37:レース場ですが何か?
「追い立てよ! ここは獲れたその分だけ腹に収まると思え!!」
激しく蹄が地を叩く音が鳴り響く草地。その爆音の根源のひとつに跨がった私が、命令と矢を放つ。
小さな投槍同然の我が矢が巨大な羊の頭を射貫くのに続き、小さな矢が雨となって私が仕留めたのよりは小ぶりな羊達を射止めていく。
そうして大物が次々と倒れる音を耳に受けながら私は愛馬の首を返して方向転換。厳しめのコーナーを回して次の獲物を正面に。そうして放った矢が穿ったのは狼だ。先に仕留めた魔羊を狩る事でも知られる肉食の魔獣である。
群れのリーダーを仕留めた事で出端の挫けた形の狼達へまたも後続の騎兵隊からの矢が。しかし羊の時とは違い、魔狼の中には矢の雨を掻い潜って逆撃に出るものも。しかしそれは横合いから躍りかかった人影に蹴飛ばされる。
深いスリットの入ったローブ風の民族衣装を靡かせたそれは、猿の獣人系魔人メイレンだ。彼女は狼に飛び蹴りを食らわした勢いのまま空中を横滑りに、追いかけてきた別の狼に光の玉を投げつける。
波動術で作られたこのエナジーボールは狼の鼻っ柱を殴り抜けると、不意に空中で制止。メイレンが振るう腕に連動してその横を抜けようとしていたのを打ちのめす。そうしてエナジーボールを鎖分銅のように振り回し、蹴りや拳などの徒手格闘と織り混ぜた打撃、時には指先からの極細の波動弾でもって次々と狼を仕留めていく。
うむ。やはりメイレンは面白い技を使う。皇国の波動術師は大概が火の玉なりを投石機よろしく投げつけるばかりであるので、武器の代替として扱うのは珍しい。私でいうエナジー・ソードウィップにあたる力の扱い方だ。
「深追いすることは無いぞ! 縄張りに残るモノがいなくなるだけで良い! 間引いて外の生き物の暮らしを荒らさない程度にしておけば充分だ!」
狼を圧倒するメイレンを横目に通り過ぎた私は、魔獣狩りの面々に指示を出しつつ愛馬を緩やかなカーブに侵入させる。そうして折々に大物の魔獣にジャベリンじみた矢を撃ち込みながら、テントの張ったエリアへ。
セプターセレンをこのテントに挟まれた区間の内で制止させた私へ、替えの矢筒を抱えた兵を連れたミントが駆け寄ってくる。
「いかがですかレイア様」
「うむ。私の見立てた通り良い場所だ。目をつけていたコースも実際に走ってみて良い具合だった。計画通りに建築をはじめて行くぞ」
我が愛馬に塩と水を与える腹心に応えた通り、私は今この土地を、領境の砦の建設予定地を下見したのだ。
と言っても、コースと言った通りただの砦を建てるつもりは毛頭無い。
「承知いたしました。レイア様が書かれた図面に従って防衛砦の土台造りを……」
「おっとミント、呼称は正確にせよ。ここに建てるのはラックス馬術競技場だぞ?」
「失礼しました。ここに建つのはあくまでも馬の質と馬術の巧拙を競う大型の競技場でしたね」
「その広さと堅牢さ故に防衛設備としても利用可能な、な」
パサドーブルはスメラヴィアでも有数の馬産地である。興りは現皇家の祖先に軍場を献上していた一族によるもの。そこから皇家から臣籍に下ってこの地に封じられた我がミエスクの初代から、さらに己の軍勢の強化と他家に売るためにより良い馬の輩出に力を込めてきて今に至る。
そうやって出来上がった名馬と騎兵自慢の土地柄、当然馬の質と馬術を競う競技も盛んだ。パサドーブル城のある州都では年二回の大競馬祭が行われるほどだ。
しかしその競技会場は、あくまでも元からある平原に軽い整備を施した程度のモノ。後は馬上の弓術や槍術を鍛えるための的をぶら下げた練兵場の整備改造コース位なものか。そんな有り様であるため、観戦しようにも見たいレースを求めて観客自身が馬なり馬車なりに乗って移動しているような始末。
だからここでひとつ所に腰を落ち着けて観戦出来るような競技場を作ってやろうというのだ。要人も招待出来るように、それはもう軍勢を受け止められるほど堅牢な造りにはなるだろうがな。
「……しかし、それで納得いただけるとはとても思えませんが」
「だろうな。詭弁である。だがあくまでもその詭弁こそが第一で、要塞としての機能は副産物としてついてきたということにしなくてはならない」
建前論というヤツだが、それも政治というものだ。それすら出来ない潔癖な人物には政の適性が無いと言わざるを得ない。もちろん、建前だけですべて押し通せる訳ではないが。
まあしかしこのラックス競馬場、手前味噌ではあるが完成すればなかなかのモノだと自負しているぞ。
角の丸い二等辺三角形型のメインコース。長辺は千mの一周約二千四百。起伏もあり、一周するならば短辺の出入りで高低差三mの上り下りをすることになる。これを取り囲む形に壁とスタンド型の観客席を。その上に貴賓席を設け、場内の安全のために魔獣や軍勢を跳ね返しうる堅牢な城壁で覆うという寸法だ。コースの増設や手直しがしやすいように、これらの囲いにはクリアランスを持たせた設計図を引いたが、現地との擦り合わせでも問題はない。
まだ先々の話にはなるが、この馬術競技場が要塞としての役割を果たさないですむようになる頃にはこの一帯もまた賑わった町となる事だろう。
今行っているの狩りは、地形の把握も兼ねた基点となる人の領域作りになる。
私の都合で強制立ち退きになる魔獣らにはお気の毒。だが近隣地域の生態系を圧迫してしまうわけにもいかん。しっかりと間引くか従属化を施して家畜の祖とする他無い。人の支配域が広まるというのはこういうことだ。
平行して近くの土地を公営の里山として定め、山林や獣を保護する作業も進めねばな。将来的に町が出来上がる事を考えて適切な場所となると……やはりまだ父の手にある土地も欲しいな。私のパサドーブルの将来設計を考えると、すべてが我が手に無いというのは不便に過ぎる。
「ですがレイア様、ルザン郡の確保も考えると、手が足りませんよ」
「うむ。目下我が陣営最大の問題は人材の不足であるからな」
私は積極的に人を募り、勧誘しているのだがな。旗揚げ間もない、それもその地方のトップに噛みついた勢力では少数精鋭化するのもやむ無し。
一応は領主であった坊っちゃん指揮官の没後に、周辺から実効支配の手が回って混乱状態にあるルザン郡の保護にまで手を回すのは無茶な手札の数ではある。
「だが私の統治の評判が広まれば、自ずと勢力も膨らんでゆくとも」
だからルザン郡の保護に回した人材はあちらから勧誘した人材を中心に編成している。
実効支配する上で略奪を行っている父の配下に対し、軍規厳しく躾けた私の軍による保護の評は高い。日の浅い者たちもわざわざ自分達の故郷で火付けや強奪を好んで働くまい。ルザンで私に下った後の暮らしぶりについて広めて、旗色を決めかねているものらへの勧誘を進めるように命令しているが、命じてなくても誘ってくれていたことだろうな。
「そうやって目処は立ててはいるが、正直褒められたモノではないな」
「そうでしょうか? ルザンを狩り場に仕立てようとしている近隣領とは比較にならないかと」
「下には下がいるからと安心してはならん。拡大の勢いに人材確保が追い付いていない事がいかんのだ」
余裕の無い環境では確実にトラブルが増える。それを未然に防いでこそ真の管理者というものだろう。
と、そんな事を考えていたらば野営の竈場から煙が。
「メイレン!? そんな捌いた魔狼の腹に、臓物がわりに麦やらを詰めるって!? マジでか!?」
「そうだ。それで火にくべて外がこんがり真っ黒になるまで焼く。故郷では良くやっていたぞ。私のは一緒に臭い消しになる野草も混ぜているぞ。忌避感が勝つならば安心していい。私が……」
「なんだその食事は!? どんな味だ!?」
「……私とレイア様とで残さず食べてしまうから」
食事の話となれば食いつかずには折れず、私は愛馬の背を飛び降りた勢いのまま炊事の煙へ走ったのであった。