14:準備は始める前に済ませるべきよな
誰が呼んだかレイア領。その防衛の要である峠の麓。過日に戦場となったその地に、私はいる。
鎧兜、五人張りに腰の太刀といった完全武装で愛馬セプターセレンの背に跨がる私の後ろにはヘクトルをはじめとした精鋭の騎兵隊が三百。そして彼らに囲まれた捕虜達が。
こうして「雷嵐と女ケンタウロス」の紋章旗を掲げた我らに対峙するのは、当然実家の「雷と青毛馬」紋を中心とした集団。それに属する細々とした紋章旗の中にあって一際大きな、ミエスクを凌ぐ程に大きな旗が。
剣を咥え、王冠を被った竜。これを厚手の紫地に金糸で象った豪奢な紋旗。この旗の持ち主はスメラヴィア広しと言えどただ一人。我がスメラヴィアの皇陛下だけだ。
皇旗を掲げた一団は父の軍から抜け出すと、我々との中間に。そうして戦闘のあった我々の間に天幕を立てるのだ。
「まさか陛下が動くって……そんな大事になってるってんですか?」
「この場に来ているのは旗を預けられた代理人だろうがな。色々と包ませた甲斐があったというものだ。色々とな」
私のこの一言に斜め後方に控えていたヘクトルはギョッと。
内乱にまで行った父娘喧嘩。煌冠家とはいえそれで国のトップを仲介のために動かしたとなれば驚くのも無理も無い。
伝令に呼ばれた私はゆっくりと皇旗の下へ。そうして適切な距離で下馬、兜を脱いで皇旗に跪く。
それに遅れて父からこの軍勢を預かった者も私と同じように皇の旗と代理人に礼を示す。
筋骨たくましいこの男、たしかパサドーブルの一郡を父から預かっている将だな。本人も国から怜冠の位を戴いている人物だ。
「レイア・トニトゥル・エクティエース・ミエスク嬢。及びランケア・ウイング怜冠。此度の争乱、皇は強く御心を痛めておいでである」
「国と陛下の御心を乱したこと、誠に申し訳なく思います。であるからこそ、私と父との間を取り持って頂きたく、御威光にすがらせて頂きました」
この私の言葉に代理人殿は満足げに頷き、怜冠殿は伏せた顔を苦々しげに歪めている。
これだけの状況で察せられるあたり、さすがは一廉の将であるな。
事実はともかく、私レイアは所詮、親の所領のうちいくらかの村落を実効支配して掠め取っている一令嬢に過ぎない。煌冠本家からの討伐軍を退けていようが、少なくともパサドーブルの外ではその程度にしか見られてはいまい。少なくとも皇家が、それも現役の国のトップが気にかけることはおろか、要請を受けて動くことさえ異例中の異例だと言って良い。
が、陛下は仲裁のために御旗を預けた代理人を私の要請で動かしたのだ。
父であっても無視できない後ろ楯が私にあるとこの場での不利を瞬時に悟った以上は、まず下手な事はできまい。
「さて、陛下は速やかな戦の終わりを望んでいるが、その用意はあるか?」
「む、無論……トニトゥル・エクティエース・ミエスク煌冠はもちろん、我らとて無益な流血は望みませぬ。詳細は煌冠様と協議した後に追って……」
「私ももちろん。そのために陛下に骨折りを願ったのですから。そもそもが父が私の買い取った領土を、武力でもって奪い取ろうとしなければ、私とてこちらの怜冠様を出来る限りにおもてなししたことでしょう。それを略奪のための軍とし、無為の血を流させたのは父上なのです」
今回の戦、すべての責はパサドーブルの領主である父にある。この私の主張に怜冠殿は開きかけた口を噤んでしまう。
何故ならば陛下の代理人が私の主張にこそ大きく頷き、大筋を認めるような態度を示していたからだ。
もはや感情のままに反論をしたところで取り戻せるものは無い。理路整然と父の負う債務をどれだけ減らすことが出来るのか。もはやその段階に彼らはいるのだ。
「……しかしながら、ご令嬢のなさりようにも問題があったのでは? 小生は煌冠から年頃であるのだから領主ごっこは終わりにせよ。そう告げたらば弓を引き、大立ち回りに城を飛び出されたと聞かされております。お父君の気づかいと何か行き違いがあったのではありませんかな?」
なるほどそう来たか。正当なる当主である父に弓引いた事実は事実。そこは覆らないが、攻め口としては甘いな。
「怜冠はそう仰いますが、取り囲んで矢を放ったのは父の手勢で、私が父に向けた弓も彼らから揉み合いに取った品なのですが? さらに言わせて頂けるのなら、煌冠家の召し抱えている兵がこの跳ねっかえりの令嬢一人を取り逃がすなど皇国を守護する武家としてありえない話ではありませんか。その上私の率いる少数の兵に翻弄されて壊滅、捕虜を取られるなど……名声に胡座をかき、護国のための練兵を怠っていたと見なされても当然の有り様ではありませんか」
私が父に向けた弓矢の出どころを、さらに武家としての落ち度を語れば、怜冠殿は息を詰まらせる。
現在の技術と兵器で私を相手にしてまともに戦えるはずなど無い。だが結局のところ父は娘を武力で抑えるどころか、逆に手痛い敗北を食らったという評を受ける事に違いはない。
私に負けっぱなしで終わったという事実がある以上、父は「軍を娘に預けた方が良いのでは」などと笑い者になることだろう。
「いやはや、そこはまったくレイア嬢の仰る通り。もういっそ当主の座を譲ってしまっても良いくらいの大人物ではありませんか」
「父にその判断が出来る程の柔軟性があれば良かったのですが。精々が息子であれば良かったのにと思う程度でしょう。まあ亡くなった母とも折り合いが悪かったので、私が男に生まれていたとして嫡子に選んでいたかどうか」
父上と母上は関心の薄い私からも政略結婚としても冷えた間柄であるのが見て取れたからな。
母の没後に新たな正妻を迎えてこそいないが、生前から外に何人も恋人と子を作っているのは知っている。彼女らを迎え入れないのも、たぶんそこかしこに角が立つのを面倒くさがっているだけに過ぎないだろう。
今回の私の行動をきっかけに、一歳下の弟の一人が当主の第一候補として抱え込まれる事になるだろうな。
私個人として、それ事態は別段悪い事とも思わん。婚姻での提携、世襲での組織継承。これが当たり前である以上、国を担う大家の当主として後継者候補はそれなりの数を用意する必要がある。未熟な医療に戦乱と、成人前に落命する原因は万とある。むしろ愛とやらに拘泥して一人娘に全責任を押しつける方が無責任だとさえ言われる世だ。それに私も生前の母も、父に対してはなんの期待もしていない。
「それはそれは。有能な後継者候補に取る態度ではありませんな。そのように信じさせる仕打ちをし続けた事も信じがたい!」
「……それはその……煌冠様にもお考えがあっての事であると愚考いたしますが。いかに有能とはいえ、令嬢が被るには煌の冠があまりにも重い事は事実でありますから」
私の見立てに皇の代理人は大仰に、怜冠殿は控えめに各々の立場を示す。
さて、陛下が私の願いを酌んでくれている事は充分に伝わった事だろう。ここらで話を進めねばな。
「父との具体的な話はまた後程。まず今回は捕虜をお返しするための交渉ですから、そちらを進めねばなりません」
「まったく然り。遠目に見た限り捕虜とされた者達にやつれた様子もなく、丁重に扱われていたように見えましたな。いやはやレイア嬢は仁義にも篤い名将ですな」
「持ち上げ過ぎです。真の名将であればこのような戦など起こさせず、民に血を流させる事もありませんでした。今回の顛末はまったく汗顔のいたりです」
「うぅむなんとも謙虚な。皇家を立てる事も忘れず、さらに高みも見ておられる。陛下に御報告するのが今から楽しみですな」
こうして私と陛下の代理人が和気藹々と語らう中、父の代行である怜冠殿はぐぬぬと顔をしかめるばかり。父が戦いの前の備えを怠ったしわ寄せは気の毒だが、生憎と私に容赦をしてやる理由は無いのでな。小物の反乱潰ししか経験の無い。そんな煌冠様に仕えた不幸を恨むといい。