2:まったく頼もしいこと
まだまだ月の高い頃合い。
父の住まうパサドーブル城から脱出して来た私レイアは運転席でハンドルを握っている。
何の運転席かと言われればもちろん私のもうひとつのボディ。城の庭に鉄巨人として飛び込んできたニクスのだ。
もっとも、一体化を解いた今は、シルバーにアイスブルーの色が輝く流線型の四輪自動車というもう一つの姿であるが。
そう。このニクスと私レイアが一つとなる事で鋼鉄の女巨人戦士ニクスレイアは完成する。いや、厳密に言えばニクスレイアの魂がレイアに、体がニクスに分かたれている、となるか。
パサドーブル城の応接室にあったあの絵画。あれに描かれる神話の戦いの場に、かつての私もいたのだ。そして戦死した私は何の因果か、こうして二つに分かれた形で生まれ変わりを果たしたと、そういうわけだ。
このニクス、当然私のもうひとつの体であるのだから、運転席でハンドルやアクセル、ブレーキの操作をする必要はどこにもない。ここでドライバーを装っているのは単なる気分の問題だ。
そうしてハイビームのヘッドライトが照らす砂利道を走らせていると、前方に微かな明かりが見えてくる。目的地であるパサドーブル城下から程近い宿場だ。
目的地、と言ってもここで一泊するつもりはない。拾っていかなくてはならないのをここに待たせているのだ。
と、光の漏れる石と木を組み合わせた建物の間を抜けていけば、正面に伸ばした光の中にこちらを見つめる人物が。
きちんとしたエプロンドレスを身につけた、長い金髪の彼女の前に私はニクスを停めて窓を下ろす。
「やあ彼女、乗っていくでしょう?」
「レイア様! よくぞご無事で!」
せっかくのジョークなのに期待してた反応ではなかった。その事にちょっとした肩透かし感を受けながらも、この心からの安堵に顔を綻ばせる娘を助手席に迎える。そうして彼女がドアをしっかりと閉め、以前に私が言いつけた通りにシートベルトをセットしたのを確認して、私はニクスのタイヤを回し始める。
「それにしてもミント、よくぞご無事でとはまた大袈裟だね。この程度の案件でこの私がどうにかなるとでも?」
「いいえ。もちろんこのミント、レイア様のお力は信じております。しかし万に一つの、もしもの事が無いとも限らない以上は、どうしても主の安否が気がかりになるものなのです!」
運転する私の膝に乗るような勢いで熱弁を振るうのは私の忠実な側近であるミントだ。
幼い頃に縁があり、第一の配下として迎えて以来、こうして並々ならぬ情熱でもって側に仕えてきている。
白い頬に紅を増し、血筋に由来する細長く尖った耳を荒い鼻息と共に上下させるその様は、同じ十六歳であるが愛らしく感じる。
が、そんなミントは燃えるような赤い目を下に落とすと、とたんにその顔から熱を失う。
「れ、レイア様……ところで、その衣装は……?」
「うん? ああなんだ何事かと思えば。荒事になったのだからこうもなる」
ミントが震える瞳で見つめるのは私の身を包むドレスのあちこちにできた裂け目だ。まあ刃が当たったせいというよりは、私の体さばきのために内側から破れたものがほとんどだろう。
「荒事と!? な、なぜそのような!? 父君は何をなさろうと……ッ!?」
「さて、お小言だけならば帰らせていただくと言ったらば取り押さえろと剣や弓を向けられたのでな。そう言えば理由を問い質しては来なかったか」
「な、なんとぉ……ッ!? なぜ、なぜそのような……問答無用で……!?」
「落ち着きなさい。私としては想定どおりなのだから」
そう。父の呼び出しに対する動きとしてはすべてが予定どおりだ。父上の動きを含めてだ。
我がミエスク煌冠家の領地であるパサドーブル州。その僻地として扱われていたラックスの村。その発展が目障りになったと言うのが今回の父テオドールの動機だろう。
およそ七年前。私が九つの頃にテコ入れを初めて以来、かの村とその近辺は急速な発展を続けている。
スメラヴィアの西隣の国家モナルケス、そして巨大湖ルシールを挟んで魔族領とも接した、不安定極まると半ば見放されていた土地がだ。
しかし私がやったことと言えば単純明快。新しい農具の支給と輪作を指示して農作物を増産。効率化して生じた人的余裕を活かして特産品の製作に従事。陸と湖の魔獣の間引き、賊の討伐をして治安を安定。その際に賊堕ちしかけの傭兵団などは増産した食糧や特産品売却で作った財でもって私兵として囲いこむ。
これだけの、本当にただ単純に普通に暮らしていける土壌を整備しているに過ぎないのだ。
こんなやり方で積み上げた財でラックスの村を父から私領として買い取り、ここ数年は近隣の村々にもこの豊かな暮らしを広げているわけだ。が、これが父には黙っていられないほどに目障りになってきたということだ。
「なぜです? レイア様に売り渡した村が中心とはいえ、領内が豊かになるのなら父君にとっても良いことのはず……」
「良い疑問だわ。そう思うのは極々当然。もっとも、トニトゥル・エクティエース・ミエスク家全体の評判が上がっているのならだけれども」
残念ながら評判が上がっているのは私に偏っているのだ。
なぜなら私のテコ入れの成果が上がっているのはラックスとその周辺ばかり。パサドーブルその他の州ではほとんど導入されていないからだ。
初期投資を敬遠している事と、軍馬生産を中心とした従来の事業への固執。そしてご自身のつまらないプライド。すべては父がそのあたりを優先した結果なのだが、それで私の政の足を引っ張ろうとするだけではな。たしかに最上位貴族の煌冠という大身故のしがらみというのも多かろう。だがそれで権を振るう事が出来ないようではな。
「そんな……レイア様を褒め称え、時には娘に従う事を選ぶ事だって……」
「それができるほどの大物なら、私の誕生前から領内は大改革が行われていただろうね」
まったく。私としてはこうなるように仕向けていたところもあるというのに、ミントの方が胸を裂かれたように苦しむとは。
「……では、レイア様は今回のテオドール様の暴挙でもって、御家の実権を取りに?」
「いやそれでも所詮は令嬢と当主だ。私の政の評があったとして、私が父に弓を引いたという号令に動く者の方が多いだろう。弓で狙ってきたのは事実でもあるしな」
「では逆に父君に動くきっかけを与えてしまったと!?」
「ええ。計算どおりにね」
この返答にミントはまた一瞬面食らった顔を見せる。が、すぐにその表情は反転。逆に欠けていたピースが見つかったかのような顔になる。
「ではレイア様が今回応じたのはすべて父君を挑発するためだったと? ではラックス村を立つ前に指示していたのは……」
「捕まえ損ねた娘を追いかけてくるだろう領主様を誘い込むための布石だな」
さすがに長く私の傍に仕えているだけの事はある。合点が行ったのならミントの顔にもう動揺はない。むしろ私を真っ直ぐに射貫くように見つめてきてさえ。
「状況はおおよそ把握いたしました。ですが最後にもうひとつ。どうして御身を釣餌になさるようなマネを?」
「これが誘い出す上で一番安くて早くて確実、もっとも効率が良いから……だな」
私が単身で赴く事で、餌としての効果は確実。さらに離脱するにも犠牲は無い。少数精鋭でも軍を動かせば当然その分の負担が生じる。そんなすべてに配慮した、完璧で隙の無い理論の上での単独行動だ。だと言うのにミントのこの目に見据えられてしまうとどうにも居心地が悪い。見落とした致命的なミスを責められているような気さえしてくるのだ。
未だにじっとりと視線を外さずにいるミントだが、やがて浅くため息をひとつ。観念したかのように頭を振る。
「……過ぎた事は仕方ありません。レイア様の判断も正しいのでしょう。私たち臣下はただ貴女が進む未来へ共に歩むまででございます」
「ああ、頼りにしているぞ」
「……ですが、破れたドレスの修繕にかかる分はレイア様の私費から引いておきますからね」
「う、うむ……」
抱えたものを飲み込まれた上でこう言われてしまっては、私としてもうなずく外無かった。