41:ルシール湖、狂乱!
少々不味いことになった。
と言っても、新たに引き抜き雇い入れた魔獣使いの師匠殿自身が厄災を引き起こした訳ではない。
彼自身は只人族主流国土在住魔人かつ新顔として、節度ある態度で数日を過ごした程度。教師役もルカ配下のテイマーに伸ばすべき強みと当面の課題、経験則に基づくその解決法を告げる助言をした程度で、本格的な働きはまだしていない。
では不味いこととは何かと言えば……。
「上がってきたモノから仕留めろ! ただし沖からの流れ弾には気をつけよ! 私も止めるが、すべて防ぎきれるものでも無い!!」
私が半身を沈めたこの荒れ狂うルシール湖である。
事は本日の朝。私が朝食を楽しんでいた頃に遡る。
本日の朝食は、メイレン手製の野菜と山菜の盛り合わせに、魔羊の挽肉を魔雉の玉子で包んだミートオムレツ。それに湖エビのスープという実にご機嫌なラインナップであった。
旨味の活きた挽肉に、柔らかく絡んだ玉子。これを口の中に含んだ至福の一時。これを我が屋敷に転がり込んできた伝令が打ち破ったのだ。
レイクハウンド、壊滅。
ルシール湖の東対岸。獣人型魔人族領の漁師町が突如上陸した大鰐魔獣とそれに同伴した魔魚の類いによって滅ぼされた。我が領へ命からがらに逃げ延びた生き残りからだというその報を受けた私は、じっくりと楽しむつもりだった料理を手早く詰め、残りを弁当にする事と屋敷の者で平らげて置くことを指示。我が領の桟橋と船の浮かぶ湖岸へ駆けつけた。
私と同じように報せを受けたのだろう兵たちをかき分け、望遠の眼で対岸を見れば果たして、間違いなく煙を上げて崩落した家屋で埋まった集落と、こちらへ近づく荒々しい水飛沫が見えた。
もはや一刻の猶予も無し。
原因はともかく切迫した現状を察した私は再合一からの合体で最初からフルパワー。部下と民には湖岸から少し離れた位置での迎撃陣形を構える事を指示。そうして今に至るというわけだ。
共食いし、水と陸地という己の生きる場とその外の区別も無しに突っ込んでくる魔魚ら。見覚えのあるその狂相に、私は狂乱煙玉の存在を感じとりながら、湖へフラッシュブラストを拡散モードで叩き込む。恐れも何もなくただ突っ込んでくるような魚群ならばこれで一網打尽。少なくとも人の軍の手に負えない大物は抜けられまい。
「美味しそうなのは私に任せろ! それ以外もなるべく身は残して……腸は潰してくれるなよ! 台無しになるから!」
「メイレン! あまり無茶振りをするな! みな、自分と家を守るのを最優先で良い!!」
欲の皮の突っ張った料理人の出した命令を上書きして、私は飛び上がってきた大物へソードウィップ。キレイに急所だけを刺してシメたそれをメイレンに投げてやる。
それだけで私への感謝を叫んで飛びつくのだからかわいいものだ。食材以外には手応えのある敵を任せてやれば余計な事をせずに働いてくれる事だろう。これで満足してくれるのなら安いものだ。何をしようとも指揮に割り込み混乱させ続けてくるのは本当に最悪だからな。
そうして上陸されれば大損害必至の大物の迎撃に終始していた私だが、水中に沈めた脚に食いつくモノが。
やはり来たか。対岸の町を滅ぼした最大要因とされながら、ここまで姿を見せなかった湖主大鰐!
巨大機馬セプターセレンの後脚が変形した我が鋼の脚に牙を突き立て、強引にねじ伏せようとするその動きに、私は最大の大物の登場を確信する。が、狂乱に任せて津波のように押し寄せる他の水棲魔獣の群れも放置は出来ない。だから膝のソードウィップを使う。
邪魔なデカブツだとただ食いついていた鰐の化物は、当然逃げられる訳もない。たまらずに串刺しになったその巨体をのけ反らせる。派手な水柱を振り上げて立ち上がった岩を積み重ねて作ったかのような大鰐。新旧問わずの傷痕の刻まれたその全身は、鼻先から尾までで見れば、この私の全高すらをも上回る程だ。
それほどの巨体に育つ程に強く、老獪であるこの湖の主たる大魔獣は、かつて私とのわずかな力比べで力量差を悟り降る程であった。
それが今やどうだ。敵わぬと屈した私の波動さえかぎ分けられず、節度を越えて踏み出せば痛手を被ると知っていた人間へ牙を剥く始末。
もはやコイツは湖の頂点捕食者にして我が配下領主であったルシルデストロムでは無い。ただ荒れ狂うばかりの災害に堕ちてしまった。
水中領主の乱心による直接の被害はもちろん、それに紐づいた湖の生態系の乱れ、そこからくる経済の狂い。予見出来るはずだろうそれを無視してまでただ私の足を引っ張るだけの小細工を仕掛けた阿呆ども。私に恭順せぬ、叛くまでは良い。だがこれは許せたものではないぞ。
ともあれ、まずは目の前の事。狂わされた大鰐をこれ以上苦しめるのも忍びない。せめて一思いに楽にしてやろう。そんな思いで私は血を流して悶え、その苦痛を与える私へ怒りをぶつけようとするルシルデストロムに向けて更なるソードウィップを絡ませる。
激しさを増す水飛沫とそれに混じる赤。
その痛みと怒りを込めた咆哮を上げようにも、もう口を含めた頭も光の鞭剣で雁字搦めだ。
「レックスアックスッ!!」
バトルマスクの奥からの私の呼び声。これに応じて飛び出したのは一頭の獣脚恐竜。湖を荒らす魔魚らを足場にして跳んできた金属光沢を纏うそれは一際大きな跳躍から私の手元に。放物線を描く間にクルリと機体をひっくり返したそれは一振の戦斧、そして大振りな手甲となって我が右手に。
これこそ、かつては坊っちゃん指揮官と一体化して私に手向かったダイノボーグ……それが変異転生して我が下に降った姿、レックスアックスである。
尾を持ち手に、胴から分厚い刃を生やした形のこの大戦斧。それを神秘金属すらも噛み砕く大顎で握りしめた私は、光の縛鎖に動きを止めつつあるルシルデストロムに止めの一撃を。
しかし刃が首に入ろうというその瞬間、ヤツの身体が爆発。これでヤツを縛っていたソードウィップが振りほどかれ、私もまた部下を文字通りに尻に敷かぬように堪えさせられる事に。
突然の爆発の余波で巻き上げられた湖水。それがスコールのように降り注ぐ中、湖の沖では巨大な波動の塊が脈動していた。
放置しては面倒な事になる。その確信から私は間に合うか一か八か、レックスアックスを全力で投擲。だがやはり直撃の寸前に波動の塊は再度の爆発。私は逸らされた斧の回収のためにソードウィップを伸ばし、機体そのものは背後の我が民に迫る波を跳ね返すのに使う事に。
より強烈な波動の爆発に打ち上げられた湖の生き物の混じった雨の中、私は頭上から襲いかかってきた大鰐を、戻ってきた斧で両断。だがこれは狂暴化した主では無い。その子か孫世代のだ。
主のモノである荒れ狂う波動の塊は二度目の爆発の余波もあってかさらに湖の中心よりに。そしてその光を突き破って飛び出すモノが。
瞬時に我が眼前に迫ったそれだが、見え見えの攻撃など焦るまでもない。あらかじめブロックするために動かしていた斧で弾いてやる。
あれは、杭か?
跳ね返った飛来物を視野の隅で確かめながら、私は湖の沖へ踏み出す。
それに応じるように波動の塊を破った何者かも湖面を滑るようにして。
鋼の巨体にかかる水の抵抗を力業に押し退け進む私に対し、相手の巨体は実に滑らかに、十全な勢いでもって拳からぶつかってくる。
水の中にありながら巨大な鋼の五体を動かすこの敵には、見覚えのある大鰐の部位が。
そう。湖主であるルシルデストロムはその狂乱のままに暴走した波動により、その身を私と同じ機械生命体へと瞬時に作り変えたのだ。