17:時には異なる視座に立つのも重要だ
「ニュクスさん! 後ろ!」
うん? ああ私か。
少年神官ラーズに伝えた偽名のせいでピンと来なかったが、私の体はすでに後方からの気配に後ろ回しの剣を叩き込んでいる。
遠心力と肉厚の刃の重みのかけ合わせとなったそれは、泥と埃にまみれた野盗の体を両断する。
上下に泣き別れになりつつあるそれを視界の隅に流して、私は一回転した勢いを活かして剣切り上げを。
この一閃が私の背を狙っていた剣を、その持ち手ごとに切り飛ばす。そしてその痛みと喪失に顔を歪め始めた野盗の懐へ潜り込む。
軽く押し当てた掌。しかし踏み込みと我が身に波打つ力を乗せたそれは隻腕の賊を爆発的な勢いで吹き飛ばす。
「こ、この女、強すぎるッ!? に、逃げろ……逃げろぉ!?」
逃がすと思うか?
生きるため食うために他の手が無かった。そこまで追い詰めたのは政の責任だ。だが賊としてまっとうに生活するものを食い物にして恨みを買い集めた以上は、その責を取ってもらう他ない。
まだこの郡は私の統治下でも無いことだからな。
そうして我先にと私に向けられた背に順番に刃を入れていく。
そうして賊どもを逃さず確実に始末し終えた私の所へ、頭の潰れたのを引き摺ったラーズがよってくる。
「助けて頂いた時もそうでしたが、凄まじいですねニュクスさん。ほとんどお一人で倒してしまって」
「まあ女だてらに傭兵などやっているからにはこれくらいはな。ラーズも波動で治癒さえ済ませてしまえばその通り、賊程度には遅れを取らないじゃあないか」
「いやあ。ニュクスさんが引き受けてくれたおかげですよ。僕一人じゃあまた囲まれて今度こそダメだったかもです」
照れるラーズだが、引きずる賊にはしっかりとトドメが刺してある。この若さで油断無く沈めて、甘さに技を鈍らせないのは大したものだ。風神神官、それも伝書神官にとっては野盗はまさに不倶戴天。徹底的に仕込まれているのだろう。
しかしだからと言ってこんな治安では確実に生き残り続けられるとは限らない。私の領であればこれだけの教育をむやみに無駄にする事も無いだろうに。
「……まったく、もったいないな」
「そうですね。彼らも開拓なり、魔獣狩りなどでまっとうに働いていれば、魔獣として駆除される事も無かったでしょうに。ですが、野盗など生かしておいて百害あって一利なし。見逃すべきではありません」
おおっと、なにやら勘違いをさせてしまったか?
どうもラーズの中での私はずいぶんと慈悲深い女になってしまっているようだ。まあこの程度であれば好きに幻を見せておいて構わんか。
「ラーズの言う通りだな。しかし、見習いでありながらそこまでの分別を身につけている君ならば、もっと丁重に育てられてもおかしくは無いだろうに」
そう言って賊の遺骸の後始末に入る私に、少年神官は目をぱちくりと。しかしすぐに苦笑交じりに自分の引き摺る賊の弔いに。
「いやそんな僕なんて。風神様の御使いとして言葉を届けに回るこの御勤めも気に入ってますし。それはもちろん野盗退治もおまけでつくような事は無い方が良いですけど。それに僕は魔人混じりの孤児ですから。こうやって神官として御勤めをさせてもらえるだけでありがたい……っていうか」
「魔人混じり? 私の知り合いにもハーフがいるが、ラーズはまったくわからなかったな」
「そうなんですか? 僕は混じってるって言ってもだいぶ薄いみたいですし。見た目からすぐに見破ったって人もいませんから不思議じゃないですよ」
私の言葉を受けてラーズはその笑みを柔らかくする。
しかしそうか。どこであっても血統というのは付いて回るものだな。それで能力あるものが埋もれるというのはまったく嘆かわしい話だ。
もちろん家柄で施せる教育の質というものはある。民と貴族、さらには貧富差によって自然と教育にかけられる時間と資金に格差は生まれるものだ。
そして出自の怪しいものを取り立てるリスクというのもある。間者というのはどこにでも紛れ込むものだが、やはり出自を問わずに身内に入れていればそれはやりたい放題だろうとも。
家柄や出自というのはそうした所を実に分かりやすく保証してくれるからな。
もっとも、その保証を裏切る事例など枚挙に暇がないのだが。
私が知るかつての世界でもそうだ。秩序と混沌、保守と改革、守護と攻略。そんな大きな二つの陣営に別れて争っていた機械生命体たち。生産されたその時からどちらに与するかを定められた私たちであるが、鞍替えや離脱、下克上を企むような事例と無縁では無いのだ。
私とて上から命じられる、暴力と恐怖を第一とした侵略と支配の非効率さにはほとほとうんざりとさせられていた。曖昧な立ち位置の連中相手なら、協力か滅亡かを強いるよりも、進んで協力させるようなやりように持っていく方が明らかに効率はいい。少なくとも敵対させないだけならばもっとやりようはある。
潜在的な敵を残さない。そんな目論見があるにしてもだ。自分たち以外のすべてを滅ぼした後の事を考えてみればまさに不毛だと言っていい。
思い出してきたら段々と腹が立ってきたな。
自分の方針だけが最高だと信じて、忠実なるイエスマンしか重用しないあのクソ頭領。そんなクソ頭領にゴマすりしながら寝首をかこうと狙って、その割には姑息なだけで効率の悪い策しか出せないアホ参謀!
仮に私のように何らかの器に宿っていたとしたら絶対に表に出てこれないように、擂り潰してやる。
「ニュクスさん? どうかしましたか?」
こんな内心の苛立ちが手に出てしまっていたらしい。土に帰すのとそうでないのを荒っぽく分別してしまったのをラーズに見つかってしまった。
「ああ、ふとイヤな連中の……かつての上役の顔を思い出して、少しな」
嘘の無い、しかしぼやかしたこの言葉に、ラーズはその想像力を働かせて痛ましげな表情で納得する。
うむ。踏み込むべきでないと判断した所には踏み込まない。やはり利口な少年神官よ。
そうして私たちは仕留めた野盗を野ざらしにするよりはマシな状態に処理を済ませる。
放置して獣に始末を任せるのでは人の味を覚えたヤツの縄張りを広げる事にもなるし、何より不衛生だからな。遺体を粗末に扱わぬようにとする教えも、このマナーを習慣付けるためのものよ。
「……風よ。彼らの魂をあるべき場所へ導きたまえ」
墓標も何もない、平らに固めて朽ち葉を被せたそこへ、ラーズが略式の聖句を唱えて仕上げを。エピストリの伝書神官に返り討ちにあった野盗としてはごく普通の弔いだな。
さて、必要な後始末とはいえ時間を取られ過ぎたか。荒れた道を踏みしめて近づいてくる新たな一団があるな。
「そこの者、何をしている?」
横柄な誰何の声。これに私とラーズが振り返れば、紋章旗を掲げた集団が。
坊っちゃん指揮官の掲げていたモノと同じ図案を掲げた十人ほどの分隊。巡回警備の分隊か、機動性を重視した皮鎧を装備している。が、その着こなしと来たらどうだ。手入れも甘く、留め具の固定も緩い。先ほど埋めた野盗と大差ない、旗を掲げてなければ先手を打っていたところだ。
私配下の巡視隊でこんな有り様であれば懲罰ものだぞ。しかし、組織が膨らんで隅々まで目が届きにくくなれば無理もないか。私も気を付けねば。
「伝書神官のラーズとその道中で護衛を引き受けて下さった傭兵のニュクスさんです。ただいま襲ってきた山賊を討ち果たして後始末を済ませたところです」
私が自戒している間に、ラーズは正直に身の上を語る。まあここはそれが正解か。コイツらが本物の貴族の治安部隊にせよ、そうでないにせよ。
「その伝書はどこへのものだ?」
「そちらの御家に届けるものです」
「この封印は確かに……ご苦労! ではこの文は私が預かろう。確かに届ける故その方らは引き返されるがよい」
分隊長らしい比較的身綺麗な男が奪い取ろうと出した手を、ラーズはスルリとかわして私のそばへ。
「せっかくのご親切ですが、それはなりません。御家に確かに渡すまでが勤めですので」
「何を、そんな融通のきかぬ事を。こちらが確かに渡すと言うのだからそれで届けたとすればよいのに……」
「いいえ。それはできません。僕自身が間違いなく届けなくてはなりませんから」
キッパリと言ってのけたラーズ。それに対して巡視の分隊長は部下と共に一斉に武器を抜く。
「ええい! こちらに渡せと言うのにッ!? ぐわッ?!」
そして力ずくで奪い取りにかかる分隊に、私は波動術で起こした砂埃を浴びせ、ラーズの手を引くのであった。