赤い月
私が六月に十七歳を迎えたのとほとんど同時に、両親は他界した。
母の旧姓は旭日。その日、両親は一族の会同に出席するためにこの県の北東の方にある旭日の本家に出かけていた。本家は谷の入り口に近い山の上にあり、周囲は深い緑に覆われていた。その夜、その帰り道に両親は衝突事故を起こして死んだ。外灯がほとんどなく、蛇行した狭い道路で対向車のトラックと正面衝突して、ハンドルを握っていた父と助手席に座っていた母は即死し、助かる余地はなかった。
私は突如として訪れた両親の死というものを中々受け入れることが出来なかった。もちろん、私の理性は初めて直面する身近な人の死による悲しみというものをしっかりと理解していたし、涙は頬を濡らした。両親の遺体を目に葬式が執り行われるとはっきりと、ああ、今の私は苛烈な現実に襲われているんだな、と分かった。けれど、私の心はしばらく、天文学者の両親は今でもどこかで夜空を見上げ天体観測でもしているのだろう、きっとすぐに家に帰ってくるはずだと思い続けていた。朝起きると、父と母が死んでしまったことなんてすっかり忘れてしまっていて、その姿を探し求めた日もあった。子供ではないから理性では分かっている。しかし心が上手く現実についていかなかった。それは生活の環境にほとんど変化がなかったということも関係あるかもしれない。それまでにも両親は仕事柄まとまって家を空けることがよくあった。だから十一歳の妹と二人暮らしになっても生活に支障はほぼなかった。家事は今まで通り二人で分担してしっかりこなしていたし、旭日の一族の過剰とも言えるほどの援助もあり、金銭的な不自由なんて全くなかった。変化のない生活のまま、私の心は天体観測に出かけたまま帰らない、あるいは長い宇宙旅行に行ってしまった両親の帰りを、しばらくじっと待ち続けていたのだ。一方で妹は悲しみに暮れるということもなく、そういった素振りも私にほとんど見せることはなかった。まだ十一歳だから涙を見せることはもちろんあった。けれど私と違って妹は両親の死をきちんと受け入れ、きちんとした生活を過ごすための努力をしていた。妹は私よりも強く見えたし、それによって励まされた。けれど同時にそんな割り切ったような妹に寂しさのようなものを感じたのも事実だった。時には妹が両親の存在をなかったかのように振る舞うことに憤りを覚えたことすらあった。どうしてそんなにも簡単に死を受け入れられるのか?
しかし確実に、紛れもなくあの日に、天文学者の父と母は死んでしまったのだ。
そのことを私の心がしっかりと理解したのは梅雨が明け、日差しがきつくなってきた初夏の寝苦しい夜のことだった。
妹が急に私のベッドの中に入ってきて、私の体を抱きしめた。
私は眠い眼を擦りながら聞いた。「……どうしたの?」
「……怖い夢を見たの」妹の体は小刻みに震え、声も同様に震えていた。
「……夢?」私は妹の頭をよしよしと撫でながら聞く。「どんな夢?」
「太陽の夢」
「……はあ? 太陽ぉ?」
「私にはお姉ちゃんしかいないの、」どうやら妹は泣いているようだった。その泣き顔を私の胸元に押し付けながら、必死に言うのだった。「私にはお姉ちゃんしかいないの」
私はそこではっとなった。
妹には私しかいないのだ。私がいなくなってしまえば妹は一人なんだ。妹は一人になるのが怖いんだって。
そんな当たり前のことにどうして今まで気付かなかったのか、とその時の私は思った。私が妹のことを守ってあげなくてどうする。妹にとっては私だけがたった一人の家族なんだから。「大丈夫、私はずっとタイちゃんの傍にいるからね」
私は妹にキスをする。それは誓いのようなキスだった。そして宿命的に私はその夜、夢を見る。私は赤い月を見上げていた。