49:はじめまして弟よ
「楽にすると良いハインリヒ。出会いは戦場で敵同士という形であったが、私たちは父を同じくする姉弟なのだからな」
「は、はい。ねえ……レイア姉上、様……」
「ここには他家の目もない。楽な呼び方で構わんぞ」
私のこの言葉に、しかし正面に座る相手は力んで張りつめた体を緩めない。
濃い茶色の髪と瞳の少年はハインリヒ。父テオドールから息子と認知された私の一つ年下の弟だ。まだまだ出会って数日、姉弟として打ち解けた会話が出来る程ではない。
捕虜という名目で保護した彼から、これまでに名前と合わせて聞き出した所によれば、ほんの数月前までは母と二人で暮らしていたそうだが、突然訪ねてきた父の使者に連れられるままミエスクの家に迎えられ、次期当主とされてしまったのだと。
遺伝子鑑定など無いプライム大陸の技術レベルではいくらでもでっち上げは出来る。が、父の側にも確信があって迎え入れたのだろう。私からも波動の個性を探った分には血縁があるのは間違い無いとの確信を持っている。父とも、この私の肉体が持つ波動と似通った波長であるからな。
「もう本当に辛かったですよ。たしかに母から父親はお貴族様だって言われてました。ですけど俺自身はその日暮らしのただの庶民でしかなかったのに、いきなり別世界に引っ張りあげられてしまって……それでお前が筆頭貴族の次期当主となるのだーって、礼の仕方やら食事の作法、武器の持ち方と馬の乗り方を詰め込まれてなんとかってところで戦に加われだなんて……」
そうハインリヒが肩を落とすのも無理はない。普通は初陣となるともっと簡単な、まず間違いなく成功、生還できる戦いを選ぶものだ。が、ハインリヒの場合は煌冠家が、そして私の実績がそれを許さなくなってしまったようだ。
ただでさえ高位の武門として初陣にもそれなりの格が無ければ逆になめられる。そして本妻との間の一人娘である姉の暴れぶりと比較されるとなればなおのこと。実際家臣団の中にも、私に実権を渡して呼び戻すべきだと唱える者もいるのだとか。
そんな状況であるから、馬にどうにか乗れる程度の練度で、こんな皇国の行方を左右する大戦場に連れ出される事になってしまったということだ。
まったく弟の境遇には同情する他ない。
他にいくらでも生存している弟妹がいる中、適齢であるからと選ばれ、付け焼き刃の教育で戦場に連れ出される事になるとは。腹違いの姉として、何よりも状況を産み出した一因として助けてやらねば無責任というもの。この弟が良い具合に育ってくれれば、私の名代や留守居役として活躍してくれるだろうという期待もあるがな。
付け焼き刃故の事とはいえ、あの場で私への突進を決断出来る判断力から見るに、直接の戦闘はともかく、将の素養は充分だと見ていいだろう。
「えっと、姉さん……本当におれ……私はこんな扱いされてて良いの……ですかね? 一応、捕虜じゃないですか?」
ハインリヒがそわそわと視線を巡らせたこの部屋は旅籠の一室ではなく、磨かれた石組み壁に光沢のある家具の備え付けられた貴族向けの客間である。ここはスメラヴィア第二の都とも呼ばれるアーマン。その城塞の一室なのだ。
私の参戦で皇陛下と姫殿下を無事に保護した皇軍は、このアーマンへ避難。エステリオの乱に反発する皇派閥貴族をまとめ、都とのにらみ合いを始めたのだ。言葉を飾らずに言ってしまえば、落ち延びる形になった陛下がここから都と皇座を奪還するべく、ここで再起を図っている形になる。
私ももちろん皇派閥の武将として、規模こそ小なりとはいえ筆頭の武功の持ち主として参陣しているというわけだ。
で、ハインリヒはそんな私が捕らえた捕虜と名目上はなっている。私としてはこのまま父の側から引き抜いて、人材として召し抱えて育てるつもりでいるから真実名目の上の話でしかないが。
「気にする事はない。確かに捕虜であることには違いないが、ハインリヒはもうミエスクの次期当主候補である立派な貴族だ。国内貴族の捕虜としてなら軟禁場所としては適切な部類だぞ」
「はえー……そういうもの、なんですね」
呆けた声を返す弟に、私は思わず笑みをこぼしてしまう。
貴族としての振る舞いには私との姉弟関係以上に慣れないだろうが、父に選び出されてしまった上は少しずつでもやってもらうしかあるまい。最終的な立場はともかく、私の補佐や代役であればいきなり煌冠家当主でございと担がれるよりはマシだろうからな。
「……と言うわけで、今後ハインリヒには私直々に監視するという名目で、私の傍についていてもらう事になる。しばらくは私の立ち居振舞いや仕事を見て学んでもらうつもりでいる。私の配下しかいない場面でなら疑問にも答え、学びたい事を教える事も出来る。少々窮屈な思いをする事にはなると思うが分かって欲しい」
「それは、ありがたいです。おや……父上の下で詰め込みされてた時より逆にのびのびさせてもらえそうなくらいで……ですけど良いんです? お……私は、まだ姉上に味方するって頭下げられてもいないのに」
うむ。正直でかつ誠実な事だ。他所の目があるところでの腹芸はおいおい仕込むとして、私の申し出に旗色を定める返事ができていない状況だと答えられるくらいには、私に親しみを持ってくれているというのは良いことだ。
もしかしたら自分が家族として父テオドールとの仲立ちをやれるかも。と、ピュアな期待を抱いているのかも知れないがな。
私にも惜しむものはあるが、私と父との対立はもはや決定的だ。
私は父が半ば放棄していた土地を発展させ、その土地を買い取った上で本家ミエスクの領地と民を削り取っている。しかも本家の武威に泥を塗る挑発もしながらだ。
そして本家も私に味方する皇陛下を蹴落とすため、皇太子のクーデターを後押ししてしまった。
もはや私と父の間に共存の道はない。生かしておく手も無いではないが、それも直接処刑しないだけといった程度のものでしかない。
ハインリヒたち兄姉弟妹のように役職を与えて庇護するわけにはいかないのだ。
「私に味方すると約束出来ないと言うが、それはそれで構わん。お前が私よりも自分の方が上に立つのに相応しいと思うのなら、いつでも向かってきて良い。今この瞬間にでもな」
私には任せておけん。その考えを抑えるつもりは毛頭無い。もっとも、はいどうぞと譲ってやるつもりは無いので、やれるものならやってみろというのが本音であるがな。
そんな考えからの下克上の誘いであったが、ハインリヒは大慌てで首を横に振る。
「めめめ滅相もない! 姉さんのが良くしてくれそうな風なのに、何でそんな! 俺がそもそも貴族様をやれる自信もついてないのに、姉さんを越えていけるだなんて、順番飛ばしすぎっていうか、思い上がりが過ぎるっていうか!?」
「スマンスマン。私も冗談が過ぎたな。しかし姉として助言させてもらうならば、貴族の家を背負わされたのならば、もっと欲張っていくべきだな。持ち帰れそうな手柄は持っていくくらいの気概は必要になる」
欲に溺れて前後不覚という良くある悪徳権力者は論外である。が、自分の大切なものまで食い物にされる無欲なお人好しの例もまたごまんとある。
望むと望まざるとにかかわらず、煌冠家に取り込まれた以上はハインリヒも守るべきものを手放さない執念と、そのために必要な知恵を身につけた方が良い。
「そう、ですね……親父が満足出来る手柄がなくっちゃ、せっかく俺と一緒に迎えられた母さんの暮らしだって……」
やはりそういうことか。腹芸を身につけていない風のハインリヒが、私に好意的ながらすんなりと下りますと言えない理由は案の定家族であったと。生母の暮らしが保護されたのは、ハインリヒにとっては父テオドールへの恩義であり、同時に後継者をやらせる人質でもあるというわけだ。
そうしてハインリヒが母に思いを馳せてうつむいていると、ノックの音が。私が入室を許せば、入ってきたのは犬耳のルカだ。
「物資と兵と一緒にお手紙も空輸して来ましたよっと。まったく、人づかいが荒い君主ですよ。師匠も召し抱えてくれたおかげでマシにはなりましたがね」
「ご苦労だったなルカ。ひとまずは休んでいて良い」
軽口と一緒に手紙を渡してさっさと部屋を辞するルカと私のやり取りに、ハインリヒは呆然と。まあ無理もない。ミエスク本家ではとても許されないやり取りだろうからな。
さておき領地からの手紙である。ハインリヒにとっても重要な報せがあるはずと探してみれば期待どおり。やはり私の部下は優秀だ。
「ああ、ハインリヒ。先程お前が口にしていた母君のことだが、今は我が領地におられるようだぞ。身の回りが物騒になってきたので引っ越してこられたとのことだ」
「へ? ええ!? そんなまさか……」
いきなりの話に呆けたハインリヒに、私は同封されていた彼の母からの手紙を渡してやるのであった。