9 見誤っていた人物像
時計の針が夜九時をまわった頃、いつものように石碑のもとに向かうと、手折られた木の枝で隠すようにして、大きな革袋が置かれていた。
不思議に思いながら、袋の口の紐を解いてみた瞬間――。光の玉が飛び出てきて、ひっくり返ってしまった。
「キャッ……!? な、何……!? 何これ!? 妖精!?」
妖精と思しき光はクロアの周りをチョロチョロと飛び回る。動きが早くてカウントするのもやっとだが、三、四匹はいる。
「コウモリさんの悪戯……!? 妖精って捕まえられるものなの!?」
いつもとは違う趣きに、動揺しながら袋の中を確認すると、スカーフに包まれた板のような物が入っていた。
この大判のスカーフは色合いといい、飾り気のないシンプルさといい……男物に見えるのは気のせいか。
いよいよ怪訝な思いを深めながら、恐る恐るスカーフの包みを開いてみる。すると、石の板とチョークみたいな細い棒が入っていた。板の大きさは、前世の感覚で言うとA4サイズといったところ。
困惑を極めて動悸がしてきた……。
一緒に入っていた手紙を開くと、冒頭一行目に軽やかな説明があった。
『小鳥様の夢の魔道具を作ってみたよ☆』
どうやらこれは魔道具らしい。妖精たちも付属のモノだとか。
「作ってみたよ☆ ……じゃないわよ! 嘘でしょう……!? えっ、えぇっ!? コウモリさん……!? えっ……嘘ぉ……っ!?」
理解が追い付かなくて語彙力が消失してしまった。
コウモリさんはただ者じゃない――という事実を、突然まざまざと明かされて、頭が真っ白だ。
石板を抱え込んだまま散々オロオロした後、震える手で付属のチョークを摘まみ上げる。説明書の通りに、板の表面をなぞって字を書いてみた。
『こんばんは』
ものすごく時間をかけて、短い一文だけを書き込んだ。すると、周囲を飛び回っていた妖精の一匹が板に寄り、表面付近でクルクルと回った後、上空へと飛び立った。
しばらくの間、ポカンとした表情で、どこかへ飛んでいってしまった光の玉の残光を見ていた。
この夜は放心状態のまま、掃除を始めることになってしまった。
未だ脳内は混迷を極めているが……考えをまとめる前に、空高くから妖精が飛来した。帰ってきたみたいだ。
掃除道具を放り出して、石板を抱えて妖精を見守る。帰ってきた妖精はまた板の表面でクルクルと回って、光の粉を散らした。
すると、自分の書き込みの下に、新しい文字列が浮かび上がってきた。
『こんばんは。小鳥様ですか? 魔道具が無事に機能してよかった! 離れていても言葉を交わせて嬉しいです!』
「ひえっ……本物だ……この魔道具本物だわ……」
また手の震えが戻ってきて、危うく板を取り落としそうになった。
(コウモリさんの城を出る用事って……買い出しの雑用なんかじゃなくて、もしかしてご公務の出張か何かなのでは……?)
コウモリさん、いや、コウモリ様がただ者じゃないことは確定した。男物のスカーフと、このとんでもない魔道具から推察すると――……もしかして、魔道具や魔法生物に通じている魔導官なのではないか……?
身分を聞いてしまいたいが……身バレは互いにまずい気がする。訳ありの下っ端メイドと官吏がコソコソやり取りをしているだなんて、どう考えてもよろしくない。
ドキドキハラハラと胸が鳴り、理性は危うさを訴えかけてきている。けれど――……それはそれとして、魔道具には大いに感動してしまった。
本当にこういう道具を作れるなんて、すごいとしか言いようがない。スマホというよりタブレットに近い感覚だが、ものすごくテンションが上がってしまった。
『わたくしも、あなたとリアルタイムでお喋りができてすごく嬉しいし、驚きました! 本当にすごい!』
ソワソワオロオロとした心地を抱えながらも、掃除の合間にチャットに夢中になってしまった。
そうして気が付いた時には、零時をとっくに過ぎていた。名残惜しいけれど、最後のメッセージを書き込む。
『そろそろ休みますね(˘ω˘)スヤァ。本当に、素晴らしい魔道具をありがとうございました』
妖精が飛び立ち、少しの間を置いてから、返事を持って帰ってくる。
『こちらこそありがとう。小鳥様との語らいはとても楽しくて、日々の疲れを忘れることができます。もし叶うのなら、私はあなたと』
もし叶うのなら、私はあなたと――の部分は線で消されていて、訂正文が続いていた。
『――文を間違えました、気にせずに。夜中まで付き合わせてしまってごめん! 以降のお返事は不要です。おやすみなさい(*´ω`*)』
仕事を終えた妖精たちには、報酬として砂糖をあげてほしいとのこと。革袋の中には小瓶も入っていた。
砂糖を手のひらに出すと、妖精たちがワラワラと寄ってきた。ご褒美を与えながら、石板上の文字列へと目を向ける。まじまじと見つめて、考え込んでしまった。
「……魔導官……外出の予定……。…………いや、まさかね……うん、違う、さすがにそれはないわ」
一瞬、ある人物の姿が頭の中にチラついたのだけれど……この文面とはどう考えても結びつかない。変なことを考えるのはやめよう。
砂糖のご褒美タイムを終えて、魔道具セットを革袋の中にしまい込む。妖精たちも石板にたかったまま収納された。
「これ、宿舎には持って帰れないわね……。隠しておこう」
ハンナたちに見つかったら大騒ぎされて終わりだ。石碑周りの木の割れ目に置かせてもらい、葉っぱを寄せてそっと隠しておく。
リアタイでの交流が叶った高揚感と、身分違いを知ってしまった罪悪感が、混ぜこぜになった心地を抱えて帰途に就いた。
■
『もし叶うのなら、私はあなたと会ってみたい』
そう書き込みそうになって、すんでのところで手を止めた。
王都郊外の山中に張られたテントの中。ルイヴィスは大きなため息を吐いて、魔道具を仕舞い込んだ。
実際に会ったらガッカリされるに違いない。字のやり取りの中では陽気な人でいられるが、現実の自分は十秒で会話が終了する人間なのだ……。
小鳥様との交流にウキウキと高揚していた気分が、しゅんと急降下する。
もやつく気持ちに呼応するかのように、ゴロゴロと雷鳴が轟く。強烈な光が瞬いて、山頂の野営地に耳をつんざく轟音が鳴り響いた。
同行の兵がテントを覗き込み、声を掛けてきた。
「また雷竜が暴れ始めました!」
「……わかっている。出よう」
外に出て、魔法杖を真っ黒な空へと掲げる。たぎらせた魔法を天空に打ち上げて、雷竜にチクチクと嫌がらせをして追い払う。――これが今回の出張の内容だ。
山の中腹には貴族たちの別荘地が広がっていて、麓には街がある。
のどかで人気の高い場所だが、一年ほど前から雷竜が現れるようになって、落雷の災害が増えてきたとか。半年前には財務院のお偉いさんの別宅が全焼したそう。
竜は神聖な生き物として信仰している人もいるので、あまり良しとはされないことだが、いよいよ追い払うことが決まったそうだ。
(そこまではわかる。わかるが……なぜ、私一人なんだ……。複数人で回すべき仕事だろうが)
腹立たしさも込めて、大魔法を思い切り空に放つ。竜は駄々をこねて雷を落としてくるが、魔法障壁でガードする。
(かと言って、同僚連中と一緒の出張は気疲れがすごいから嫌だが……。クソッ……ままならない)
仕事の詳細を口外できないのが残念だ。この、ままならない気持ちを、小鳥様にすべて愚痴ってしまえたらいいのに。彼女はきっと、こんなしょうもない自分のことも笑って励ましてくれるだろう。
真夜中の空に雷と魔法の光がギラギラとせめぎ合う。
罰仕事のメイドが、帰りの道で遠くの空をぼんやりと見上げていた。




