34:私で間違いないな?
茶会を終えて皇女殿下に見送られての黄昏時の都。
夕陽の名残の赤が建物の合間に吸い込まれるように失われて行くその刻限に、私は腹心たるミントと共に馬車に揺られていた。
皇都滞在用に宿と共に借りた物だが、本当に中が良く揺れる。
「……お尻が痛い、です」
「こんなバネが皆無の物に乗り続けるのはしばらくぶりだからな無理もない」
それはミントがその耳を下げて痛みに泣き言を漏らすほどにだ。我が領土ではこんな車軸と車体がダイレクトなのは荷車だけで、人が乗る牽き車には板バネの緩衝を挟んでいるからな。
それなりに私にも相乗りする事があるミントにとってはこれは本当に辛い揺れなのだろう。我が領から出したのが機能性最優先の長距離旅用のモデルでしか無かったばかりに。
これは型紙を用いた縫製の概念に加えて、人の乗り物にサスペンションを仕込む手法も伝播しておくべきか。
「もう出立まで間も無いのにまたお仕事を増やされるおつもりですか?」
「ばれてしまっては仕方がない。長い目で見れば私にもプラスになるだろうからな」
我が領土で私の伝えた技術を見せびらかした上で独占していれば、それはたしかに儲けになる。だがいずれスメラヴィアを、さらにその外を私の意のままにした時に、また改めて領地すべてに広めるというのはな。それまでに秘匿する手間も含めて見れば非効率でさえある。
もっとも、生活水準の差を強調するのは懐柔の一手として強力無比であるので、技術拡散についてはケースバイケースであるがな。
「それって、行き当たりばったり……とも言いませんか」
「それはそうだ。しかし綿密で遊びの無い計画に縛られていて好機を逃すというのもままある事だ」
この返しにミントは尻の痛みもあってか閉口してしまう。不満をそのままにするつもりは無いが、私の歩み故に今後も苦労をかけてしまう事になるだろう。
そんな事を考えている中、不意に私の感覚に覚えのない波動が引っ掛かる。
私という存在が世に起こす波紋。その広がりの中にこれまでに触れたことの無い波長が潜り込んできている。
数は三つ、隠密を主体にしているのか飛び石のように加速と停止を繰り返してこの馬車との距離を詰めて。
「馬車を停めよ」
私のこの唐突な指示に、御者を任せた兵は驚きつつも素早く馬車を道の端に寄せて停める。
そして剣を携えて馬車を降りた私は、馬を狙った投げナイフをエナジー・ウィップソードで切り払う。
突然の弾けるような金属音に、馬や群衆が騒ぎ出すのをミントらに任せ、私はその場に構え無しに立ち続ける。
馬を狙われた馬車。それに乗っていた貴人が降りたとなれば、当然狙われるのは私だ。飛んできたナイフを抜き放った剣と蹴りとで叩き落として身体を横へ。これに遅れて上から落ちてきた黒ずくめを蹴りつけてやる。
「誰か捕らえるのに手を貸してくれぬかッ!? 噛ませる轡と、縄を用意してくれる程度で構わん!!」
言いながら私はコインの入った袋を懐から道路へ放る。この指示と謝礼金の存在を聞きつけた耳敏い者らが瞬時に我らの周囲に人だかりを。この協力を受けて、武器を用意したミントと御者とが倒れた襲撃者を捕縛する。
その口封じのつもりか、風切り音を立てて矢が。この内の一つを投げた剣、二の矢を手首からのソードウィップで排除。そのまま投げた剣に絡めて回収に。
が、剣を手繰り寄せているこの間を好機と見た刺客が人混みからスルリ。体ごとぶちかますようにしてナイフを。
これを私は指で摘まんで制止。へし折ると同時に脳天に肘。
こうして直に私へ迫るものを立て続けに退けたものの、襲撃者の気配は未だ健在。今も虎視眈々と私を狙っている。どうすれば私に通じるのか。そんな迷いをもってしまったというところだろう。
ならばお礼にこちらから攻めてやるとするか。
そう定めた私はこの場を跳躍。屋根の上で矢をつがえていた襲撃者を見下ろす形に。私を追いかけ見上げたその目には驚きが見えるな。そんなヤツの眉間めがけ、跳ぶと同時にむしっていたボタンで指弾。グラリと崩れたヤツはそのまま裏路地へ転がり落ちていく。
これで残りは二人。私たちに迫っていたその片割れにソードウィップを伸ばして絡め、落下しながら剣を握る手で殴りつける。そこからすぐさま駆け出して残る最後の気配へ。
狭い路地に潜んでいたヤツは、私が壁も構わずに蹴って現れた事に声も出せぬままに倒れる。
意識の外から襲われる事など、現場に出るまでにさんざんに叩き込まれた事だろうに。そうして気絶した刺客らを絞めながら引きずって行けば、縄を打って轡を噛ませた襲撃者三人をまとめていたミントらに迎えられる。
「ありがとう皆のもの。危険に巻き込んでしまったにも関わらず勇敢に協力してくれた事を感謝する」
路地裏に落ちたのも引っ立ててくれたのだろう。そんな協力的な民たちに改めて感謝を告げ、追加のコインをミントに渡させる。
この場に集まった者達で山分けして充分なこの謝礼と迷惑料に、人々は拳を突き上げ歓声を上げる。
「レイア・ミエスク! レイア・トニトゥル・エクティエース・ミエスクご令嬢です! レイア様をよろしくお願いいたします!」
その歓声に混じってミントが私の名を推し売りしているが、まあ好きにさせておこう。私にとって目下の問題となるのは、縄に打たれて転がされた襲撃者らの方だ。さてどこの手の者やら。
「起きろ不届き者めらがッ!」
御者を任せていた兵が厳しい言葉と共に井戸水をぶちまける。良く冷えた気付けの一撃を受けて伸びていた黒ずくめどもからうめき声が漏れ出る。ほどなく目を覚ました彼らは私の顔と自分達の有り様を見比べて、一瞬ぎょっとした目元を見せる。が、それはすぐに作られた冷静さの奥に隠されてしまう。なるほど。身のこなしに襲撃の手口。これから降りかかるだろう事態に対する気構え。やはり暗部としての訓練を受けているか。
「どうされるのですかレイア様。問い質すにも今は衆目があります」
傍らに戻ってきていたミントが耳打ちする通り、ここでは拷問のできる環境ではない。黄昏時の町中で馬車を襲うような破落戸が退治される捕物まではともかく、血なまぐさい拷問など民衆が望むものではないからな。
だがそれで構わん。尋問どころか引き回しにする必要すらどこにも無い。
「さて襲撃者諸君。レイア・トニトゥル・エクティエース・ミエスクである。私が標的で間違いないか? ああ、言葉で答える必要は無い。イエスなら首を縦に。ノーなら首を横に振ってくれればいい。それでどうか?」
この問いに襲撃者らは全員が首を縦に。まあそうだろう。依頼人の名を尋ねたわけでもない。襲われた相手が人違いではないかと確認しただけなのだからな。
「なんと恐ろしい事だ。私の命を狙う者がいようとは。民のために多くの賊を捕らえたのがよほど目ざわりだったとでも言うのか……」
我ながら仰々しいが、ここは道化をやらなくてはな。これを受けて民衆も金をばらまき賊を退治に熱心な男装の姫騎士を襲った者達への怒りを露にしている。
その熱気に押されてか、私の兵が抜き身の剣を黒ずくめの一人に突きつける。
「お前達、それを仕向けた者の名は?」
「いや良い。実行役たる彼らは元より知らされてはいまい。そうだろう?」
だが私はそれを制し、なるべく柔らかな声音で情報を持っていない事を確認する。そうすれば兵に睨まれた者から全員が首を縦に。
「レイア様!? そんな誤魔化しを信じては……」
「いいや。私は彼らの事情を信じる。彼らに誤魔化す理由は無いのだから……標的の力を知った今となっては特にな。そうだろう?」
そう念押しをしつつ、私が身の内に秘めた波動の一端を浴びせてやれば、襲撃者たちはたまらず身震いをしてうなずく。
実に結構。力の差をよくよく思い知ったようだ。
「私としてはそれで充分だ。標的に手も足も出ずに打ちのめされた彼らをこれ以上攻めるつもりはない。私は、だがな」
それだけ言って解放してやるように手で指示を出す。すると部下らの解放の手を逃れて私の足元に額付ける。
そうなるだろうな。訓練を受けた暗部である以上、任務に失敗した末路というのは定番だろう。だから生きる意思があるのなら私に屈服するしかないのだ。