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07


 『案の定』という言葉が今、私の脳裏に浮かんでいる。


 目の前、いや目の先で、かぐわしい花に群がる蜂の様に様々な婦女子たちが夫人を取り囲んでいる。舞踏会に夫人がつま先を入れただけでこうなったのは、ある意味想像以上だ。夫人がこちらに声をかける隙すら一切ない。


 夫人と私が一緒に来たなんて、きっと誰も見ていなかったろうな。


 予想よりずっと早く壁の花になった私は、絵の具をぶちまけたキャンパスのように鮮やかな群集を肴に給仕から受け取った白ワインに口を付けた。


 ちらほら視線を感じるが、群がっていない私がよほど珍しいのだろうか。普段ならその視線にがっつり目を合わせて食い気味に話かけに行くが、生憎、今日は気持ちを奮い立たせることが出来なかった。

 うっかり手持無沙汰になった紳士たちの視線と目が合わないように目を伏せながら、飲み口のすっきりとした白ワインの味を舌に転がす。



「もし。デュフォー子爵令嬢では」



 視界が少し影ってすぐ、聞き覚えのある低く甘い声が私に降り注いだ。

 壁に沿いすぎてもはや壁際の花になっていたので後ずさることもできないし、名指しで話しかけられて無視をするのはマナー違反だ。私は観念してゆっくりと顔を上げた。


 その人は珍しく燕尾服を纏っていた。全身鎧の時もその立ち姿が様になっていたので彫刻のような肢体であろうとは思っていたが、想像以上のものが目の前にあった。そして、ダークブロンドの髪を撫でつけて、今日はその素晴らしい青灰色の瞳とすっと通った鼻筋とバラ色の唇をシャンデリアの灯りの元に惜しげもなく晒していた。



「ごきげんよう、ヴァレーズ騎士。お久しぶりです」

「ああ、やはり。あの日以来ですね――お会いできてうれしい」



 ヴァレーズ騎士はその美しいかんばせに喜色を浮かべた。私は、もう会うどころか話すこともないだろうと思っていました、という言葉を何とか飲み込むと、薄っぺらい社交辞令の笑顔を浮かべた。



「私の申し上げた格好をしてくださったのですね」

「……尊敬している方のお見立てが、たまたま同じだっただけです」

「それならますます信憑性が増したでしょう」



 言外に勘違いするなと言った私の態度もどこ吹く風で、彼はニコニコとしたまま私に話しかけてくる。一方の私は彼の言葉はまさにその通りだったので、ぐうの音も出せず黙り込んだ。目を逸らしてワインを煽れば、ヴァレーズ騎士は私も頂こうかな、と給仕からワインを受け取る。そして私の真正面から横にまわって柔からな表情のままワインに口をつけていた。


 気づいたら、ヴァレーズ騎士と話を続けなくてはいけない状況が出来上がっていた。



「……舞踏会なのですから、ご令嬢に話しかけにいかれては?」

「今、貴女に話しかけています」

「新たな出会いを探してこられたのでは?」

「私が探していた出会いにはすでに出会えましたから」



 ヴァレーズ騎士はほほ笑んでこちらを見てきた。さすがの私もこれに対し、相手は誰だという返答は出来なかった。


 もう限界だ。


 私は一つため息を吐くと、辛うじて貼り付けていた淑女の仮面を剥がして、彼に向き直った。



「あんな事を言われて、まだお友達でいれると思いますか」

「初対面で礼儀を欠いたことは謝ります――でも発言は撤回しません」



 ヴァレーズ騎士の言葉に私は思わず眉を顰める。横を見やれば、真摯な顔をした彼と目があった。



「だって、今日の貴女はとても美しいですから」



 ヴァレーズ騎士は私の左手を取ると、その美しい唇で私の指先に口付けた。そして青灰色の宝石でじっとこちらを見つめてきた。その一連の流れが、劇場の一幕の様に、有名画家のスケッチの様に、私の目にゆっくりと飛び込んできた。


 どんな恋愛小説の挿絵よりも美しい画が私の目の前に広がっている。


 この状況を私は理解するというよりも感じていた。状況を感じるというのはおかしな言葉だが、それ以外この場面をどう表現していいかわからなかった。



 綺麗って卑怯だ。あんなに嫌な奴だと思っていたのに、全てどこかへやってしまうなんて。



 先ほどまで私の胸で荒波の様だった劣等感や苛立ちが嘘のように凪いで、ただ目の前の男が至極綺麗だという事実だけが私の中に溢れていた。



「あなたは、とてもずるいひとだわ」

「アデライード嬢は、とても利発な方ですね」



 私の言葉に、目の前のヴァレーズ騎士は満足そうに笑って言った。その言葉に私はこの男が自分の美しさを十分自覚しており、かつその美しさ故に周りが多少の事を許容してしまう事も織り込み済みで行動していることを理解した。


 美しさは罪、という言葉があるが、彼の場合、美しさは正義なのだ。

 しかもそれを明言せずに私に認識させたのだから、本当にずるいひとだ。



「踊りませんか、アデライード嬢」

「はっ……?」

「ダンスを。 ――貴女に一目逢いたくて、慣れない社交場へ足繁く通っていた愚かな男にどうか慈悲を」


 ヴァレーズ騎士は私に手を差し出した。こんな男とダンスを踊ったら注目を浴びてしまう。そう思うものの、久しぶりのダンスに心が躍らないと言ったら嘘になる。

 なにせ、ここ1か月程、私は壁の花だった。久しぶりに男性から求められたことに喜びを感じてしまっていた。併せて、夫人に似合っていると言われたこのドレスや装飾を見せびらかしたい気持ちもあった。


 辺りを見渡すと婦女子たちはまだ夫人に夢中で、手持無沙汰な紳士たちはグラスを片手に各々の社交に夢中だ。


 今なら、少しだけなら。


 私は差し出された綺麗で大きな手に、節くれだった自身の手を重ねた。





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