16 兄の婚約者とグレイシーの激昂
祝日の連休が明けて、新年度の仕事が始まった。魔導院の引っ越しもほぼ完了して、新棟での業務がスタートする。
クロアはあと半月の間、グレイシーのもとで雑用に励む予定だ。が、エプロンのポケットの中には、こっそりと、小型魔道具を三機も収めている。
破片を使って新たに六機作り、試験運用をしているのだ。それぞれの石板画面には数字が刻んであり、妖精を指定の数字の魔道具へと飛ばす訓練をしている。
妖精たちには姿消しの魔法がかけられているので、まさかメッセージのやり取りが行われているなんて、誰も想像しないだろう。
こうして仕事をしている間にも、妖精たちはルイヴィスの自邸とクロアのエプロンの間を、チョロチョロと行き来している。
廊下に出た時に、柱の陰でチラッと確認したら、またメッセージが届いていた。
『これから出勤\(`・ω・´)/シュタッ!』
『りょ、です。いつもよりお早いですね』
『クロアの顔を見たいから、早く行く』
文末には顔入りのハートの絵が描かれていた。一応、これも試験メッセージの内なのだけれど……ハートやくすぐったい文は控えてほしい。
(……クレームを送っておきましょう)
ささっとメッセージを返して、クロアは雑用仕事に戻った。
が、執務広間に戻った直後、訪ねてきた守衛らしき男に呼び出しを受けたのだった。
「クロア・フローレスなる使用人は、魔導院の所属でしょうか?」
「! はい、わたくしですが、何か?」
「あなたに用事があるという方が、城門でお待ちです。名乗りもせずに居座っていて、会えるまでここを動かないとか言って、勝手に馬車を停めていて……。困るので、対応をお願いします。茶色い髪の若い女性ですが――……」
(それって、まさか……お兄様の婚約者の――)
兄の婚約者は、ソフィーという伯爵家の令嬢だ。王都の隣の町に住み、兄とは同い年。五年前に知り合ってから、互いに心を寄せ合う関係だった。
クロアとも親しくしてくれて、彼女を姉と呼べるようになる日を、心から待ちわびていたのだけれど……。
(事件の後……城に上がってからも、何度も手紙を送っていたのだけれど、返事をくれなかった……)
落胆からか、怒っているからか……謝罪をしようにも、ずっと音信不通の状態が続いていた相手だ。会えるのならば、この機会を逃すわけにはいかない。
「グレイシー様、申し訳ございませんが、少し正門へ出て参ります。すぐに戻りますゆえ」
「忙しい仕事の最中にサボって外に出るなんて、認められませんね」
「ハンナさんたちは手が空いてお喋りをしておりますので、ご用はどうかそちらに。守衛さんにもご迷惑がかかりますから、すみません、失礼します……!」
嫌がらせの足止めをくうことはわかっていたので、少し強引に振り切って執務広間を出た。もう書類上は彼女の命令に背いても非はないのだ。
城門前に急ぐと、小ぶりな馬車が停められていた。クロアが歩み寄るのと同時に、転がり出るようにソフィーが姿を現した。
まずは兄の騒動について謝罪をしなければ――とハラハラしていたのだが、ソフィーはこれまでと何も変わらずに、親しみを込めた抱擁を交わしてくれたのだった。
「クロアさん……! ようやく会うことが叶いました……!」
「ソフィー様……兄の起こした騒動につきまして、本当に、なんとお詫びを申し上げればよいものか……。手紙をお送りしてもお返事をいただけないものだから、さぞやお怒りのことかと――」
「えっ、私も手紙を送っていたのだけれど……クロアさんが音信不通で、とても心配していて――」
挨拶の抱擁の後、二人で顔を見合わせた。互いに連絡を取ろうとしていたのに、音信不通になっていたとはどういうことか。
ソフィーは眉をひそめて、声を落とした。
「やっぱりおかしいわ……! クロアさんと連絡が取れなくなっていたのも、スコット様と面会が叶わないのも! あと、フローレス家の取り潰しが強引に進められたことも! 何もかもおかしいわよ……!」
「ええと、ソフィー様……?」
クロアの両肩をガシリと掴み、ソフィーは挨拶もそこそこに本題を話し始めた。
「本当はお茶を飲みながら、ゆっくりとお喋りをしたいところだけれど……今日のところはごめんなさいね。スコット様の事件について、私はどうにも腑に落ちないでいるの。その話をしたくてクロアさんとお会いしたかったのだけど、それすらも叶わなくて……。今、手紙の連絡が断たれていたと知って確信したわ。誰かが糸を引いているに違いないって。……だって、スコット様は罪を犯すような人ではないもの!」
低い声で口早に語りながら、ソフィーは目を潤ませた。彼女の肩を抱いて、クロアも声を潜める。
「未だお兄様と面会が叶わないというのは、本当ですか? わたくしは事件直後だったから、面会願いが退けられたと思っていたのですが……未だに?」
「えぇ……。おかしなことに収容所もずいぶんと王都から遠くて、フローレス家の家令までも牢に入れられてしまったとか。処遇がどうにも厳しすぎる気がしてならないわ」
「……」
手紙のやり取りが誰かに邪魔されていたこと。そして兄の処遇がおかしいらしいこと。これらがわかった今、クロアの胸にもじわりと疑念が湧いてきた。
「お兄様はもしかして……誰かにハメられた、とか……?」
「私はそう信じています。彼から直接話を聞きたいから、どうにかして面会願いを通したいのですが……。もう、収容所の職員に大金を包むしかないかしら」
「ソ、ソフィー様……! それはちょっと、どうかと……! ……――いや、既にそういうことをして、面会を邪魔している人がいるのかもしれませんね」
「きっとそうに違いないわ。……絶対に暴いてやる……許さないわよ」
ソフィーは涙を拭いながらも、鬼のような顔をしていた。結婚直前で愛する人と離されて、不審なあれこれが起きているのだから、こういう顔にもなる。
「わたくしも、お城の中で情報を探ってみます。もしお兄様が、何かに巻き込まれただけだったとしたら……とてもじゃないけど、許すことができないわ」
「お互い、何かわかったら連絡を――……あぁ、手紙が当てにならないんだった。どうしましょう。また門前で待ち合わせを――」
「裏で糸を引いている人がいるとしたら、何度も二人で会うのは危うい気がします。ちょっとお待ちくださいませ。この魔道具を――……」
クロアはハッとして、エプロンから小型魔道具を一つ取り出した。こういう時こそ、これが使えるのではないか――。
ルイヴィスに連絡を入れて事情を説明すると、数度のやり取りの後、すぐに貸与許可が出た。
「ソフィー様、この魔道具をお貸しします。使い方は今の通りで、字を書くとわたくしのもとにメッセージが届きます。連絡はこちらで」
「ありがとうございます……! これはすごいですね! 妖精がお手紙を届けるなんて……!」
「ご褒美として一日一度、砂糖をあげてください。それでは、また――」
慌ただしい再会となってしまったが……ソフィーと別れの挨拶を交わし、動き出した馬車を見送った。
妖精たちはまだ訓練中だが、たとえ誤送信があったとしても、届く相手はルイヴィスなので心配ないだろう。
息つく間もなく、早足で魔導院へと戻る。
グレイシーの機嫌を損ねていることは想定内だが、思っていた以上に不穏な微笑みを向けられた。
「クロア、本を運ぶのを手伝ってちょうだい」
「……はい」
クロアに数冊の本を持たせると、グレイシーも一冊、本を手にして席を立った。本運びというのは建前で、お説教の呼び出しである。
廊下を進んで物置となっている部屋に入ると、彼女はいつもの微笑すらも消して、怒りを露わにした。
「主人の命令を聞かず、私用を優先するなんて! あなたはいつからそんなに偉くなったのかしら? 愚かな罪人の妹のくせに! ――誰に会ってきたのか言いなさい!」
「……城の外での関係です。グレイシー様に名前を明かす道理はありません」
「まぁ! わたくしに逆らうのですか! 口答えを禁じるという魔法契約をお忘れ? また右手に火がつきますよ」
グレイシーは歪んだ笑みを浮かべた。が、クロアは引かずに対峙する。
迷いつつも、こうなってしまっては仕方ないか、と覚悟を決めて、自分の口から契約変更の話をすることにした。
「グレイシー様、お話しするのが遅くなり申し訳ございませんが……わたくしはもう、書類上ではお仕えするお方が変わっております。実は引き抜きにより、新しい契約をいただいていまして、人事異動日に合わせてそちらで働くことになります」
「…………は……?」
不意打ちをくらった様子のグレイシーは、ずいぶんと間を空けてから表情を険しくした。
「……何を勝手なことを! 誰に媚びを売ったのよ! あなたのようなしょうもないメイド、誰が好き好んで――」
「ルイヴィス・オルブライト様が、わたくしの新しい主人です」
「なっ……!? このっ、嘘を吐けっ!!」
名前を出した瞬間、グレイシーの頭に、一気に血が上ったようだ。彼女はお淑やかを装うことも忘れて、手にしている本を思い切り振りかぶった。
バシン! とクロアの顔に投げつけて、踵を返す。
「契約書を確かめてきます……! お前はその本を蔵書室に返してきなさい! 端メイドがっ」
クロアは投げつけられた本を拾って、彼女に続いて物置部屋を出る。
と、その時――。出勤してきたルイヴィスとばったり出くわしてしまった。
グレイシーはギョッとして足を止め、クロアは彼女の背中にぶつかって立ち止まった。
挨拶の会釈をする間もなく、ルイヴィスはクロアに身を寄せて、頬に触れてきた。
「この頬はどうした? 痣ができている。……何があった。誰にやられた」
喋るにつれて声のトーンが低くなり、背後に黒い魔力がじわりと滲み出てくる。視界の端にグレイシーの横顔が見えたが、血の気が引いて真っ白になっていた。
目の前で人が抹殺される様は、さすがにクロアも見たくない。適当に茶を濁すことにする。
「ええと……棚の高いところの本を取ろうとしたら、顔に落としてしまいまして」
「……そうか。そこの女官よ、私はクロアと話がある。行け」
「は、はい……失礼いたします……」
グレイシーは追い払われて、握りしめた拳をブルブルと震わせていた。恐ろしさからか、もしくはクロアに庇われた屈辱感からか。
去り際に彼女の唇が動いた気がした。
「…………本当、兄妹そろって腹が立つ……」
そう吐き捨てたように見えたのは、気のせいだろうか――。
彼女の後姿を目で追っていると、ルイヴィスの両手に頬を挟まれた。真正面を向かされて、顔を覗き込まれる。
「で、本当は何があった」
「え……? いやぁ、ええと……」
「こういう時には愚痴ってくれないのだな……。小型魔道具に守りの魔法をかけておく。肌身離さず、携帯しているように」
言わずとも、ほとんど察しがついているようだ。魔道具に防犯機能が追加されることになってしまった。
両頬を包み込んだまま、ルイヴィスは言い添える。
「身内の治癒士から火傷の魔法薬が届いたから、後であげる。頬の痣にも塗っておきなさい」
「ありがとうございます……」
廊下の端から警備兵が歩いてくると、ルイヴィスは名残惜しむようなゆっくりとした動作で頬から手を離し、執務広間へと歩いていった。
後で『もちもちほっぺた(〇・ω・〇)』とメッセージが届いたが……これは既読スルーしてもいいだろうか。




