36:打つ手を緩める理由はない
皇都での仕事を終えて、私レイアは領地に帰還した。
その道中は万事つつがなく。
逆にこちらからトラブルを探して解決していくくらいであった。
「峠向こうの村落への巡回部隊はキチンとやっていたようだな。通りがけにした村人への聞き取りでも軍規に背かず、間違いなく充分な働きをしてくれていたと」
「治安の強化効果で物資の配給も順調ですわね。本家軍に取り上げられた品々の補填や荒らされた畑の整備も順調だと走り回っているラーズから」
我が屋敷の来賓室。即席の会議室として我が配下の代表が集まった中、まず報告を挙げたのは風神神官メリンダ先生だ。
彼女の担当する運送回りの報告も実に結構。連れてきた少年伝書神官のラーズも、比較的安全な街道でのびのびと勤めているようでなにより。
私の帰還を迎えてくれた彼だが、少し顔を合わせなかった内にいくらかふくふくとしてきていたからな。栄養良し。治安良し。仕事量も座学の合間の小遣い稼ぎ程度。これが健全な成育の基本よ。
他にはと視線を巡らせれば、ヘクトルと同じ意匠の服を着たアランの少々苦い顔とぶつかる。
「領境、特にパサドーブル側のを越えようとしてくる流民が連日絶えません。捕らえようと追い立ててきた軍は跳ね返しましたが、その戦闘のために農地の整備に遅れが出ております」
「由々しき問題だな。領境の防備の整備は?」
「石を混ぜた土塁以上は……我が方の騎兵の機動力を足元で殺ぐわけには参りませんので」
「出遅れては我が愛馬でも余分な消耗が重なるからな。土塁は良い配置だがこれ以上となると即席とはいかんな」
引き抜き組であるアランだが先任の兵らとの軋轢も起こさずに上手く馴染んでくれている。が、私が前もって躾て言い含めたとはいえ元からの者と新参者、両者の間で諍いがゼロと言うことはあり得まい。そこも良く取りなしてくれているのだろう。私からも労いがてら負荷を減らすように働きかけねばな。
「領境の防備については関所を兼ねた砦を用意しよう」
「それでは本家を刺激する事になりませんか? 妨害の軍を差し向ける理由を与える事になります」
「それはそうだ。だからあくまでも王命で管理を命じられた範囲の内でだ。領内の治安維持にも後々効果はあるのだからいちゃもんにしかなるまい」
陛下からは預けられた区域に関してはほぼほぼ白紙委任に近い条件を頂いている。もっとも支払う対価は必要であったが。建設するものについてはお伺いを前もって立てておくだけで問題はあるまい。
「それで実際に軍が差し向けられた場合には……規模次第ではあるが、私が目を光らせれば蜘蛛の子を散らすようなものだろう」
「それはそれは……むしろ焼きつくされてしまいそうですな。ではそのように。しかし流民はいかがいたしましょうか。このまま増え続けてしまっては養おうにも……」
アランがもうひとつと挙げた懸念ももっともだ。多少の人口流入なりでは小揺るぎもしないだろう生産力を整えていると自負しているが、ただただ食事をばらまくだけでは領主ではない。
「本家との緩衝地帯、それ以外での農地の整備状況はどうなっているか?」
この私の問いにミントが壁に地図を。
これは私が目と足……とタイヤで得た測量データを基にして描画したラックスを中心としたルシール湖近隣の俯瞰マップだ。
このとんでもない戦略データに皆の目が集まる中、ミントは資料を片手にマップに指示棒を当てる。
「新しく接収した形である集落の内、こことここの畑は土を爆豆の土と魔羊の堆肥を混ぜた物に入れ替え済です。こちらからはまだ途上で、先のアラン隊長からの報告通りに境目に当たるこのラインにいたってはまだ……」
爆豆というのはいわゆる魔植物……平たく言えば植物モンスターだ。熟したサヤの中で豆のひとつが過剰成熟を起こし、やがては爆発を起こして飛散するという、ラックス近隣に自生する厄介な植物であった。
その生態から当然土の栄養も大きく持っていくのだが、蔓と未熟な豆を好んで食べる魔羊の排泄物が、根の絡んだ土を大いに肥やす事でサイクルとして成り立っている事が分かった。現在はそのどちらもを農作物とする試みの途中で、領内の畑の土を肥やすために使われている。
豆の味もなかなかで、昔はほどほどに熟したのを見つけたら頂戴して村人の腹を満たしていたとか。
私としてもなかなか可能性を感じる食材だと見ているので、直に食べるにせよ加工するにせよメイレンと共に美味い活用法を見つけ出そうと目論んでいるところだ。だからその相談は後でじっくりとやるから。メイレンよ表情を動かさぬまま期待でギラギラした熱視線を照射してくれるな。ステイ!
……ともあれ具体的に土壌改良作業が進んでいる範囲は分かった。それならばだ。
「改良済の畑を世話する人手は?」
「元々耕作地としていた民も残っていますので問題ありません。が、広げるとなるとそこまでの余力はありません。元々の畑の再生のついでの改善作業についていたワケですから」
「そうだろうな。では流民の内で農耕希望者の一部は耕作可能な村の人員として少数を割り振り。中途の畑や村落の人員を中心に配置せよ。消耗の大きい者はまず休ませて働けるまで回復させてからな。病を運び込まれた兆候は無いのだったな?」
「医神の神官では無いので専門ではありませんが、現状は先住の民が病を訴える事もなく。流民の不調もおそらくは無理な旅の消耗かと。しかし病はその弱った体に入り込むものですから」
道理であるな。現状長旅で衰弱した者は回復させつつ、病状が出ないか様子を見るしかあるまいな。
病をばらまいて攻撃する手を父が使っていないとも限らん。そうでなくても働き手から使い潰しをするような真似はしないと信頼を勝ち取らなくてはならん。
「他は自己申告の経験や技能を基準に配置を行って、細かな適正を見ていくか。それで大工として加わる者たちを領境の要塞の建築に回せば……」
「流民に対してはその方向を基本とせよと。承知しました」
「うむ。健康状態と潜入する刺客ではないかの見極めを密にな」
その判別には都で新たに雇い入れた暗部、元・「影の刃」のメンバーにも加わってもらっている。蛇の道は蛇とは言うが、やはり潜入工作員の見極めは本職に任せるに限るからな。
最奥の部屋で殿をやらされていた若いの、セーブルをリーダーとした彼らを正式に部下として雇うことに、最初は誰もが難色を示したが、道中で彼らが素手で触るのも避ける燃えるような毒キノコを目の前で食べて見せてやったので、試しにでも私に毒殺などを試みる事はあるまい。
だからメイレン。そのキノコは確かになかなか旨かったが、私以外が食えば解毒の波動術があっても危うい代物だぞ。解毒法は研究しても良いからステイ!
「しかし……レイア様のお考えは分かりましたが、やはり砦の建設は本家に無用の刺激を与えるかと。そうなれば皇家の骨折りを無駄にしてしまう形になるのは」
「ふむ。その懸念ももっともだ。それこそ攻め上る拠点を用意しているのだとの言い分が、臆病者の言いがかりだと誰もが笑い飛ばすようであれば……」
言いながらふと目をやった地図。問題になった地区のこの地形、たしかおおよそは平坦であるが低い丘もあって……ふむ。やりようはあるか。
「よし。私に考えがある。砦を建てる場所は定めたから後で図案と模型を……いやここで出しておくか」
そう思い立った私は適当なブロンズの像をドロリと溶かし、ざっくりと思い描いた砦の簡易模型を机の上に出してやる。
これを見た部屋の面々は己が目を疑うように瞬かせ、私と模型とを見比べる。
「本当に、これを作るおつもりですか?」
「あくまでも完成形のおおよその形だ。いきなりここまで仕上げろとは言わん。それに私が基礎工事に加わればさほど難しくはあるまい」
私がこう言えば皆は半ば諦めたかのように、私の建設計画を承知するのであった。