時を共に祝える事を喜ばしく思う」
この労いのあいさつに皇軍として働いた者全てが拍手を。
応急修理の謁見の間を揺るがす程のこの響きに、陛下は手を翳して制止。深い一呼吸を挟んで言葉を続ける。
「このまま皆の功を順に讃えて行きたいところである。が、祝いの前に一つ明らかにしておかねばならぬものがある」
そう促されて兵に引き立てられて来たのはもちろんエステリオだ。
淡い茶色の髪はもちろん、着ている服も捕らえられたその時からそのままのボロ。その上から厳重に縄をうたれ、半ば引き摺られるようにして謁見の間を進んでいる。
一時は次期皇の座が内定しており、なぜか力ずくでその座を奪い取っていたとは思えぬ程のみすぼらしい有り様。
失敗した簒奪者の末路としてはふさわしいその姿に、集まった諸侯らからは嘲り混じりのどよめきが漏れる。
だがこんな風体でありながら、やはりヤツの眼からは力が失われていない。野心にギラギラと燃える青い瞳の熱量はかつてのままだ。それを見てとった私に気づいて、エステリオは薄笑いを浮かべて見せた。
何をやらかすつもりか。私がそんな警戒を抱いて密かに構える一方でヤツは皇の御前に。
「反逆者エステリオよ。余の後継と見込んでいたそなたの暴挙、つくづく無念である。この場でなにか申し開きはあるか?」
「陛下のなんと慈悲深い事か。その甘さが故に国内には賊が蔓延り、身内での争いをそしらぬ顔で続ける冠持ちまで現れる。私は民草に侮られぬ、真にふさわしい支配者として立つべく動いたまでの事」
いけしゃあしゃあと、よくもまあほざく。コイツが皇太子として推した政策もざっと見てきたが、搾取と侵略の事ばかり。拡大重視と言えば聞こえは良いが、今ある国土と人材のポテンシャルを活かす事などまるで考えていない。すべて上手く行ったとして、ヤツに着いた貴族、富裕層だけがさらに肥えるばかりだろう。それが巡りめぐって己の首を締める結果に繋がると思いもつかないとは、その程度で真なる支配者だなどと笑わせる。
そんな私の内心での嘲笑をよそに、息子の返答を聞いた陛下は哀しげに頭を振る。
「その結果がそなたの敗北なのだぞ? 捕らえられたそなたばかりか、兵にも民にも多くの犠牲を払っておきながら、省みる事は無いのか?」
「そうですね。私の名の下に集った連中が、想像以上の役立たずであった、と手下に迎える者どもの選別が甘かった事。それだけは次への教訓にせねばと思っております」
平然と言い放ったエステリオに、陛下は絶句。もはやため息しか出ない。
私としても人材の選別をしそこなったと思える程度の頭はあったのだと、陛下とは別方向に驚いたところだ。
さておき深い、実に深いため息を吐き出した陛下であるが、吐息と共に追い出した嘆きを気力と入れ換え、改めて息子と真正面から対峙する。
「反逆者エステリオ。そなたの考えは良く分かった。許しがたい思い上がりである。そなたの皇位継承権を剥奪。皇族からも除籍し、二度とエステリオ・プリムス・クロネン・スメラヴィアと名乗る事は許さぬ。その上で南方のジェイル島への流刑とする」
陛下の口から直々に下されたこの沙汰に集まった功将らからどよめきが。
簒奪劇を起こして失敗した以上、皇族からの除籍までは誰もが予想できていたことだろう。が、直々に流刑を言い渡す事までは思っていなかったのだろう。重すぎるのでは。いや妥当であろう。しかし場所が。そんな内容のささやきが交わされている。
私個人としては厳しすぎるとは思わん。反逆した皇族に科す刑罰としては、反発を鑑みて妥当なところだろう。
「発言をお許し願いたい」
「おお、頼もしき我が忠臣。皇国の柱石であるレイア・トニトゥル・エクティエース・ミエスク新煌冠か。此度の功労者であるそなたの言葉を誰が遮れようか。遠慮なく申すがよい」
「忝なく。おそれ多くも申し上げさせていただきますが、反逆者エステリオはただちに斬首すべきであります」
陛下の下した沙汰への異議。これにどよめきが大きくなる。
不敬だの野蛮だのと非難の声が上がるが、それを恐れて日和った者どもの事など知らぬ。これはここで言わねばならん。
「……続けよ」
「この反逆者は次への教訓などと申しました。このような有り様にあってすでに次の反逆を目論んでいるのです。そのような者に再起の機会は髪の毛先ほども与えるべきではありません」
私の気持ちを汲んで促してくれるあたり陛下はさすがだ。そのお言葉を頼って流罪に反対する根拠を述べさせてもらう。
こうして次の内乱の可能性を上げれば、諸侯もまた無視することができず、どよめきがうめき声になる。
この私の意見を陛下は真剣に飲み込んだ上で冠頭を振る。
「……すまぬ。煌冠の意見は至極もっとも。しかし余には出来ぬ……恐ろしい反逆を企てたとはいえ……」
「この者が陛下の御慈悲を汲み取るとはとても考えられません」
「……それでもだ。それでも構わぬ」
「陛下にそこまでの御覚悟があるのでしたら私からはこれ以上申し上げる事はございません」
ここまで言われてしまっては引き下がる他あるまい。あとはせいぜいできる事を密かに提案、根回しをするくらいしかあるまい。
しかし不気味な。なぜアステルマエロルはここで動かない。何を企んでいるというのだ。