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09



 人の心というのは複雑そうでいて、一部分ではとても単純だ。

 ダイヤモンドが宝石一の硬度を持つが靭性は弱いことどこか似ているかもしれない。


 ともかく、私の心はあの一夜にして一気にヴァレーズ騎士――ミシェルへと傾き続けていた。


「良い方でよかったわね、アデリー」

「本当、最初はあの騎士どうしてやろうかと思いましたけれどね」



 もはや定例となりつつある、エレオノールとレティシアとのお茶会で、私がヴァレーズ騎士と数度会っていることを二人に報告した。

 良い殿方をと煩くなくなった時点で二人は何かを察していただろうに、私が話題に出すまで待っていてくれていたのは、二人の人間が出来ているとしか言いようがない。

 特にレティシアは、あのお茶会を催したことに責任を感じ、ミシェルに『アデリーと連絡を取る為の仲介は今後一切しない』と宣言していたらしい。



「だからあの一件以来、あの騎士は自分が行ける全ての舞踏会に足を運んでいたそうです。もう少し進展がなければ、夫の伝手で貴族の舞踏会にも忍び込む予定だったらしいので、ドレ伯爵夫人には感謝していると私の夫も申しておりました」

「あらあら、まあまあ! もしバレでもしたら、かのカスティヨン公爵といえどただでは済みませんものねぇ」



 ツンとした態度のレティシアと、どこか楽しそうなエレオノールを私は茫然と見つめていた。そんな話、私は知らない。

 だだ漏れの心の声に答える様にレティシアが再び口を開いた。



「殿方はそういう努力を見せたがりませんもの。大方、恥ずかしいのでしょうね」

「私としては教えてほしいところですわぁ。だって可愛いじゃぁありませんか、アデリーもそう思うでしょう?」

「そうね、まあ……可愛いと思う」



(それは確かに可愛い、可愛いけど。 公爵に我儘が言える立場のミシェルは本当にただの騎士なのかしら……?)



 そんな考えが頭をよぎる。カスティヨン公爵がいくら気さくな人柄とはいえ、上位貴族、というか王族の外戚に当たる方なのだ。何故そこまでわがままを聞いてもらえるのか――そのことを深く考える間もなく、先ほどまで朗らかに笑っていたエレオノールが途端に真顔になった。



「アデリーのあの騎士様の仲が良好なのはとても良い事です。でも、そうなると目下の問題はお金、ですね」



 私はエレオノールの言葉に閉口した。レティシアもエレオノールの言葉に少し気まずそうな顔をしている。


 この国の婚姻は基本的に婚姻する二人の身分の下の方が上に払う決まりになっている。逆に言えば、お金さえ払えば多少の身分違いも容認されるのだ。

 そのため貴族間の結婚は恋愛結婚が多い。それがこの国が愛の国と他国から評される所以となっている。


 だから、私の妹はダルトワ侯爵に嫁ぐために持参金を用意する必要があったし、父が決めた結婚相手のギロー準男爵は私を貰う受けるのに結納金が必須なのである。――それは、ミシェルと私が結婚するときも同様だ。



「生々しい話ですし聞きにくいでしょうが、アデリーには時間がない以上、そのお話は前のめりでもしておくべきだと思います」

「それにはわたくしも同意ですわ」

「……ええ」



 二人の言葉に頷きながら、私は味のしない紅茶を嚥下する事しかできなかった。




(二人の言い分はわかる。すごくわかるけど『あなた私と結婚したいんだけど、あなたお金ある?』なんてどうやれば相手を傷つけずに聞けるのよ……!)


 帰宅してすぐ私は自室で頭を抱えた。

 そもそも、結婚したいなどと女性から言っていいのだろうか。私の知る話――と言っても本の中の話ではあるが――では夜の月でも見ながら、相手からの言葉を待って詩の一つでも囁いていた。

 勿論、私自身はそんな恋する乙女のようなこと出来ないし、するつもりはないが、かといって女性からその話を持ちかけてよいのかもわからない。しかし、エレオノールの言う通り私にもう時間がないのは事実で、ミシェルが私との関係をちょっとした遊びと思っているなら早々に見切りをつけて、次の殿方を探さなくてはならないのも現実だ。


 どうしたらいいかわからず、頭をかきむしろうとした時、コンコンと部屋のドアが控えめに叩かれた。

 ドアの先に立っていたのは自分付きのメイドではなく、家の掃除を担当するメイドだった。家人と話すのは滅多にない事なのか、彼女は私と目が合うと少し緊張した面持ちで口を開いた。



「あの、庭師の方が庭園のことで相談がしたいのでお嬢様をと言われてやって来たのですが……やはり奥様の方がよろしいでしょうか」

「――ああ、いいのよ。お母様はこの時間は観劇でいらっしゃらないし、元々そういうことはなさらないの、私が行くわ」



 女主人でもない私を庭師が指名することに怪訝な顔をするメイドに、私は口止め料としてささやかな贈り物をして彼女に仕事に戻る様に伝える。


(間が悪いわ。よりによって『散歩』を忘れた日に届くなんて……)


 内心舌打ちをしたくなりながら、私は足早に庭園へと向かった。




「雑な手段とっちまって悪かったなあ、お嬢さん」

「いいのよ。元々私がここに散歩に来なかったのが悪いんだわ、クレマン」



 私を呼んだ庭師――もといクレマンは祖父の代からデュフォー家の庭園を管理している庭師だ。いつも仏頂面で職人気質の老人で、彼の手は長年の土いじりですっかり指先が黒く変色していた。

 その手を私の両親はあまり好きではなかったようだが、祖父と伯母はその手がとても働き者の手で好ましいと言っていた。私も彼の平たく節くれだった手を素晴らしいと思う。



「んで、これが届いた手紙だ」



 クレマンから差し出された封筒には蝋印はあるものの紋章もなく、差出人もない。それでも私はその手紙の差出人を知っている。

 私はその場で手紙の封を開け、内容を二度三度読み直して記憶に焼き付けると、その手紙をクレマンに返した。



「――……返事はイエスと返して欲しいわ」

「わかった。マシューに代筆を頼んどく。 ああ、そうだアイツ、この間孫が生まれたんだ。女の子だ」

「まあ、それはおめでとう! 生まれてすぐなら、おくるみがいいかしら」

「あれなら使わなくなっても別に仕立てられるって婆さんが言ってたな」

「じゃあそれにしましょう」



 マシューはデュフォー家に長年仕えていた家令だ。彼もクレマン同様、祖父の代からデュフォー家に仕えていた。私がこの家に帰ってきて一番に挨拶に行こうとしたが、その時すでに彼はこの家にはいなかった。高齢のために退職したと父は言っていたが、マシューと同郷のクレマンはそれに苦笑していたので、きっと対立があったのだろう。彼は私がドレ伯爵の家に侍女として行くことを最後まで反対してくれていたのは彼だった。



「マシューにもあなたにも申し訳ないわ、こんな伝言鳩のようなことを」

「何言ってんだ。困ったら俺を頼れとマシューが言ったんだ。 それにあいつの今の仕事は代筆屋だし、俺だって嫌だったら突っぱねてる。気にすることじゃねえ」

「ありがとう」



 私の言葉に、クレイマンはその日に焼けた顔をくしゃりと皺だらけにして笑った。彼らがいなければ私はミシェルとやり取りをすることすらままならない。おくるみは一等良いものをたくさん送ろうと心に決める。



「クレマン。我儘ついでに一つ聞きたいのだけど」

「なんだ?」

「その、あなたは奥方とご結婚された時のきっかけの言葉はなんだったのかしら」

「俺の? お貴族様が聞いて楽しい事は何もねぇぞ」

「私は興味があるわ、とても!」

「……結婚してぇが金がねえつったら、婆さんが金稼いできてこれで結婚しようつってくれたんだよ」

「まあ!」



 私は思わず声を上げた。さらに詳しく聞くと、平民同士の結婚は結納金を納めることが一般的らしい。当時駆け出しの庭師だったクレマンはその日を生きていくのがやっとな稼ぎで、結納金など夢のまた夢だった。だから、別れるつもりでその話をしたらしいが、奥方はそれを是とせず、手仕事と住み込みの奉公でその金を稼いできてくれたのだという。



「男としては情けねえ話だが、だからこそこれからは泣かせちゃいけねえって思ったな」

「そうなのね、そうなのね!」

「……お嬢さん、妙に食い気味すぎねえか?」

「そ、そんなことないわ! あっ、もうそろそろ暇しないと怪しまれてしまうかもしれないわ、私はこれで……!」


 クレマンのじとりとした目に私は思わず目を逸らしながら、私は足早にその場を後にする。そんな私の後姿を、年老いた職人は心配そうな目でこちらを見ていたが、大きな収穫に心を躍らせた私はその視線に気づくことはなかった。



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