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1 伯爵家令嬢クロアの転落

 王城の一部屋、こぢんまりとした会議室の真ん中に立たされて、元伯爵家令嬢のクロア・フローレスは項垂れていた。


 艶やかだった金髪はこの半月でボソボソになり、緑色の目はぼんやりしていて、すっかりやつれ切っている。


 クロアを囲んで着席している城勤めのお偉方は、面倒臭そうな目を向けて、本日の議題を口にした


「さて、()()()()――クロア・フローレスの処遇についてだが、どうしたものか」


 罪人の妹、と呼ばれたことに、クロアはまた深く項垂れた。





 我がフローレス家の当主である、城勤めの兄――スコット・フローレスが大きな事件を起こしたのは、半月前のことだ。


 財務院の金庫管理官という、地に足のついた素晴らしい役職に就いていたというのに……あろうことか、兄は金庫の金に手を出したのだった。


 当然ながら盗みはご法度。そういう不届きな行為を抑止するために、城勤めの人々は魔法の契約を義務付けられている。金庫で窃盗なんぞを働けば、たちまち魔法が発動して罰を食らうことになる。


 兄は金を盗み、金庫室の扉を潜り抜けようとしたところで、罰の魔法火で顔を焼かれてしまったそう……。


 さらに悪いことに、その魔法の火が金庫室内の紙幣に燃え移り、保管紙幣のほとんどを焼失するという惨事へと繋がってしまった。

 焼けたのは一室のみで、他の金庫室に被害はなかったそうだが……大事であることには変わりない。


 兄はその場でお縄につき、大怪我の治療もそこそこに、重罪監獄へ移送されたとか。


(……お兄様……どうしてそんなことを……)


 何度も何度もそう思ったが、面会が叶わなかったので真意を問いただすことすらできない。

 

 我が家は後ろ盾のない、いわゆる弱小伯爵家。父母も早くに他界してしまい、兄は若き当主として必死に頑張っていた。

 努力の末に盤石な役職を得て、かねてより想いを寄せていた令嬢と婚約を結び、数ヶ月後には結婚式を控えていたのだった。


 そんな中での盗みの罪……。結婚という大きなイベントを前にして、『財布の足しに』と、魔が差してしまったのだろうか。


 事件を起こしたその日のうちに、屋敷にはドッと人が押し寄せて、ワッと捜査が進められ、サクッとフローレス家は取り潰しになった。


 頼れる家令は犯行をそそのかした疑いがあるとされ、どこかへ連れていかれてしまい、使用人も散り散り。屋敷も差し押さえ状態。クロアはあっという間にすべてを失い、身一つになってしまった。





 やつれ切ってガクリとしているクロアをよそに、会議室の面々はあれこれ意見を交わしている。


「親類がいないとなると、やはり修道院に送るのがよいだろう」

「妹も贖罪の奉公に励むべきだ。南の谷の修道院はどうだろうか」


(その修道院って、確か……『奴隷修道院』って呼ばれてるところ……?)


 クロアはギョッとして顔を上げ、襲ってきた眩暈に呻いた。


 名前が挙がった修道院は、罪人やその家族が多く入所しているという話を聞いたことがある。そこでは女子供だろうが険しい谷に下ろされて、奉仕という名の、過酷な採掘仕事をさせられるとか。


(あぁ、さようなら……シャバでの暮らし……)


 目の前が真っ暗、というのは、こういう心地を言うのだろう。いっそ眩暈に身を任せて意識を飛ばしてしまおうか――……。


 そんなことを思った時、お偉方の一人が立ち上がった。髪を後ろに撫でつけた中年の男――兄の直属の上司、財務院の金庫管理長、ギレルモが声を響かせる。


「スコット・フローレスは私の部下であったが……罪を犯す前は、真面目な働きぶりの優れた官吏でした。それを鑑みて、少し情けをかけてやってもいいだろうと思いまして、提案があります。私の姪――グレイシーが雑務メイドを欲しているから、そこに籍を置くのはどうだろうか、と」

「……!」


 思わぬ提案に、クロアは目をむいた。ギレルモの隣に座っていた若い女性が立ち上がり、上品な笑みを浮かべて言う。


「庶務女官のグレイシーと申します。わたくしが身元引受人となりましょう」

「女官様のメイド……ということは、わたくし、お城に身を置いてもよろしいのですか……!?」

「えぇ、クロア様。あなたさえよければ、使用人宿舎を家としてくださいませ。そして、元ご当主のお兄様と代わって、わたくしがあなたの新しい主人となります。いかがでしょう?」


 グレイシーと名乗った女官は、淑やかな身振りを交えて話しかけてきた。眼鏡をかけていて、髪は団子にしてまとめている。控えめで真面目そうな容姿が、女官という役職にピタリとハマっている。


 いや、女官というより、今のクロアには彼女が女神に見えた。

 断る理由など何もない。眩暈を押しのけて、身を低くして礼の姿勢を取った。


「ありがとうございます、ギレルモ様、グレイシー様……! 罪人の妹などに、そのようなご慈悲をいただき……心から感謝申し上げます!」

「それでは、合意ということで。皆さま、あとはわたくしにお任せくださいませ」


 グレイシーの高らかな声で、この度の会議はお開きとなった。

 

 罪人の家族の処遇、という気の重い面倒事が後腐れなく片付いて、集まっていたお偉方は上機嫌だ。『よかった、よかった』と、ギレルモの肩を叩いたり、グレイシーを褒めたりしている。


 人々が会議室を後にして、クロアとグレイシーだけがその場に残った。

 

 彼女は近くのテーブルに寄り、書包みから一枚の紙を取り出してインクペンを添える。

 魔法の才能がないクロアにはただの紙に見えるが、魔力が込められている契約書のようだ。四隅に独特な紋章が描かれている。


「城で働く者は皆、魔法の契約を結ぶことになります。違反者はご存じの通り、魔法の火で罰を食らうことになります。男性は顔を焼かれ、女性は利き手を焼かれます」

「はい……存じております」

「では、契約書の内容に同意いただけましたら、こちらにサインを」


 クロアはペンを握り、書面に目を走らせた。


「魔導院所属、庶務女官グレイシー様直属の使用人としてのお仕事――……。主人の命令を遵守し、盗みはご法度――……。お仕事内容は、掃除、洗濯、お使い、その他諸々の雑用――……。あと、虫退治……? と、肩揉みと、荷物持ちと……ドブさらい」


 奴隷修道院よりはましだが、こちらはこちらで色々と大変そうだなぁ、なんて思いながら読み進めて、最後の文章に目を向ける。


「主人や先輩メイドへの口答えを、一切禁じる。あとは――……毎夜、旧庭園の石碑を掃除すること。零時の鐘が鳴るまで、宿舎で休むことを禁じる。あの、石碑というのは……?」

「城の敷地の端っこの端っこにある、旧庭園のさらに端っこにある、王家を讃える石碑です」

「それは毎夜のお掃除が必要なのですか?」


 怪訝に思って問いかけた瞬間――。クロアの頬に、バチッと衝撃が走った。

 何が起きたのかわからなかったが……数秒の間を置いて、グレイシーが頬を打ってきたのだと理解した。


「口答えを禁じる、と、契約書に書いてあるでしょう? 元貴族令嬢のご身分で、字も読めないのですか」

「……グレイシー様……?」

「まったく、この期に及んで、まだご自身の立場をわかっていないなんて、馬鹿な娘。さすが罪人の妹ですこと。石碑の掃除は罰です。兄がとんでもない罪を犯したのですから、妹にも罰は必要でしょうに。それくらい察してくださいませ」


 グレイシーはおしとやかな口調と微笑みを保ったまま、そんなことを言ってのけた。


 見た目の雰囲気と話している内容があまりにもかけ離れていて、頭の中が真っ白になってしまった。もしかしてこの女性は、女神ではないのかもしれない――……。


 事態を呑み込めずに固まってしまったが、彼女は意に介さずに続ける。


「無駄口を叩いていないで、早く契約書を仕上げてくださいませ。それとも、修道院への馬車を手配しましょうか?」

「あっ……いえ、申し訳ございません、只今……!」


(……なんにせよ、わたくしに選択肢などないわね)


 僻地の谷底で奴隷労働に駆り出されるか、城で罰仕事に励むか――。その二択しかないなら、後者を選ぶべきだろう。


 契約書にサインを入れると、グレイシーは満足そうな顔で回収して、書包みに仕舞い込んだ。


「ちょうど、抱えていたメイドが一人クビになってしまって、人手が欲しいと思っていたところですの。そのメイドも愚かしいことに、魔導院で盗みを働きましてね。手を焼かれて、王都から追放となったのです」

「そうでございましたか……」

「クロア、あなたも愚かな者たちの二の舞とならぬように」

「……肝に銘じておきます」


 契約が済むと、クロアに対する敬称はさっさと外された。チクチクとした嫌味の言葉が胸に刺さって痛い……。

 人手が欲しいというのは建前で、体のいい、ストレス解消用サンドバッグが欲しかっただけなのではなかろうか……。




 季節は春の始め。世の中はもうすぐ新年度を迎える、フレッシュな時期。


 クロア・フローレスも、これまでの生活から心機一転して、新生活――……と言う名の、転落生活をスタートすることになってしまった。


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