始まりの日
夕暮れの住宅街、女子高校生がスマートフォンを片手に歩いている。
『こんな不甲斐ない私だが、君を──』
それに映っているのは、金髪碧眼の見目麗しい王子と白いローブを着た可愛らしい少女。
もう何度見たか分からないほど見慣れてしまったワンシーン。次に来るセリフはも覚えてしまっている。
「やっぱり何度見てもジョセフ様はかっこいいなぁ~」
人が居ないことをいいことに、はぁ…と熱いため息をついた私は次にくるセリフを頭に浮かべ画面をタップした、その時──────
パァッーーーーー!!!!
耳を劈くような警笛音とぐるりと回る視界。何が起きたかも分からないまま、強く叩きつけられたような衝撃が身体を襲う。開けたくても開けれない瞼と、誰かの慌てふためく声で車にはねられたのだと理解した。
(まだ、スチル見てなかったのに…)
思い浮かべたのは真っ白なローブを着た女性をしっかりと抱きしめる青年。
全身を襲う痛みに邪魔をされ、ぼんやりとしか思い出せないことに悲しさを感じた時、私の意識はプツリと途切れてしまった。
――――――――――――――――――――
「────ラッ!!!」
浮上していく意識の中で男性の怒鳴るような声が聞こえる。騒がしいそれに反応して目を開けると、一人の男性が私の顔を覗き込んでいた。
「カーミラ!ようやく起きたか!!!」
その表情は一瞬ホッとしたものに変わったが、本当に一瞬のうちで、直ぐに怒りの含まれたものになる。
「あれだけ己の欲求には注意をしろと言っただろうッ!どうしてこんなことになったんだ!!!」
唾を飛ばす勢いでそう言われ、反射的に目を瞑る。
すると、今度はやわらかい女性の声が聞こえる。
「あなた、カーミラは初めての吸血でショックを受けているのですよ。もう少し優しく…」
「しかし…」
ゆっくりと目を開けると、先ほど怒鳴っていた男性の後ろに誰かがいるようだ。
男性が言い淀むと女性の大きなため息が聞こえた。
「あなたはもういいです。私に変わってください」
そう言って、男性を半ば押しのけるように視界に入った女性の顔を見て、私は"お母様"と呟いた。
「カーミラ。今から貴女に起きてしまった事を全て話すから落ち着いて話を聞けるかしら?」
(私の母親は普通の日本人なのにどうしてこの人にお母様なんて…)
そう頭の中では考えていても、私の口は普段それを返し慣れているかのように、"わかりました。お母様"と、呟いていた。
「貴女は今日、ジョセフ王太子と3回目の面会で、吸血衝動が暴走してしまい、王太子に噛みついてしまったの」
覚えているかしら?と、尋ねた女性に、私は首をふった。そんなこと一つも身に覚えがないからだ。
(──いや、待って。この女性は今ジョセフ王太子と言った…?)
一つだけ聞き馴染みのある名前に、私は慌てて先程押しのけられた男性の顔を見た。少し長い金髪を結び、太くたくましく鍛えられた腕を組んでこちらを見ている彼と目が合う。明らかに日本人ではないこの男性に私は見覚えがあった。それに気づくと同時に、背中から嫌な汗がでるのを感じる。
「お、父様。お母様…。私、まだ体調が優れず、記憶も曖昧なので、今日はゆっくりしたいです」
まだ少し違和感が残る口調で、たどたどしく話してみると、どうやらそれが伝わったのか2人は顔を見合せた。
「そうね、今日はゆっくりしなさい。王子のことは気にしなくていいから、元気になったら謝罪の機会を設けてもらいましょう」
優しく微笑んだお母様は私の頭を撫でると、お父様を半ば引ずるようにして部屋を出た。その時、お母様がドアのそばに控えていたメイドも一緒に連れて出たのは、ゆっくりしたいという私の希望を考えてくれたからだろう。
私は1人になった部屋で1度大きく息を吐くと、周囲を見回した。
物の数こそ少ないが、控えめに言っても決して質素ではないその部屋に私は”凄い”以外の感想が出てこなかった。枕を押してみるとゆっくり沈みこんでいく手。豪華なベッドも居心地がいい。試しに寝っ転がってみると、すぐにでも夢の世界へ飛び立てそうだった。
目を瞑り、今起きている状況を頭で整理してみる。
私は学校からの帰り道、大好きな女性向け恋愛シュミレーションゲーム『ヴァンプオアリライフ』をプレイ中、恐らく右から来た車にはねられた、はず。でも、今の私には車にはねられた様な痛みはない。
次に顔をぺたぺたと触ってみると妙な違和感を感じた。
(私、こんな顔の形だったっけ。)
日常生活で己の顔を触る機会は意外と多い。女の子なら尚更だ。だから分かる。何度触ってもこれは私の物ではない。
その事に気づき、私はベッドから飛び起きる。そして、ベッドサイドに設置してある棚の引き出しから手鏡を取り出した。
そこに手鏡があると何故か分かっていたことはどうでもいい。今、確認すべきことは──────
「う、そ…」
そこに写っていたのは、美しい金髪に赤く少しつり上がった大きな瞳。いかにも私の大好きなゲームに登場しそうな、────いや、登場している顔である。
先程から私は自分の名前を考える時に、18歳の高校生であった奥谷小夜という名前の他にもう1つ思い浮かぶ名前があることに気がついた。
"カーミラ・ファーミュ"
私が知っているこの顔の持ち主の名前だ。
そして、とても見覚えのある、私が父親と認識してしまっていたあの男性。そして、聞き覚えのある王太子の名前。全てがそう、『ヴァンプオアリライフ』に出てくるキャラクターなのだ。
「どういうこと…?」
頭では何となく理解している。普通ではまずあり得ないことだとは解っているが、これが小説などの設定でよくある、大好きな乙女ゲームに転生してしまったというやつだ。
だが、どう考えてもあれは小説や物語の話であって現実で起きてしまう話ではない。
(いろんなことが同時に起きすぎて頭が痛くなってきた…)
こめかみあたりがズキズキと痛みだし、とうとう耐えられなくなってしまった私は、バフっと真っ白な枕に顔を埋める。
(今日はなんだか疲れてしまった…。もう、明日考えたら、いい、や………)
思考を放棄してしまった私はすぐにそのまま夢の世界へと旅立った。
――――――――――――――――――――
ピチュピチュピチュッ……
鳥の声で重い瞼をゆっくりと開けた。
窓の外を見ると、まだ薄暗く、少しひんやりした部屋の空気が気持ちいい。
昨日とは打って変わって心地よい朝に浸って居たかったが、そうはいかない。おそらく、朝日が顔を出したら侍女たちがやってくる。私はそれまでに状況の整理をしなければならなかった。
「まず最初に、起きた場所は昨日と変わらず、か…」
ぐるりと周りを見回しても、昨日と同じ感想しか出てこない豪華な部屋で目覚めてしまった。
こうなっては私はこの現実を受け入れるしかないのだが、なぜよりにもよって『ヴァンプオアリライフ』の世界に転生してしまったのだろう。私としては転生や元の世界での安否よりそこが気になる点である。正直に言うと、とても嫌なのだ。その上、それに出てくる悪役令嬢に転生したなんて、もうこのままそこの窓から飛び降りて次の転生先を探したい。そんなことはできないだろうけど…。
ちなみになぜそこまで嫌なのかと言うと、私の中では一番好きなゲームなのだが、その設定とストーリーのせいだ。
乙女ゲームである『ヴァンプオアリライフ』の世界では遥か昔、魔族という種族がいた。人は彼らを恐れ、戦うことを選び、ついには魔族は滅びてしまった。しかし、彼らを人として暮らすことを条件に匿った国もあり、その中の一つがこのゲームの舞台、ウェンプティア国だ。ウェンプティアは当時、多くのヴァンパイアが住んでおり、そのため、純血が途絶えてしまった今でも稀にヴァンパイアの特徴を持つ子が生まれる。
その特徴は様々なのだが、一つだけ共通の条件があり、それは体のどこかに花のタトゥ―のようなはっきりとした痣をもって生まれてくることだ。花と言っても種類は四種類で、綺麗に開花しているバラ、バラの蕾、ユリ、そしてダリアがある。そして、それがその子の持つ能力の強さを表し、上からバラ(開花)、バラ(蕾)、ユリ、ダリアとなっている。
そしてこの私、ウェンプティア国ファーミュ公爵家令嬢、カーミラ・ファーミュがそのヴァンパイアの特徴を持つ子であり、痣の模様は………。
「やっぱり、バラ…」
記憶を頼りにネグリジェをたくし上げ、左下腹部を見ると、真っ白な肌によく映える開花したバラの痣があった。
そこに触れると、急にこれが現実だという事が怖くなる。
開花したバラの痣を持つ子は最も純血のヴァンパイアに近く、その力の強さから監視の目的も含め、王族との婚姻が結ばれる。そのため、カーミラ・ファーミュは私の人生で最愛の推し、ジョセフ・ヴォルグ王太子の婚約者であり、そして、彼のルートではヒロインであり、隣国から留学生としてやってきたヴァンパイアスレイヤーのオリア・オスロンをありとあらゆる手を使っていじめ、最後にはその行為がジョセフ様にばれ、オリアから殺されてしまう悪役令嬢なのである。つまり、もし、物語通りに事が進めば、私は前世は交通事故で死に、今世では処刑で死んでしまうのだ。
他のキャラクターではどうかと言うと、私のほかに同じくヴァンパイアの特徴を持つ悪役令嬢が三人、バラの蕾の痣を持つアンテ・ルスヴァン、ユリの痣を持つシルヴァ・ドラキー、ダリアの痣を持つフラン・ヴァーニーとそれぞれの相手である、アンテの従者オーブリー、シルヴァの婚約者ジョナ・ハカー、そしてフランの婚約者ヘンリー・バナーズが攻略キャラになっているので私にはあまり関係はない。でも、もし、オリアが逆ハーレムエンドに入ってしまったら、オリアをいじめた罪で悪役令嬢四人とも深い森の奥の古びた屋敷に一生幽閉される運命なのだ。
「他のキャラでのカーミラはどうなるんだっけ…」
推しはジョセフ様だが、他のキャラのルートでもジョセフ様は出てくるため、彼見たさに何週かしていた。そのなかでも一番印象に残っている話が一つある。それはオーブリーのルートで、アンテの魔の手から逃れ、オリアと共に国外に逃亡しようとするオーブリーに別れの言葉を告げるジョセフ様のシーンだ。
『オーブリー、君は私のような権力があればオリアを幸せにできると言ったが、この国に縛られない君がとても羨ましいよ』
王都から辺境に向かう積み荷を乗せた馬車に乗り込もうとするオーブリーが振り返り、ジョセフ様を見る。
『自由はそれをも凌駕する大きな力になる。そして、君にはそれがある。だから大丈夫、君の手でオリアを幸せにしてくれ』
オーブリーは元々人買いに連れられ、この国に流れ着いたところを奴隷市場の調査に入ったアンテの父に拾われ、アンテ付きの従者になった。つまり、ルスヴァン家から出てしまえばしがらみも何もなく、平民として生活ができる。そんなオーブリーとは違い、ジョセフ様は王族としてカーミラの結婚は義務であり、それを放棄はできない。だからこそ、このセリフをオーブリーに伝えた。
(うああああ、ジョセフ様………。)
オタクは心の中でキャラを思い、涙を流せるのだ。ジョセフ様のことを思うととても心が痛い。
そして、このオーブリールート、ジョセフが当て馬なのである。そのため、ジョセフ様は好きになってしまったオリアをオーブリーに託し、自分はその彼女を邪険にしていたカーミラと結婚する。
他のキャラではこのようなシーンはないが、だからと言ってカーミラとジョセフ様が思い合っている描写もないため、おそらくジョセフ様ルート以外の彼は好きでもないカーミラと結婚するというエンドなのだろう。
これはとてもよくない。カーミラが生きていてもジョセフ様が幸せでなければ私は彼を推すオタクとしては失格なのである。
「改めてみるとすごい設定だなぁ…」
まず、ヒロインがヴァンパイアスレイヤーという設定。この世界ではヴァンパイアスレイヤーという職業はもう廃れてしまったが、それでも伝統を受け継ぎ、日々修行に励む者もいるらしい。それが、祖母からその知識を受け継いだオリア・オスロンなのである。彼女は隣国であるゾンネ国の男爵家の娘であり、ウェンプティア国にヴァンパイアの特徴を持つ子が四人もいるという事を危惧したゾンネ国の王が偵察のために、留学という形で私たちが通う学園に入学させたのだ。
そして、カーミラをはじめとする四人のヴァンパイアの特徴を持つ子たち。それぞれの能力や特徴も違っていて、バラの痣を持つ二人は金髪に赤い瞳、日差しに弱く、吸血衝動がある。そして、カーミラは簡単に説明するとパワーSSS。アンテは動物ならなんにでも変身ができる。シルヴァは日差しにはそこまで弱くない上、変身もオオカミのみだが、そのせいか集中すると人より嗅覚聴覚がよくなる。フランはウサギに変身することができ、人より数段優れた記憶力を持っている。
こう見ると、悪役令嬢がメインなのでは?と思うほどのてんこ盛り設定である。
なぜ、こんなにてんこ盛りなのかを考えると、おそらく敵は強敵なほど話の展開が面白くなるし、それに囚われた王子たちを救った後のハッピーエンドはとても盛り上がるという制作側の安直な考えなのだろう。でも、それで面白いのだからやっぱり乙女ゲームはすごいと思う。
しかし、面白いのはオリア、つまりヒロイン視点であり、転生してカーミラとなってしまった私としてはいい迷惑である。まず、直射日光がだめだと行動が制限されるうえ、推しとのハッピーエンドはない。推しと結ばれても愛されない上、殺されるかもしれないなんて………。
でも、私はパワーSSSの設定だけは少しだけありがたいと感じた。なぜなら、これがあれば自分の身はある程度守れるだろうし、その上、何か仕事につなげることだってできるかもしれない。もしも、ジョセフ様と婚約破棄になったとしてもパワーSSSの能力でこの国から逃げ出し、他国でひっそりと暮らす。その過程でオリアと対峙してしまうだろうけど、それもパワーSSSで何とかすればいい。
上手くいくかは分からないが、それは私の身の振り方次第だろう。幸いにもファーミュ家はこの国の騎士すべてを束ねる団長をしており、位も公爵だ。戦いに関しての知識や技術を取り入れるにはもってこいだ。
ただ、私も生粋の日本人である。正直戦いは怖いし、これは最終手段だと嬉しい。
私のフラグ回避への手段として他に上げるとしたら、まず、ジョセフ様と婚約をしなければいい。
私は王族と結婚をしなければいけないが、王子はジョセフ様の弟君が二人いたはずなので、人物としてはっきり出てはいないが、このどちらかと結婚すれば条件に収まるので問題ない。
(そういえば、カーミラとジョセフ王太子の婚約っていつ決まったんだっけ…)
確か、ジョセフ様がオリアにカーミラとの結婚の理由を話すシーンがあった。
『私とカーミラは腐れ縁でね。五歳の時に彼女の吸血衝動が暴走して私が噛まれてしまって、その一件で婚約が決まったんだ』
「五歳の時に…カーミラの吸血衝動が、暴走…?」
『貴女は今日、ジョセフ王太子と三回目の面会で、吸血衝動が暴走してしまい、王太子に噛みついてしまったの』
ふいに昨日のお母様の話を思い出す。そこで一気に記憶が私の頭を駆け巡った。
私とジョセフ様の婚約の話が上がったため、とりあえずお試しという事で月に何度か面会をすることになって、昨日が三回目。
お茶をしていたら目にゴミが入ってしまった私を心配したジョセフ様が私の隣に来て座って、そして………。
そのとき、伸ばされた手がとても美味しそうに見えた。おいしそうなお肉や料理を目にしたときのような空腹感ではなく、甘美な果実を前にしてのどが渇くような飢えのようなそんな感覚。そして私は彼の腕をつかみ、そして、その首筋にガブリと、噛みついた。私の鋭い犬歯が薄い皮膚を突き破ると中から血があふれ出して、確かに血の味がするはずなのに、頭がぼーっとしてまるで砂糖菓子を食べているような甘さを感じた。そして、私はそのまま一部始終を見ていたメイドたちに引きはがされ、そこで意識が途切れたのだった。
(そうだった、そういえばそんなことがあったんだった…)
吸血衝動とは面倒なもので、バラの痣を持つ子に現れる吸血鬼の名残のようなものだ。私たちは普通に人と同じものを食べるし何なら食べないと死んでしまうが、この衝動が起きてしまい、一度人の血を吸ってしまうと一生その血に執着することになる。執着するだけで摂取しないと死ぬことはないが、その執着は凄まじいもので定期的に摂取しないと飢えと渇きに苦しみ、それに耐えられず自死してしまう子もいたとお母様から聞かされた。
話を聞いただけなので執着がどれぐらい苦しいものなのかは分からないが、ジョセフ様に会うたびにあのような状態になるのであれば、私はこれから口輪か何かを付けて彼に会わなければならない。でも、それだと彼とお話ができなくなってしまう。それはせっかく転生をしたのにもったいない上、公爵令嬢が口輪をしているなんてばれたらお父様やお母様にも迷惑がかかる。
とにかく起きてしまったことは仕方がないので、私はこれからジョセフ様と婚約をしつつ彼を幸せに、そして、私から守るためにすべきことを考えようと心に決めたのだった。
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