3 罰仕事と独り言の愚痴
夜までみっちりと雑用をこなして、時刻は九時を迎えた。宿舎ではメイドたちが寝る前の自由時間を楽しんでいる。
皆、寝間着姿でくつろいでいるけれど……クロアは未だ仕事着のまま。これから最後の仕事――石碑の掃除に向かわなければならない。
身も心もクタクタだが、サボったら魔法が発動して利き手を焼かれてしまう契約だ。
バケツに雑巾、ホウキと塵取り、麻のゴミ袋を装備して、部屋を出る準備は万端。支度をするクロアを見て、同室のハンナたちは面白そうに目を細めていた。
「クロアさん、まだ何かお仕事があるの? ずいぶんと熱心ですこと」
「……毎夜、石碑の掃除を命じられているのです。旧庭園の端に、王家を讃える碑文があるそうで。では、行って参ります」
「まぁ、旧庭園でお掃除ですって! あんな荒地の石碑を綺麗にしたって、誰も来やしないのに」
掃除道具とランプを手にして部屋を出る。ハンナたちは廊下まで響く声で大笑いしていた。
小さなランプを片手に夜の庭を歩いていく。城の敷地は広大で、半ばハイキングみたいな心地だ。
途中何度か警備兵に声を掛けられてドキリとしたが、罰掃除だと説明したら『あぁ……』という同情の目を向けられて解放された。城内では下っ端使用人の罰仕事が、あるあるなのだろう。
延々と歩いて旧庭園の区画に入ると、見回りの警備兵すらいなくなった。さらに歩いて進んでいくと、景色はもはや、ちょっとした森のようになっていく。
草だらけの道をガサガサと進んでいき、たぶんこれだろう、という石碑の広場にたどり着いた。
クロアの身長より大きな石の板が、広場中央にドンと据えられている。広場内には石畳が敷かれておらず、全体が砂地だ。きっと昔は石碑を囲うようにして、周囲一面に花が植えられていたに違いない。今は雑草がボウボウだけれど。
「どの程度掃除すればいいのかしら。石碑を水拭きして、ちょっと草を取るくらいで大丈夫……?」
近くにランプを置いて、水を入れてきたバケツに雑巾を浸す。土埃にまみれた石碑をゴシゴシと拭きながら、今日一日の出来事へと思いを馳せた。
(本当に、クタクタな一日だったわ……)
自分の処遇と、身の振り方が決まった一日だった。前世の社畜根性のおかげでどうにか一日を終えられたが、正直ヘトヘトだ。
慌ただしい引っ越し作業を終えた新年度からは、グレイシーのもとでの仕事も、体力的に少しは楽になるだろうか……。
ぼんやりと振り返りながら拭き掃除を終えて、懐中時計を確認する。零時を越えるまでは宿舎で休むことを禁じる――という契約だが、まだまだ時間がある。
「一応、石碑は綺麗にしたし……後は草むしりで時間を潰してもいいわよね」
はぁ~どっこらしょ、っと座り込んで、休憩しつつブチブチと草を抜く。この罰仕事、雨の日や冬場はきつそうだな……なんてことを思う。
「はぁ……早く宿舎に帰りたい。疲れた……寝たい……ふかふかのベッドで泥のように眠りたい……。こんな意味のない仕事なんてしたくない……たとえ罰仕事でも、他にもっと有意義なものがあるでしょうに……ましてや深夜残業なんて……はぁ~……。……ってわたくし、前世でも似たようなこと言ってたわね……」
ぶつぶつと愚痴をこぼしているうちに、前世のことを思い出して苦笑してしまった。
通勤電車に揺られている間、時間潰しのSNSで、思いつくままに愚痴を垂れ流していたっけ……。
SNSでは顔も名前も知らないどこかの誰かと、一時の想いを共有することができた。社畜の呟きに社畜が慰めを送る、なんてことも日常だった。そして、そういう奇妙で面白い絆が、しんどい生活の慰めになっていた。
けれど、今世では傷を舐め合う相手もいない。
「……好きだったなぁ、呟きSNS」
その辺の木の棒を拾って、草抜きを終えた地面に小鳥の絵を書いてみた。前世で毎日のように利用していたSNSのシンボルキャラクターだ。
続けて、つらつらと愚痴を書き綴ってみる。こうして地面に想いを吐き出せば、多少は心のガス抜きになるだろうか。
『眠い。寝たい。ふかふかベッド。帰りたい。一刻も早く帰って寝たい。疲れた……。喜びがなさすぎる。人の心もなさすぎる。圧倒的無情……この世に神はいない。社畜、いや、城畜だわ。わたくし、城畜。城畜生活まじつらたん――……』
前世の呟き感覚で、無限に出てくるしょうもない愚痴を一面に書き散らしてしまった。個人名や自身の素性に関わることは書かない、というのもお約束。
そうやって時間を潰していると、ようやく時計の針が零時をまわった。
「……よし、帰りましょう」
よっこらしょと立ち上がり、道具類を抱えてヨロヨロと帰途に就く。
遠目に見える城の明かりは、もうほとんど落とされていた。警備のための常夜灯だけが揺らめいている。
と、思ったのだが、窓明かりが煌々と輝いている部屋があり、目に留まった。ちょうど魔導院の広間があるあたりだろうか。
(まだお仕事をしている人がいるのかしら。お疲れ様……)
心の中で同情と励ましを送りながら、宿舎への道を急ぐ。
湯浴み場でささっと体を拭いて、寝間着に着替えて床に入った。ベッドがないそうなので、部屋の端っこに布を敷いただけの寝床である。
引っ越し作業の筋肉痛と相まって、朝には体がバキバキになっていそうだ。