1:我が覇業の鏑矢
白く、眩しい程に磨かれた石の壁に覆われた空間。
足首まで届く程の毛足の長い絨毯に、分厚く滑らかなカーテン。中央の白地に金糸刺繍の施されたソファに、それと調和する白いローテーブル。煌びやかで、実用性と言えば旗印代わり程度の豪華な鎧兜に盾や大槍たち。そして、金色の額に縁取られた精緻な絵画。
そんな来客をくつろがせもてなす。のではなく、力を見せつけ威圧する。そんな目的が透けて見える応接室にて、私は出された茶を口に。
一点ものの白磁からスルリと流れてきた茶は、温もりと豊かな香りを届けてくれる。
やはりスメラヴィア皇国内の貴族位最上位、「煌」冠号を背負うミエスク家だけの事はある。茶葉の質、加えて淹れた者の技量。どちらも変わらず素晴らしいレベルを保っている。
実家の格式にこだわったモノを見せつけようという態度は相変わらずだ。が、それは常識であり、そのおかげで私も旨い茶にありつけるのだから良しとするべきか。
そう、実家だ。
私の名はレイア・トニトゥル・エクティエース・ミエスク。この城の主、ミエスク煌冠家の長女である。
無音でカップとソーサーをテーブルへ戻した私は曇りひとつ無いように磨かれた鏡に眼を。
そこには190セルトに届こうかという長身をソファに預けた女が。
豊かでまっすぐな白銀の髪。切れ長の目に輝くアイスブルーの瞳。透けるがごとき肌にスラリとした目鼻立ち、シャープな顎のラインも加わって、十人が十人切れ者の美女だという印象を抱く事だろう。
そして纏ったドレスを押し上げるこのプロポーション。
強固な骨格と筋肉を下地に、豊かなところは山と盛り、絞るところは引き締まったメリハリの利いたグラマラススタイル。ある種の芸術と称しても過言ではない。
そうして我ながら惚れ惚れする美貌を堪能したところで、眼を壁掛けの絵に。
渦を巻いた空を中心に、色とりどりの鎧兜を纏った男女の戦士たちが同じく甲冑姿の敵の群れともつれ合う、闘争の様子を描いた絵画だ。
傷つきながらも勇猛に戦う者らは雷光などの光を身に帯びて。それらに踏みつけられながら、刃を突き立てる者共は黒雲とでもいうべきか、淀んだ気を纏って。
神聖さと邪悪さ。あからさまなまでに善悪二元に分かたれたこの図は、まさに神話の闘争を描いた宗教画だ。
エスカレートするままに世界を一度無に帰し、そして再生のきっかけとなったという「始源の闘争」を描いているのだという。
しかしこの絵を見たのもはじめてではないが、雰囲気はあると言えなくもないとして、それでもまるで違う姿に表されているかつての同胞らの姿を見るというのは、抑えが効かぬ程に笑いがこみ上げてくる。
そうして時間を潰していると、小気味良いノックと支度が整ったとの報せが。この呼びに来た侍従の後に従って、私は小さな窓から差す月明かりと燭台の火に照らされた石造りの廊下を進む。
しかし、この先導役の侍従の足運びは……父が私を呼び出した理由はやはり、か。
程なく父の待つ広間に通された私は、最奥の椅子にもたれ掛かった男へドレスの裾を持ち上げて一礼を。
「御無沙汰しております。テオドール・トニトゥル・エクティエース・ミエスク煌冠。月も高くになる刻限の到着をお許しください」
「……まったく口先ばかりは慇懃で、どこまでもふてぶてしい娘よ。いったい誰に似たことやら」
当主に向けた口上を述べた私に、私と同じ銀髪青目の男が苦々しく鼻を鳴らす。
金銀で飾られた椅子に深く腰掛けた細身の壮年。しかしひ弱な印象はない。生地と仕立ての質の良さが一目で分かる行軍服の下には、鍛練によって無駄なく絞られた歴戦の将の肉体がある。
先祖伝来の稲妻と青毛馬の紋章旗を背景にした私の今生の父は口元に揃えた銀の髭を撫でつつ右左と目配せ。そちらには武装を固めた護衛兵が。
「なんと恐ろしい。娘を迎えるのにこのようなものものしい用意を……」
わざとらしく警戒して見せれば、護衛の兵たちは焦って剣に手を。
他にも梁の上、カーテンの裏にも控えた者がいるようだ。
そうして私が配置を把握したのを知ってか知らずか、父テオドールは眉間の皺をまたひとつ深くして護衛たちを手で制する。
「戯言を。幼いころから剣やら弓を手に野山を駆け、魔獣を仕留めてきたお前がか?」
さすがは実父というべきか。ふざけたふりをして誘いをかけたのを空振りにしてくれた。もっとも、私に潜めていた配置を見切られただろう事も察して不機嫌な顔もそのままだけれども。
「あら懐かしいお話ですこと。我ながらずいぶんとお転婆をしてきたものです」
「それは現在進行形でだろう。ドレスよりも鎧を着る時間の方が多いような娘であり続けているから十六にもなって婚約者もできん」
「必要ありませんもの。少なくとも、私よりも武芸、特に弓馬に拙いような者ではミエスクの婿として認められないでしょうに?」
父の投げてきた非難を、武勇名高く将として名を上げた皇弟の末裔たる我が家にとっての至極当然な理由でもってはたき落とす。これに父上は顔の苦みをより深くする。
それもそうだろう。
私が多少腕が立つ程度の姫騎士であれば、いくらでも鼻っ柱を折る伝はあったはず。が、私は違う。父上が直々に鍛えた若手の有望株の数々に国一番と名高い剣豪まで下してしまったのだから。
そのまま返す言葉もなくうなる父上に、私は再びのカーテシーを。
「御用件がそれだけなのでしたら私はすぐにでもお暇させていただきます。あいにくと私の治める地はまだまだ見守る目が不可欠でありますので……」
「いや待った! だとしてもこんな夜更けに出立することもあるまい! 今夜は城に……」
後退りに退出をしかけたところへの食い気味の待った。これに私は姿勢を崩さずに首を横に振る。
「いいえ。私はもはや半ば独立を果たした身。いつまでも父上に守っていただくわけにも参りません。それに、パサドーブルの城から私の治めるラックスまでの道には我々の威光が行き渡っておりますもの。今さら賊や獣の心配など無用でしょう?」
まあ私が徹底的に掃除した結果なのだが。もちろん片付いた後の巡回も寄越した上での事だ。
それにしても実に良い小遣いと人材稼ぎになった。街道の治安も安定して物流も滞りなく民からも喜びの声が。なぜか、その感謝の声は私に向けて集中していた気はするが。いや父上も無法者の討伐には力を入れていたはずなのだけれども、まったく不思議な事だ。
その事実を思い返してか、父上はますます苦い顔で口髭をねじりはじめている。どうやら挑発が効きすぎてしまったかもしれない。
これ以上は言葉をかける必要も無いだろう。
そう半ば手心を込めて、私は改めて退出のために動く。これに合わせて父の手が上に。
これを合図になった風切り音と同時に私は身を翻す。飛んできた矢をつまみ、合わせて伸ばした足で迫ってきた切っ先を蹴り飛ばす。
つまんだ矢は飛んできた方向へ投げ返し、正面に短剣を抜いた侍従へ踏み込む。
「バッギャアァッ!?」
「折れたぁあッ!?」
驚きと痛みの悲鳴が上がる中、私は掴まえた侍従の手を軽くひねる。切っ先を彼自身に向けさせたそのままに体を押し込む。が、彼は反射的に後退りして刃が食い込むのを避ける。
そんな彼の手をひねったまま足を払えば当然尻もちを。その隙に緩んだ手から刃物を掠めて投擲、私へ迫る兵の腿に刺す。
そして彼が苦悶に鈍ったほんの一瞬の隙に剣の内側へ、鎖帷子のじゃらついた感触の胸を押す。空気の漏れるようなうめきを残して飛んだ味方に巻き込まれる者たちをよそに私は梁から落ちた射手から弓矢を奪い取り構える。
この鏃が指す先は、もちろん我が父テオドールだ。
「丸腰の令嬢一人を武器を持った男たちに襲わせるだなんてどういうおつもりですか、父上?」
「あっさりと返り討ちにしておいてどの口が……お前を取り押さえるにはこのくらいは必要だろうと見積もったが、不足だったか」
そう言う父上は、目論見が外れてさらに苛立ちを募らせているようだけれども抜いた剣を片手に護衛の陰に。
この辺りは将としてさすがだ。
私が今引いているのは弓騎兵用の短弓。軽く取り回しを重視したこれは威力に乏しい。護衛が盾になって庇えばその後ろに致命傷を負わせるのは難しいだろう。
「私を取り押さえてどうするおつもりだったのかは知りませんが、なんにせよ私と私の民にはロクな事にはならなさそうですわ、ね!」
「な、待て!」
もはやこれまでと矢を放った私は、父の制止の声を振り切って扉を蹴破る。さらに立て続けの飛び込み蹴りで窓を割って中庭へ。
砕けたガラスが月明かりに瞬くのを払うように私はドレスを翻して宙を舞う。そうして足から膝、肘や肩と代わる代わるに芝生へ。こうして着地の衝撃を全身へ分割して片膝立ちの姿勢に落ち着く。そんな私の周囲には槍を突き出した衛兵たちが。
なるほど。私がこうやって離脱するのも見越して備えていたと。ここまで手を回されていてはもうどうしようもない。私が秀でた身体を持っただけの人間であったならば、の話だが。
ここで中庭の私とその包囲網に影が覆い被さる。月明かり、そして篝火を遮り闇を濃くするこれに何事かと顔を上げた者は、悲鳴と槍を放り出して散る。
そして居残った恐れ知らずを吹き飛ばす形で鋼の巨体が私を覆う形に着地する。
光なき眼で私を見下ろすそれは女型の鉄巨人。銀色をベースにアイスブルーの差し色の入ったそのボディ。各所に車輪を備えたそれは金属光沢を放ちながらも、細身でしなやかだ。
そんな冷たそうな金属の巨体に私は手を触れる。
「……リユニオン」
そのキーワードに続いて私の令嬢としての肉体は無数の粒子へ変化。鉄巨人の隙間に吸い込まれるように入っていく。
そして私の目が開く。元の数倍の体躯がもたらす高さの視界が私のものに。
「残念だったな。今度会う時には私の民としてであることを願うよ」
そして周囲に倒れた兵たちにひと言送って腕を一振り。手首から伸ばしたエナジーウイップで巻き上げた土煙を目眩ましに、私「ニクスレイア」は城壁を軽々と飛び越すのであった。