『太陽を攫う月』
アレクにとって、周囲が持て囃す王の証はまさしく呪いそのものだった。あの戦うのを厭う優しき人にあって、誰より力を欲する自分にない。王の証さえなければ今すぐにでも攫って逃げてしまうのに。
そう考えつつも、王になると諦めたような笑みで笑う兄のために、アレクは自分の心を殺して騎士になった。想いを受け入れて貰うことや、恋人になる事は出来なくても。ただ、その命を心を護り続ける側近としてだけでも傍に。
兄であるファイには賢王としてこの世界を、民を守り導く役目がある。そして弟である自分には、将来愛しい人以外の少女を妻として娶り、分家を存続させる役目が自分にはあるのだからと。兄のように無い才能の分は、己の身体と頭脳を鍛えて補った。王家の血筋にしては粗末なスキルしか持っていないと嘲り笑う輩を見返すように、血の滲むような努力を繰り返し。
やがてアレクは国で最も実力を持つ騎士団長となった。しかしそれは、限界を超えて手に入れた砂の城。崩れるのは一瞬だった。
「結婚なんてしたくない」
王女と婚約者が結婚する、国全体が祝福に包まれた爽やかな朝。そんな言葉が、ぽつりと花嫁のように真白な衣装に包まれたファイの口から零れた。
「は?いや、王になるなら結婚はなさらないと兄上」
動揺を隠せないアレクがそう返せば、その胸元にぬくもりが勢いよくぶつかった。自分より背が少し低く、未だ少年を抜けきっていない兄の身体をアレクが受け止めれば。
「アレク以外の人を好きになんてなりたくない、王にだってなりたくない!!」
小さな青緑色の海が煌めいていた。白い砂浜を、さざなみのように雫が濡らしていた。それは穏やかな兄が唯一見せた、感情の発露だった。想いを殺してまで護ろうとして相手に、愛されていた。その驚きにアレクが言葉がなくしていると、それを拒絶と取ったファイは涙ぐんだまま無理に儚く微笑んだ。
「民のために、王にならなきゃいけないのは解ってる。だから言わせて。…好きだよアレク。この先どうなろうと、僕の心はアレクのモノだから」
ファイの一大決心の告白の後、徐々に城の外から民の歓声が聞こえ始める。大切な想いを置きざりにして、『王』となるべく儀式の場へ赴こうとするファイの華奢な手頸を、剣だこが出来て固くなった男の大きな手が掴んだ。
「俺も兄さん…ファイが好きだ。…だから、悪い騎士に攫われてくれ」
情熱的なアレクの告白と共に、ファイの唇に柔らかな感触が重なった。白磁の肌を薄紅色に染めるファイの身体が、ふわりと宙に浮く。
「俺に王の証なんてものがない理由が解った。俺は王にはなれない。大勢の民の笑顔より、ファイ一人の笑顔が大事だ」
納得したようにアレクが笑う。その次の瞬間。二人がいたはずの部屋には、純白のカーテンがゆったりと揺れているだけだった。韋駄天の代わりにと、アレクが身に着けた風魔法で誰にも見つからない高さを二人は飛んでいた。
「国のために身に着けた力だったんだがなあ。俺の太陽は俺を悪い騎士にするのが好きらしい」
アレクがそう揶揄うように言えば。耳まで赤くしたままのファイが、拗ねるように唇を尖らせてこう言った。
「まさか僕の騎士様が、本当に攫ってくれるなんて思わなかったんだよ。それよりこの先どうするの、僕達何も持ってないよ?」
落ちないようにしがみついてくるファイに、アレクは珍しく穏やかに微笑みつつこう返す。「禁域の森にでもいくかなと。俺あの森に棲んでる種族と仲いいし。森の奥に小さな小屋でも立てて、二人だけの結婚式でもするか」
冷徹で氷の微笑みをたたえる騎士団長は、もう何処にもいない。此処にいるのは、愛しい太陽を手に入れた一人の少年だけだった。