11:負けてもくじけないのは良いことだがな
「ふむ。後詰めとして接近していた父の軍は間違いなく引き返したのだな?」
「スローターホーネットの斥候隊はそう報告してますよ」
ルカの手懐けた魔虫からの偵察結果を受けて、私はメリンダ先生に目配せを。
これに風神の女神官は僧帽を乗せた淡い茶色の頭を傾げて微笑む。
「前線からテオドール様宛ての手紙は壊滅以来発送もされていないわ。おそらくは敗走兵と合流して散々な敗けっぷりを知って立て直しに入ったのでしょう。もっとも、手紙については風神神殿で把握できている分に限るけれども」
「いや充分。神殿以外の配達人の動きすらも見つけうるエピストリ神殿からの情報だ。メリンダ先生の見立てに間違いはあるまい」
敗走兵からの報告をどこまで真に受けたかは分からない。が、負けて逃げた者が出たのは事実。これを受けてどう攻め手を変えてくることやら。少なくとも封鎖を維持しなくてはと、峠からの街道を塞ぐ軍勢が来る事には変わるまいが。
負けっぱなしでは沽券に関わる。だから名誉挽回に汚名返上をしなくてはならない。煌の冠を頂く立場と言うのは辛いモノだな。
「つまり現状我々としてはやる事は変わらないという事だな」
「それで良いのなら俺としては構いませんけどね。まあ蜂の偵察は続けさせておきますよ」
「私も神殿を通した通信の変化に目を配っておくわね」
「うむ。引き続き頼らせてもらう」
こうして頼もしい味方二人と解散して私は館の外へ。前庭に待たせていた愛馬セプターセレンに跨がり、もてなすべき者達の待つ場所へ。
「待たせたな! 皆励んでいるかッ!?」
「もちろんですってお嬢!!」
私の声に負けじと、ヘクトルらが声を張り上げる。私の誇る精鋭らの放ったこれは、青空の下にあって私に向かい風を浴びせる勢いだ。
ここはラックス村の外れにある練兵場。距離様々な弓の的。歩兵としてはもちろん騎馬試合すら可能なスペース。そして騎馬での弓や槍での的落とし訓練の出来るコースをも備えた、精鋭を作り出す訓練場である。
我が常備兵は有事か治安維持の街道パトロールの他は主にここで基礎練兵を行い、その成績によって俸禄を上乗せする形を取っている。
力強い返事を返し、汗を帯びた体に息を弾ませて暖まってきたといった風な我が精鋭たち……に、対して汗だくになって息も絶え絶えになって倒れ伏した者たちが。そんな彼らへ私は愛馬の背を降りて声をかける。
「そなたらはどうだったかな? 我が軍の訓練を体験してみたいということだったが。体慣らしくらいにはなったか?」
「……それどこじゃ……ないって……見れば、分かる……でしょうが……ッ!」
「それくらい言い返せるくらいには余裕ということか」
「……ん、な訳がない、でしょう! 涸渇……ッ! 絶対的、涸渇……ッ!!」
疲労困憊を訴える坊っちゃん指揮官を代表とした捕虜たち。彼らにもその要求のままに訓練に参加させてやっている。
我が方に寝返るのかそうでないのか。まだどう転ぶかは分からんので、不健康なまでに肥やしてしまうわけにもいかんからな。
まあ彼らとしては訓練を通じて我が軍の情報を盗み出すつもりもあったのだろうが、現状は我が軍とそれ以外の練度の差を思い知った程度だろう。
「さて、中断させて悪かった。皆体慣らしもすんだのなら本訓練も励むように!」
「はえ……? 本番はこれから?」
私の発破に我が手勢が力強い声を返す一方で、捕虜たちのなかからは呆気にとられたような声が。
「まあそうなるよな! レイア様に兵として召し抱えられたばっかのヤツは決まってそう言うんだ!」
「食いっぱぐれは無くなったが、訓練も規律も他とは比べ物にならんからな!」
「レイア様の下で兵としてやってけるようになれば、他家の軍なら最精鋭で最優良の武人扱いだろうさ!」
「もっとも、だからって他に移る気はまったく起きないがね!」
「違いない!!」
そう締めくくり豪快に笑いあうヘクトルたち。
うむ。武力を持った者が野に流れれば賊となる。その直前の者たちを拾い上げた身として、兵たちに離脱の心配がない様子であると言うのは満足感さえあるな。
そんな我と我が配下から、捕虜の者たちは支えあうようにしてわずかに間を開ける。そうして壁となった者を割って飛び出す者が――。
「若! お止めをッ!」
「何をッ!? 放せッ!?」
この唐突な騒ぎに、なんだなんだとヘクトルらが顔を向ける。その際に私の盾となるように並び変える辺りはよく訓練の成果が現れている。
そんな私の満足感はともかく、捕虜側で起きた騒ぎは剣を握った坊っちゃん指揮官を壮年の副官が慌てて組み伏せた、ということのようだ。
「なぜだ! あの女は完全に気を抜いていたぞ! 千載一遇のチャンスだったッ!!」
「そんな事はありません! レイア様にも、その兵にも隙は無かった! 止めていなくては若も我らも無駄死にしたばかり!!」
やはりよく分かっている。実力の差も、無謀な突撃かわずかな勝機への賭けか。この坊っちゃんの下に付けてしまっているのがつくづくに惜しい男よ。
「おうおうおう。ウチの姫さまを暗殺しようって腹だったってぇ事か? ずいぶんとふてえ輩じゃねえかよ」
「姫さまの厚意で捕虜としちゃあ格別の待遇受けてたってのに、コイツはめちゃ許せんよなぁ? やっちまうか?」
「おう! 構う事はねえ! やっちまおうぜ!!」
と、見込んだ人材の質の良さに耽っている場合ではない。我が忠実なる兵たちがずいぶんとヒートアップしてしまっている。
「待て待て、まぁ待て。皆矛を収めよ」
「しかしお嬢! なめたマネしでかしたコイツを許したらつけあがる一方ですって!」
「ヘクトル、それに皆の忠義は嬉しく思う。だが狙われたのはこの私で、皆の主もこの私だ。私の決定に従ってもらおう」
私が重ねて宥めれば、練兵場の部下たちは渋々ながらも振り上げた槍を下げ、剣にかけた手を離してくれる。
その事に改めて感謝を告げつつ、私は襲撃未遂をした軽率なのと、それを押さえたままでいる副官の前に。
「レイア様……補佐としてついていながら無謀な試みを諌められなかったこの私の責任! 恥を忍んでお願いいたします。どうかこのアラン・ブルースの首ひとつで、残る者たちにはお許しを頂戴したく……!」
取り押さえた姿勢のままに私の慈悲を乞うアラン。
しかしその条件は困ったな。私が部下に欲しいのはむしろアランなのだからな。
「頭を上げよブルース殿。あの最後の突撃を事実上率いていたそなた程の兵をこのような事で失うのは惜しい。手打ちにするのにはもっと良い手がある」
これにアランは素直に顔を上げ、驚いたように目を瞬かせる。一方でその下に抑えられた坊っちゃんは私をにらみ続けている。
「捕虜の身にあってもなお大将首を狙う旺盛な戦意は見事。それほどの戦意では、どのみち封じ込めたままにはしておけまい。よって私との試合を行う事とする」
この決定に捕虜たちは驚きどよめき、ヘクトルらからは嘆息が漏れる。しかしそれは私の沙汰の甘さを嘆くというよりは、むしろ試合を組まれた捕虜たちへの同情の色が強い。
「その試合で俺が勝てば、この場の事は無罪放免って事か? お優しいレディだ事で。それで試合って事だが、最中の事故で万一のことがあったら? その場で全員処刑か?」
負ける事を考えないとは。戦を直前にした者としては正しいか。だが我が兵ら、そして彼の副官であるアランからの目には呆れの色さえある。
「無論。どれだけ安全を考えようとも武を競う以上不幸はつきもの。どのような事があろうと勝利を蔑ろにはしないと約束しよう」
「その言葉、確かに聞いたからな!」
言質を取ったと言わんばかり。そんな改心の笑みだが、どんな秘策を持って試合に挑むつもりなのやら。少しは楽しませてもらえるのかな?