4 夜勤官吏ルイヴィスと謎の呪詛士
零時をまわった城の中はシンと静まり返っている。たまに見回り警備兵の足音が聞こえてくるが、それだけだ。
賑やかな日中の執務広間とは違い、集中力を削いでくる人々や騒音が一切ない。仕事に没頭できる時間、それが深夜である。
これ以上ないほど、労働をするのに適した時間帯――……
(……――そんなわけあるか。夜は睡眠のための時間だ。人間はそういう風にできている。決して労働のための時間ではない……はず……だというのに)
煌々と明かりが灯っている魔導院の執務広間で、魔導官ルイヴィスは眉間を押さえてため息を吐いた。
引っ越しでごちゃごちゃしている広間をあさって、必要な魔法素材を引っ張り出す。広間に連なる個人執務室の一つに入り、今夜の仕事に向き合う。
『蔵書室の空調魔道具が壊れたから、明日の朝までに直しておいてくれ』と、他院の官吏たちが魔道具を持ち込んできたのが、夕方六時のこと。
その官吏たちはちょうど六時に退勤予定だったらしく、こちらに仕事を押し付けた後、『いやぁ、ギリギリだったわ。今日の仕事終わり~!』なんて軽口を交わし合っていた。
「……貴様らは勤務時間内ギリギリに収まって良かっただろうが、こっちはまったく収まっていないんだが……」
警備兵などは交代制で夜勤があるが、通常の城勤め官吏たちは、夕方五時から六時頃に仕事を終えるのが普通である。
だというのに、ルイヴィスの仕事上がりは、大体いつも朝の五時から七時の間。
「……どう考えてもおかしい。間違っている。これは人間の生活ではない……」
そうわかってはいるのだが、すっかり昼夜逆転が馴染んでしまって、どう正せばよいのか考えあぐねている。
「どうして私はこんな生活を、毎日毎日……」
ボソリと愚痴を呟いてしまったが……勤務時間がおかしくなってしまったのは、自業自得なところがあるので、胸は重くなるばかりだ。
口下手で、人と上手くコミュニケーションが取れず、ボタンを掛け違い続けているうちにこうなってしまったのだった。
仕事を断ったり同僚に助けを求めることができず、一人で抱えて処理していたら夜中までかかるようになってしまい、そこから『夜勤務の人』みたいな立ち位置になってしまった……。
『宵闇の魔導官』という通り名は、夜空を思わせる容姿からついた名前だと思っている女官たちがいるらしいが、まったく違う。
急ぎの仕事に対応してくれる夜勤務の人、という意味で、同僚官吏たちに広まり出したのが元だ。
さらに元をたどると、新入官吏だった頃、『宵闇のように根暗だ』と上司にからかわれたのが名前の由来である。
「クソ……私が根暗だったばかりに……こんなことに……」
どうにかしようと頑張ってみた頃もあったが、この性格ばかりはどうにもならなかった。
どんなに盛り上がっている場でも、自分が話の輪に入ると途端に会話が終わり、沈黙に変わってしまう。雑談が十秒以上続かない。
そのうち沈黙の訪れが恐ろしくて、人と雑談的に喋ることを避けるようになってしまった。
魔法が得意で早いうちに城勤めを始めたため、それなりに在籍期間が長いのだけれど、軽口や愚痴を交わせる友人は一人もいない。
夜通し理不尽な仕事に向き合うはめになっても、こうして独り言をぼやくしかない身である。
辛いという感覚ももはや麻痺して、ただただ惰性で毎日が繰り返されている。
二十回くらいため息を吐きながら、壊れた魔道具の修理を終えた。
他にも、魔法書類の処理や、精霊魔物絡みの案件の手続きなど、朝までにやらなければいけない急ぎの仕事が多くある。
黙々とこなしているうちに、この日も夜明けを迎えることになった。
城を出て、旧庭園の方へと歩を向ける。城近くの自邸へは、正門から出た方が近いのだが、ルイヴィスはこちらの荒れた道を好んで通っている。
人と会うことがないので気が楽なのだ。
式典やパーティーなど、大きなイベント事でもない限り、警備兵すら見回りに来ない区画である。
微妙な知り合いとすれ違って『あ……』みたいになるのを避けられるので、この道は心穏やかに歩ける。
そうして一旦、屋敷へ寝に帰り、昼過ぎ三時頃に出勤するのが、『宵闇の魔導官』のお決まりのタイムスケジュールだ……不本意ながら。
歩いていると、ピチチチと、軽やかな小鳥の声が耳に届く。
旧庭園はさながら森のように緑が豊かで、歩いていて気持ちがいいというのも、好んでいる理由である。
日頃、あまりにも不健康な生活を送っているので、せめてこうして自然の中でリフレッシュを図っている次第だ。
夜勤明けの目には、朝日は少し眩しいけれど……でも、木漏れ日の清らかな光は心地良くもある。
と、思ったが、妙に眩しい光が視界に入ってきて、瞬いてしまった。
光の出どころは脇の方にある広場の石碑だ。キラキラと朝日を反射しているが、いつもこんなに眩しかっただろうか。
首を傾げながら広場に向かってみる。が、踏み入る前に身構えてしまった。
「これは……! 呪詛か……!?」
石碑の周囲一面に、びっしりと何らかの書き込みがなされている。魔導士の呪詛魔法の痕跡かと思い、緊張に体を固めた。
「……いや、違うか。魔力を感じない。……なんだこれは。落書きか?」
身を屈めて、地面をよくよく確認してみると、ただの落書きだった。石碑の側には棒切れも転がっている。誰かが土遊びでもしたのだろう。
「『眠い。寝たい。ふかふかベッド。帰りたい。一刻も早く帰って寝たい』……わかる、私も今そういう気持ちだ。『疲れた……。喜びがなさすぎる』……わ、わかる。わかるぞ……! 『圧倒的無情……この世に神はいない』……その通りだ。神がいたらもっと日々に幸せを感じられているはずだものな……神などいない……!」
呪詛――いや、これは誰かの愚痴のようだ。軽快な言葉で綴られている愚痴は、歯切れの良さが気持ち良くて、どんどん目で追ってしまう。
帰りの道中だということも忘れて、地面一面の愚痴をすべて読んでしまった。共感できるワードの連続で、何度頷いたかわからない。
書き手は相当ストレスを溜めている人物とみえる。勝手にシンパシーを感じてしまった。
特に気に入ったのがこのワードだ。
「『城畜』か。城と家畜を組み合わせた造語だろうか。言い得て妙なワードだな。私もまさに、城に飼い慣らされている城畜だ」
苦笑しながら棒切れを拾い、空いている場所に落書きをしておく。
『城畜、面白い言葉ですね。私も自称したいです。色々大変ですが、お互い適当に頑張りましょう』
地面への落書きなんて子供の頃以来だ。相手に届くかはわからないが、気持ちを外に出せて少しスッキリした心地になった。
「愚痴の他に絵も描かれているが、これは何だろう。翼のように見えるが……鳥か? サイズ的に小鳥だろうか? ……――呪詛士の小鳥様、か」
思いがけず、仕事上がりに気晴らしのひと時をくれたこの書き手のことを、そう呼ばせてもらうことにしよう。




