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2 ブラック職場と元社畜

 王都の端にある屋敷へ戻り、鞄一つ分の荷物を大急ぎでまとめて、また城へととんぼ返りした。


 そうして伯爵令嬢改め、女官グレイシーの雑務メイドとなったクロアは、早速、使用人宿舎に押し込まれる。


 玄関ロビーで、グレイシーが抱えているという、他、三人のメイドたちとの顔合わせがなされた。


「こちらは今日から新たに、わたくしのメイドとして働くことになった、クロア・フローレスです。ビシバシと仕事を教えてあげてちょうだいね」

「皆さま、お世話になります」

「それじゃあ、あとは頼みましたよ、ハンナ」


 ハンナと呼ばれた若いメイドが一歩前に出て、うやうやしくスカートを持ち上げた。


「はい、グレイシー様! 新人教育は長たる私にお任せくださいませ」


 三人しかいない直属メイドだが、ハンナは一応メイド長の位らしい。ゆるくウェーブのかかった赤毛が、肩の位置で元気に揺れている。


 グレイシーは頷き、この後の予定を伝えた後、宿舎を後にした。



 

 ハンナを先頭にして、先輩メイドたちはクロアを宿舎の奥へと招き入れる。


 先ほど、グレイシーの裏の顔を目の当たりにして、ショックを受けたばかりなので、クロアは密かに心のバリアを張っていたのだけれど――……その気構えは正しかったみたいだ。


 部屋の中に案内するや否や、彼女たちは堪えきれない、という様子でクスクスと笑いだしたのだった。


「クロアさん、って言ったかしら? 来てくれて嬉しいわ。グレイシー様、ご機嫌の悪い時にお相手をするの、すっごく面倒なのよ。今までは下っ端に任せてたんだけど、クビになっちゃったものだから、私たちが火の粉を浴びることになっちゃってて。でもよかった! あなたのおかげで、やっと解放されるわ」


 メイドたちはニヤニヤとした目で、クロアを上から下まで見回している。


(なるほど、大体内情がわかったわ……)


 どうやらグレイシーは、人に当たってストレスを解消するタイプの人間らしい。その矛先は自身の部下であるメイド。この三人の先輩メイドたちは、下っ端を盾にすることで攻撃を回避してきたみたいだ。


 そんな不健全な人間関係の中に、クロアは下っ端――新しい盾として入ってきてしまったわけである。……考えるほどに、頭が痛くなってきた。


 よい返事も思いつかず、こめかみを押さえて立ち尽くしてしまった。が、ハンナに仕事着を押し着けられて、遠のいていた意識が現実に戻された。


「ってわけで、ここが私たちの部屋よ。ベッドは三つしかないから、あなたは床で寝て。仕事着はこれ。破れているところは自分で繕ってね」

「は、はい……! 承知しました」

「さっさと支度をしてちょうだい。私たち玄関で待ってるから」

「はい!」


 慌てて着替え始めたクロアを横目に、ハンナたちはお喋りをしながら部屋を出ていった。

 薄い壁を越えて、廊下の声が耳に届く。


「ねぇ、あの子のドレス見た? 絶対、下級メイドの身分じゃないわよね? どこの家のお嬢様かしら」

「こんな雑務仕事に駆り出されるなんて、家に何かあったに違いないわ」

「あっはっは、あだ名は転落令嬢で決まりね」


 笑い声を聞きながら急いで着替えて、部屋の端にある姿見で確認する。


「転落令嬢、か……。まぁ、言い得て妙だわ」


 メイド衣装はよれよれだ。ろくに手入れもされないまま、棚の奥に押し込まれていたのだろう。ところどころほつれと虫食いがある。


 さっきまで着ていた上等なドレスと見比べて、ため息をついてしまった。この素敵なドレスは兄が贈ってくれたものだ。


『俺の結婚式が済んだら、今度はクロアの縁談だな。せっかくだし、新しいドレスを仕立てておこうか。母上のお下がりばかり着ていては、流行遅れだと笑われてしまうものな』


 そう言って、彼は嫌な顔もせずにドレス代を工面してくれた。真面目で、優しくて、自慢の兄。

 そんな彼の罪により、転落することになろうとは……。


 未だ信じられない気持ちだが……今、この状況が現実である。宿舎の階下から、『何ちんたらしてるの? 置いてくわよ!』と大声が飛んできた。


 クロアはドレスを丁寧に畳んで、小走りで玄関に向かった。





 ハンナたちについて歩き、城内の執務広間に足を踏み入れる。


「ここが魔導院の執務広間よ。一度しか案内しないから、ちゃんと場所を覚えてよね」


 室内には背の高い本棚と大きなテーブルがいくつも連なっていて、魔導書や書類、魔道具、石や羽などの魔法素材がごちゃごちゃと散らかっている。


「ここがお仕事場所ですか?」

「まぁね。と言っても、新年度からは別の場所に移動になるの。だから引っ越しの手伝いが、私たちの当面の仕事ってわけ」


 執務広間には使用人がわらわらと出入りして、せっせと荷物を運んでいる。使用人だけでなく、広間の主である魔導官たち、そして彼らの部下である庶務女官たちも、引っ越し作業に勤しんでいる様子。


 魔導官は魔法を駆使して書類整理をしていて、キラキラした光がそこかしこに舞っていて綺麗だ。


 初めて見る光景にポカンとしてしまったが、そんなクロアの背中にハンナの平手打ちが入った。


「ほら、ぼさっとしない! ――グレイシー様! 遅れて申し訳ございません。クロアさんの支度が遅くて」


 たくさん並んでいる机の一つが、グレイシーの席らしい。彼女の机の上も、書類やらなんやらがてんこ盛りになっている。


 グレイシーは机の上の物をかき集め、一山持ち上げると、よいしょとクロアに押し付けた。


「それじゃあ、遅刻した分、あなたにはたくさん働いてもらわないといけませんね。荷運びはすべてクロアに任せましょう。ハンナたちは周りのお掃除をお願い」

「は~い、グレイシー様!」


 明るい声で返事をするメイドたちとは反対に、クロアは呻き声を出しそうになったが……なんとか飲み込んだ。


 周りを見ると、荷運びなどの力仕事をしているのは男性の使用人ばかり。女性使用人の仕事ではないように思える。……初っ端から、嫌がらせの命令をくらうことになってしまった。


 手頃な紙に簡単な城内地図を描き、グレイシーはピラッと見せてきた。


「ハンナから説明があったと思うけど、魔導院は新年度から別のところへ移動になるの。場所はここ。城の端の、新築の棟よ。それじゃあ荷運びをよろしくお願いします」

「承知……いたしました……」


 引っ越し先とやらは、ここから結構な距離がある。すべての荷を運び終えるまでに、何往復必要だろうか。


(もしかして、奴隷修道院の労働とどっこいだったかも……)


 つい、そんな思いが頭をよぎってしまったけれど、首を振って気を取り直す。クロアは気合いを入れて……いや、やけくそ気味に、初仕事を始めた。


 


 

 重たい大荷物を抱えて、城内を何往復も行ったり来たり。


 城はとても広く、複雑に入り組んでいて、簡易地図なんかでは迷子必至だ。迷うたびに警備兵や使用人たちに場所を聞き、目印を自分でメモしたりして、どうにか仕事をこなしていく。


「根っからの貴族令嬢だったら、きっと泣いてたわね……。でも、わたくしは……前世、社畜の女……。この程度の理不尽、負けるものですか……っ」


 息を切らして階段を上りながら、つい独り言をこぼしてしまった。


 幸か不幸か、クロアは前世で社畜であった。小さな島国のブラック企業に勤める社畜だったのだ。毎日ゾンビのように『転職したい……』と言いながらも二十年弱勤めあげた、プロの社畜である。


 最終的には過労をこじらせて天に召されることになり、社畜極まれり、という人生だった――。


 そういう過去の記憶と、劣悪労働環境への順応力は、もはや魂に刻み込まれている。ヒィヒィ言いながらも、なんやかんやストレスフルな労働をこなせてしまう……。これからの生活では、この社畜魂が支えとなりそうだ。


 心を無にして淡々と、割り振られた業務をこなしていく。そんなクロアを見て、グレイシーやハンナたちは面白くなさそうな顔をしていたが、知ったことではない。


(……タフな元社畜でごめんなさいね。あなたたちの前では弱音など、一つも吐きません)


 心の中でそう決めて、また重たい荷物を両腕に抱え込んだ。



 


 そうして引っ越し先に荷を置いて、また広間に戻ってくると、何やらメイドたちがソワソワしていた。ハンナたちだけでなく、一部の女官たちや、他のメイドたちも色めき立っているように見える。


 皆、チラチラと柱時計を気にしている。時刻はもうすぐ午後三時だ。


(何かあるのかしら? あ、もしかして、おやつの時間とか?)

 

 おやつ休憩なんかがあったりするのでは――と期待して、クロアまでソワソワしてしまった。が、三時の鐘の音と共に現れたのは、おやつを運ぶ使用人ではなかった。


 おもむろに執務広間へと入ってきたのは、一人の魔導官だ。


 長い黒髪を首の後ろでくくって垂らしている、目を引くような美しい容貌の男性。瞳は澄んだ紫色をしていて、まるで宝石みたいだ。


 真っ黒なローブが高い背を覆っていて、歩く度に闇色が揺れ、言いようのない威圧感を覚える。


 さらには、背格好だけでなく、表情にも凄みがある。目元にはクマがあり、切れ長の目をグッと細めている様は、怒りをたたえた魔王のような迫力があって――……率直に言うと、怖い。綺麗だけど怖い雰囲気の人だ。


 それまでガヤガヤしていた広間だが、彼が歩いてくるとざわめきの音量が一気に下がった。


 軽口を交わしていた男の使用人たちは口を閉ざし、ソワソワしていた女性たちは涼しい顔を装っている。


 そんな、妙な雰囲気になった広間を無言で突っ切って、その魔導官は奥の部屋――恐らく彼の執務室へと、スタスタ入っていった。


 執務室の扉がしっかりと閉められた後、広間の雰囲気がドッとゆるむ。


 ハンナたちは声量を抑えながらも、黄色い声を上げていた。


「あぁ、宵闇の魔導官、ルイヴィス様! 今日も夜空のようにお美しい……!」

「いつもながらお疲れのご様子ね。いつかお茶をお出しできたらいいのに~!」

「こら! 話しかけたら最後、闇の魔法で消し飛ばされてしまうわよ。相当な人嫌いってお噂だもの。遠目に見てるのが一番よ。目の保養に」


 周囲の話し声をそれとなく耳に入れておく。


 あの人は宵闇の魔導官と呼ばれているらしい。名前はルイヴィス・オルブライト。

 何やらすごい魔法の使い手らしく、人嫌いだそう。不用意に絡むと機嫌を損ねて抹殺されるので、要注意人物のようだ。


(消し飛ばされるって……怖っ。魔導士には変わり者が多いとは聞くけれど……そんな危ない人もお城勤めをしているのね。粗相がないように気を付けないと)


 そんなことを思って、ハラハラしながら執務室の方を見ていたら、グレイシーが思い切り髪を引っ張ってきた。


「痛っ……!」

「よそ見なんかして、誰を見ているのかしら。殿方に色目を使ったら、この髪をそっくり切り落としますよ。金の髪は値がつくから売り払うとしましょう。あなたのお兄様が焼いてしまった、金庫のお金の足しにしましょうか」

「ご、ご勘弁を……」


 グレイシー曰く、メイドは色事もご法度らしい。クロア限定の嫌がらせ規則かもしれないけれど。現に、ハンナたちはキャッキャしていても何の注意もない。


 つくづく、ブラックな職場だ……。


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