6 魔王とメイド
魔導院の引っ越し作業は着々と進んでいて、移動先の新棟では荷解き作業が山場を迎えている。
こき使われているクロアは慌ただしく新棟を出入りしていたが、その最中、廊下で若い男の警備兵に声を掛けられた。
「――あ! 旧庭園に出入りしてるお嬢さん。魔導院のメイドさんだったんですね」
「あら、こんにちは。……昨夜は顔パスありがとうございます」
「ははっ、お疲れ様です。事情は知りませんが、まぁ、頑張ってください」
夜中に宿舎と旧庭園を往復する際、何人かの警備兵に捉まって、都度、職務質問を受けることになるのだが、その内の一人がこのお兄さんである。
暗がりの中で呼び止められて、『あぁ、罰仕事のメイドさんね』と同情の目を向けられて、顔パスで解放されるという流れができつつある。
そんな警備兵と、なんてことない軽い挨拶を交わして別れた。の、だけれど――……間の悪いことに、ハンナたちに見られていたらしい。
彼女たちは嬉々とした面持ちでクロアのエプロンを引っ掴み、『現行犯、捕縛しました!』とグレイシーの前に突き出したのだった。
「グレイシー様、聞いてください! クロアさんが警備兵に色目を使っていました!」
「はぁ……!? 知り合いだったので、ちょっとご挨拶をしただけです! マナーの範囲でしょうに!」
「ほら! 知り合いですって! それって、ちょっかいかけてる相手ってことでしょう? 夜がどうとか言ってましたよ! グレイシー様、罰をお与えくださいませ!」
グレイシーはいつものように上品な微笑みを浮かべていたが、眼鏡の奥の目が、スッと冷えたのが見て取れた。彼女は机の上に散らかっている文具類に手を伸ばし、ハサミを手にした。
(そ、そうだった……! 殿方に色目を使ったら髪を切られるんでしたっけ……!?)
クロアの髪は母から継いだ綺麗な金髪だ。この髪色も兄とおそろい。自慢の髪なのに…。
「その華やかな髪で、殿方を惑わせたのですか? 雑務メイドとして相応しくありませんわね。整えて差し上げましょう」
「ひぃっ、ご勘弁を……!」
グレイシーに腕を引っ掴まれて、裏返った声を上げてしまった。このまま裏庭に連れていかれて、バッサリやられてしまうのか――……
と、髪との別れを覚悟しそうになったが、グレイシーの手はすぐに離れた。彼女はハサミを背中に隠し、動きを止めた。ハンナたちも同様に固まっている。
何事かと顔を上げた瞬間に、クロアも身動きを封じられてしまった。
魔導官ルイヴィスが冷めきった表情で、こちらを睨みつけながら歩いてきたのだ。漆黒のローブを揺らし、黒髪をなびかせ、どす黒いオーラをまとって。
何か予定でもあるのか、いつもより早い出勤である。皆、不意を突かれる形になった。
「……あまりにも騒がしい。何をしている。……お前たちはギャーギャーはしゃぐために城に上がっているのか? だとしたら仕事の邪魔でしかない……消し去るのもやむなし」
騒いでいた面々だけでなく、広間全体がシンと静寂に包まれた。
ルイヴィスの叱責は、大声で怒鳴りつけて威圧するタイプではなく、静かに殺意の圧をかけてくるタイプだ……。
間近に見る容貌はそれはそれは美しく整っていて、精巧な人形のようで温かみを感じず、逆に怖ろしい。
闇の魔王が実在したら、こういう容貌をしているのだろうな、と確信できる。
クロアはハンナたちと一緒に、例えようのない迫力にすくんでしまった。が、グレイシーの反応は早かった。
「申し訳ございません、ルイヴィス様。わたくしもちょうど今、騒がしいメイドたちのことを叱っていたところだったのです。愚かなメイドたちへ、なんなりと罰をお与えくださいませ」
彼女はしれっと嘘をついて保身に走った。さすが女官、頭の回転と処世術に長けている。
「では、罰としてメイドたちに仕事を命じる。私の旧執務室の掃除を」
「は、はい……」
「かしこまりました……」
グレイシーに視線で『行ってこい』と言われ、クロアを含むメイド四人はルイヴィスの後に続いた。
誰一人、口を開かない沈黙の中、連れ立って旧魔導院へ移動する。
髪を切られるのは回避したし、ハンナたちの嫌がらせも終わってラッキー……と言いたいところだが、ルイヴィスのもとで仕事をするとなると、ストレス値が振り切れそうだ。移動中の今ですら、緊張感が凄まじい。
『次、機嫌を損ねたら消されるかもしれない……』というハラハラ感で、歩く靴音にすら気を遣ってしまう。
(これは今夜の愚痴ネタが増えそうだわ……)
そう考えると、このヒヤヒヤした心地もほんの少し和らぐ気がするけれど……まぁ、気休めだ。
廊下を歩いていると、先ほどの警備兵とすれ違った。こちらの空気など露ほども知らない彼は、あろうことか、また気安く声を掛けてきた。
「そうだ、お嬢さん。さっき言い忘れたけど、雨が降ると旧庭園は地面がドロドロになるから、気を付けてくださいね。滑って転ばないように」
「えっ……あ、はい……ご親切にどうも」
今、気が付いたが、廊下の窓にポツポツと水滴がついている。どうやら午後は雨らしい。
警備兵は気のいいお兄さん、といった雰囲気で、まったく悪くないが……タイミングはすこぶる悪かった。
会話がルイヴィスの機嫌を刺激したのか、彼は足を止めて壁に手をつき、クロアを捕らえるように身を寄せてきた。
「メイドよ、お前は旧庭園に出入りがあるのか!?」
「ひっ……!? いえっ、そのっ、ちょっと用事で……」
ルイヴィスは目を細めて顔を覗き込んできた。鋭く光る紫の瞳で、何かを探るようにクロアを見据える。
自分は何かまずいことをしてしまったのだろうか。このまま闇魔法をかけられて、抹殺されるのでは――と、血の気が引いていく。
「ごごごごめんなさい……! 旧庭園にはもう二度と近づきません……! どうかお命だけは……っ」
「……そうか」
咄嗟に嘘の誓いを口走ってしまったが、ルイヴィスは何か考えるような顔をした後、尋問を終えてくれた。
その後、旧執務室の掃除をする間もチラチラと睨みを飛ばされて、生きた心地がしなかった。
胃に穴が開くかと思ったけれど……良いネタを手に入れたと思って、自分を労っておこう。
午後から降り出した雨は夜になるにつれて強さを増し、雨除けコートを羽織って石碑掃除に向かうことになった。
旧庭園の道は、石畳の上に積もった土が泥になっていて、警備兵の忠告通りの状態になっている。
(石碑広場の地面はもっと酷いでしょうね……。落書きに返事をもらっていても、消えてしまっているに違いないわ)
また返事が書き込まれているのではないか、と内心ソワソワしていたのに、この大雨では台無しだ。
すっかり諦めきって向かったのだけれど――……思いがけず、テンションは急浮上することになった。
なんと、石碑の根元に葉の包みが置いてあるではないか。石ころの重しを除けて包みを広げてみると、手紙が入っていた。
掃除を始めるより先に、急いで目を通す。
「やった……! 返事がきた! ええと、小鳥様へ――って、わたくしのこと?」
SNSを模したお遊びとして描いてみた小鳥マークは、クロアのハンドルネームだと解釈されたらしい。『アイコン』とも呼べるかも。
文面から察するに、この手紙の書き手も多大なストレスを抱えて生活しているようだ。あるあるな愚痴が綴られていて、同情と共感の苦笑をこぼしてしまった。
「やっぱり、わたくしの他にも大変な思いをしているメイドさんがいるのね……お疲れ様です」
本文を何度か読み返して、最後に書かれているハンドルネームへと目を向ける。書き手は自らを『コウモリ』と自称して、ギザギザ羽のゆるい絵を描き添えていた。
「コウモリさん、か。ふふっ、可愛い絵。どこで働いているのかしら。城内で会えたらいいのに」
もう少しやり取りが続いて、仲良くなって、もし同意を得られたならば、『オフ会』的なものを提案してみるのもありかもしれない。
とはいえ、クロアには罪人の妹という肩書きがあるので、リアルでの接触は慎重にしないといけないけれど。
手紙を丁寧に畳んで仕舞い込み、ひとまず掃除を始める。雨の中なので、今日は適当に拭くくらいでいいだろう。
さっと終わらせて、木の下で雨宿りをしながら返事を書く。仕事用に持ち歩いているメモ用紙に、サラサラとペンを走らせた。
『コウモリさん、お返事ありがとうございます! とても嬉しいです! 人のことは言えませんが、愚痴めっちゃ多くて大草原でございました。わたくしはというと、今日は死を感じる日でしたよ(笑)怖ろしい殿方に詰め寄られて、生きた心地がしませんでした』
ところどころに絵文字なども盛り込んでいく。
『コウモリさんの周りには怖い人はいませんか? 大丈夫? 叶うのならば、優しく明るく楽しい人のもとで、心安く仕事をしたいものですね』
理想の職場像をあれこれ書いてみたが、きっとコウモリさんなら共感してくれるだろう。
他にも長々と愚痴を綴った後、手紙が包まれていた葉っぱを再利用させてもらい、同じように包んで草の茎で留めた。
足元に咲いていた花を摘んで差し込み、石の重しと一緒に置いておく。
また返信が来ることを祈りつつ、零時に広場を後にした。