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15:きな臭い話

「捕虜の返還交渉はつつがなく終わったわけだが……次はどこから手をつけるか」


「これでつつがなくって本気で仰るのですか?」


 館の執務室。よく磨いた上に塗料を重ね塗りにした光沢のある机で活動方針を示した指示書を書く私に、ミントが顔を近づけて精一杯の圧力をかけてくる。かわいらしい。

 そんな彼女の手には今回の戦と、その始末に使った物資や費用をまとめた資料がある。が、どこに疑問が?


「仲裁のために皇家に取り次ぎを依頼したレガトゥス・メラニー家、そして皇家へお贈りしたプロトスティウムの像をはじめとした贈答品。そこから陛下の代理人である冠持ち様と陛下への追加の品。ここまでは良いです、予定どおりですから。ですけれど、捕虜にした人たちを大したお金も取らずに全員引き渡しというのはどういう事ですか?」


 ああ、なるほどそう言う。

 坊っちゃん指揮官らの捕虜たち。彼らを迎えがくるまで充分に食わせる事。これは当然タダではすまない。

 食べさせるだけでなく、消耗した生活必需品も彼らに渡さなければ他に活用法はいくらでもあった。

 それだけ手をかけ、品をかけて、身代金としては相場を下回る破格の安値で引き渡したのだ。赤字を出して引き抜くと言っていた人材を手放したように見えるこの状況。この程度で小揺るぎするような領地経営はしていないが、混乱もするか。

 良い質問だと頭を撫でようとしたら避けられた。


「答えは単純。それもまた布石だからな」


 根無し草ならばともかくとして、彼らは立場もある正規兵。捕虜として捕らえたままでは鞍替えなど出来ないからな。

 特に、私の欲しいアランは経験豊富な熟練のつわもの。壮年まで冠持ちの軍で勤めたのなら養う家族もいる事だろう。他に私が直々に声をかけた者も、我が軍の待遇にヨダレを滴しながら己一人だけではと言うものばかりだった。

 身代金回りで負担をかけなかったことで、借りの少ない主家との鞍替えのハードルもますます下がった事だろう。

 しかしまあ、肝心のアランからは最後まで勧誘の色好い返事は聞けなかったのだがな。しかし主の次代がどうであれ、忠義を曲げないその姿勢はますます気に入った。


「だとしても、むしりとってしまっても問題無かったはずでは?」


「それで父とその配下の懐に痛手があるのは確かにな。しかし私は皇の使者に格好をつけさせてもらうのを選んだ」


 カッコつけ、と一言で済ませてしまっては聞こえは悪いが、要は使者から私が捕虜の身代金で毟ろうとする領主でないと皇とその周囲に伝えるのが目的だ。

 徳を備えた人格者だと見られるかはともかくとして、少なくとも身代金程度の二束三文などどうでもよいと出来るだけの経済力は伝わる事だろう。

 それに、私が身代金で譲歩した分、父はこちらに配慮をしなくてはならない。こちらが一方的に作ったとはいえ貸しは貸し。それに甘んじて調整を怠るようでは、あの家は借りたものを返さないと貴族社会での信用を損なう事になる。

 もっともこれは厚顔無恥な人間には通じない手ではあるが。


「父君がそれを、密やかな借りを公然と踏み倒す事を選ばれたら?」


「それはそれでやりようはあるものさ。信用に瑕疵かしがついた事に変わりはない。そこを広げてやればいい。ついでに父が先送りにしている支払いを肩代わりしてやってもいいな」


 貴族家の名前を盾に、信用払いにしている事が実家には山ほどある。それを肩代わりに支払う孝行娘とその父親。取引をするならどちらとだろうな。このように直接の戦などしなくても攻め手はいくらでもある。むしろその方が侵略には効率的ですらある。人材物資の浪費たる戦をしないで良いのだから。

 そうしてほくそ笑む私の顔に、ミントは勢いを失って身を引く。


「分かりました。レイア様がえげつないお考えでもって慈悲を示したというのは。それで、引き抜き工作はこれから腰を据えて行うおつもりという事で?」


「そうなる可能性はある。が、おそらくそうはなるまい。交渉が書面に纏まり、皇都に父と招かれて調印する……それよりも早く、もしかすればすぐにでも状況は動く事だろう。別の政務に取りかかる間も無くな」


「そんなにも早く……? しかし捕虜たちを連れた怜冠様達はまだ立ったばかりでは?」


「もっとも早い可能性の話だ。さすがにそこまで短絡的で愚かであるとは思っていないとも」


 少しでも考える頭があるのなら根回しも何も無しに動くまい。相手に準備の時間を与えない利があることは認める。巧遅よりも拙速が必要な場面がある事も否定はしない。だがだとしても、なんの支度も無しに動くのは幼稚が過ぎるというものだ。

 こう私が締めくくれば、ミントは長い耳を下げて安堵の息を。当然の反応だな。状況が目まぐるしく動いて予定に帳尻合わせをするのを面倒に思わない訳があるまい。

 が、そこへノックの音が。

 特別急いだ様子は無い、ごく普通のリズムでの三回。だがどうにも不吉な気配の拭えない、そんなタイミングでのノックだ。


「メリンダです。レイア様はいらっしゃいますか? お耳に入れたいお話があります」


 うむ。ますます不吉な予感。しかしお知らせに来てくれた先生を待たせる訳にもいかん。同じく嫌な予感を感じているのだろう耳を逆立てたミントと目配せ、来客を通させる。


「あら? お二人とももしかして私がどんな話を持ってきたのかご存知だったりするのかしら?」


「具体的なところは何も。タイミングの問題だ。ちょうど変な動きさえなければ……と話していたところでね」


 部屋へ入るなりに僧帽を乗せた頭をこてりと傾げたメリンダ先生。ゆるい調子ながらやはり敏い神官先生に、私は手がかり丸出しの顔を引き締めつつ、我々の予感が正解か持ってきた話の内容を明かして欲しいと促す。


「引き渡した捕虜を連れたランケア・ウイング怜冠様。彼の御一行がお休みになった宿場から早馬便が出されたわ。それもミエスクの都だけではなく、今回の攻め手を担った者たちの領地にまで」


「なんと!? もうそんな事にッ!?」


 この報せを聞かされて、私は思わず腰を上げていた。


「ど、どうされたのですかレイア様? 確かに手紙なら生存の報せをすでにこちらからも検閲ありとはいえ出させていますが、私たちの目の無いところから改めて出す、というのも……」


「そうだな。おそらくその通りだ。我々の目に触れない内容というのが、私の勧誘を受けていた者たち、あるいはその家族も含めて害するような話なのだろう」


 私の推測にミントが絶句する。

 それはそうだろう。あの坊っちゃん指揮官とそのイエスマンを除き、アランら有望株への勧誘を私は見せつけるように行ってきた。

 主従、戦友関係に溝を掘るためにわざとやってきたこの策だが、あの坊っちゃんがこうまで短絡的だとは。慎重になれる部分も持ち合わせているかと見た私の目が曇っていたか。


「し、しかしまだそう決まった訳では!? 我々の領内の様子を伝えるためかも……」


「そうだな。そうである可能性もある。だが問題なのはそうでない可能性も高いと言うことだ」


 私の言葉にミントは息を呑む。見込んだ人材が、その身内が害される可能性がある。そんなもったいない事態は到底見過ごせるものではない。ミントの言うように私の取り越し苦労ならばそれでよし。これが過ぎた事であるなら報復するのみ。だが防げる可能性があるのに楽観して動かずにいるなど出来ることではない。


「私は単身で……ニクスを使って急行する! 留守は任せるぞ!」


 そうして飛び出そうとする私だが、その行く手をミントが塞ぐ。


「行くなとは言いませんが、任せるのならそれはそれで、留守中の指示を残していって下さい!」


 あ、うむ。

 至極もっともな意見に出鼻を挫かれた私は、改めて着席して出張前に必要な仕事を片付けに入るのであった。

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