黒猫珈琲店
時刻は昼過ぎ。この頃雨続きだった天神はようやく天をちらつかせ、カーテンの隙間から「おはよう。」と声をかけてくる。その声で目が覚めて、時計を確認する。珍しく良い夢を見ていた気がしたので、思い出そうとしたが、昨日のジンが二日酔いというカタチで僕の頭にのしかかっていたので、考えるのをやめた。どこからがパーマでどこまでが寝癖なのか分からない髪を結び、いそいそとベッドを後にする。
ビートルズを聴きながら寝起き煙草をふかし、シャワーを浴びながら、今日はなにをしようかと思案する。久しい晴天に似合うレジャーをあれこれ考えてみたけど、根っからのインドア気質の僕にはどれもハードルが高く、結局行きつけの喫茶店で本でも読もうということになった。セットを面倒がった髪はマルシェハットで隠し、Papasのコーデュロイシャツを纏って外に出た。
行きつけの喫茶店は家から徒歩5分もない。猫好きのご夫婦が営むその店は、食器からオブジェまで猫で溢れていて、おまけに本物の猫がご飯をもらいに裏口から入ってきたりする。令和に珍しく喫煙も許されていて、珈琲もカレーも美味しい。本当に非の打ち所がない、僕の大切な空間だ。入口のドアを開けると、マスターが朗らかな声で出迎えてくれた。テーブル席は埋まっていたが、カウンターはまだ何席か空いていた。そのうちのひとつに座り、珈琲フロートを注文する。フロートの、少し凍ってシャリシャリした部分を最初に食べるのが好きだ。それから、徐々にアイスが溶けだして、珈琲が甘くなっていく過程が好きだ。最初から最後まで、ちゃんと楽しむ余地があるって素敵なことだ。何事においてもね。
気が付くと空は、黒猫と同じくらいの黒を纏っていて、どれだけ読書に耽っていたかが伺えた。伸びをして、凝り固まった身体を弛緩させ、お会計のために財布を開く。すると、紙幣の奥から、この喫茶店のスタンプカードが出てきた。カードには最後の欄までスタンプが押されていて、その下に「ドリンク一杯プレゼント」と書いてあった。嬉しいと思うと同時に、しまったとも思った。これでは、タダで何時間か居座った客になってしまう。そう思った僕は、入口の脇にある棚を眺めに行った。ここの棚には、缶バッチやらポストカード等の猫グッズが陳列されている。せめて何か買って帰ろうと考えたのだ。すると、棚の中の、黒い額縁に入れられたA4サイズの絵が目に止まった。そこには、ビートルズの「Abbey Road」のジャケット写真に紛れ込む猫が描かれていた。笛を吹きながら彼らを先導する猫、路上で縄跳びをしている猫、人目を気にせず踊る猫など、自由を体現するその猫たちを眺めるうちに、妙に気に入ってしまって、結局絵の代金だけ払って店を出た。
全く、せっかくポイントカードを貯めたのに、変に気をつかって、結局珈琲よりも高い買い物をしてしまった。不器用な人間だなと思いつつも、そんな自分が好きだったりもする。帰り道、シャッフル再生を垂れ流すイヤホンが、あの子の目覚ましの曲を歌った。「おはよう、もう昨日だよ。」
夜は煌々としてカギしっぽを丸めている。