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碧い風

 夢を見る度に、私は赤い月を見つめていた。その散漫な色合いをした天体は、私がそれを望遠する場所に立つことを、いつだって待ちわびていた。赤い月は私に見つめられるがために、そこに浮かんでいるようだった。

 そしてその天体はいつしか、私とコミュニケーションをとるために使者を送るようになった。赤い月からの最初の使者はウサギの姿をしていた。ウサギといっても野生のその姿ではなくて、ファンシィ・キディ・ラビットの姿だった。そのウサギの姿は私に警戒心を抱かせなかった。妹がそのウサギたちのコレクターだったということもあり、とても身近な存在だったからだ。

 ウサギは可愛らしい、おそらく同年代の女の子の声で私と会話をした。ヨウコは太陽なのよ、と彼女は言った。「太陽は全ての命の源であり、全てをメラメラと焦がし得る天体、全てをメラメラと惑わせる天体、要するに力があるのよ、大きな大きな力が、あなたの小さな体には」

「太陽?」私は一瞬だけ戸惑ったが、すぐに全てを理解をした。かつての記憶を取り戻したように、この世界のコトワリのようなものを私の体は思い出した。「うん、そうだったね、私は太陽だった、どうしてそんな大切なことを忘れてしまっていたんだろう?」

 夢の世界では、私は決まっていつも日本家屋の縁側に座っていた。そこに広がるきちんと手入れされた庭園には大きな池があり、その水面には赤い月が映っていた。そして私は雅やかな浴衣を着ていて、花火でも見上げるように団扇を仰ぎながら赤い月を青い目で見つめていた。

 そしていつからか、ファンシィで、キディなウサギは私の姿を真似たように少女の姿に変貌し、私の隣に座るようになった。同じように雅やかな浴衣を着て、手に団扇を持ちながら、幼なじみのようにぴったりとした距離感で。「ヨウコは悲しいのね?」

「悲しい、」夢の中の私は虚勢を張ることもなく、とても正直だ。「とっても悲しい」

 私の青い目も正直に涙を流す。夢の中では私は間違いなく、悲しかった。その悲しみを私に寄り添う月からの使者は無条件に受け入れてくれた。彼女は赤い髪のショートヘアで、赤い目をしていた。肌は雪のように白く、触れればひんやりとして冷たく、悲しみが私に及ぼす炎症を少なからず治癒してくれているようだった。事実、その頃の私は夢の中で彼女と寄り添うことによって生かされていた。私は彼女にアカツキという名前を付けた。

「アカツキ」

「はい、ヨウコ」

 アカツキは私を慰めるためにキスをする。

 現実世界の私は虚勢を張っていた。周囲には明るく気丈に振る舞い、悲しみにやられていることを悟られないように無理をした。私は妹のことを守るために、この悲しみを越えなくてはならなかった。そのことを私は痛いほどに分かっていた。月曜日に私は赤座屋で妹のためにファンシィ・キディ・ラビットのグッズを買い続けた。それは悲しみを越えていくための戒めのようなものだった。月曜日にファンシィ・キディ・ラビットのコレクションが増えていく度に妹は笑顔になった。その笑顔だけが、私の心を本当に笑顔に変えた。

 しかし悲しみは消えることがなかった。

 私は悲しみを越えられないでいた。

 太陽であるにも関わらず。

 夜空の彼方に消えた天文学者の両親を、そこから取り戻さない限り、私の悲しみは消えることはないのだ。消えるどころが、日毎に増していた。アカツキが私に何度キスをしても、夢の中の私はいつまでも泣き虫だった。

 悲しみは怒りになり、そして深い恨みのようなものへと移り行く。

「私が太陽だっていうのなら、なんだって出来るはずでしょ、アカツキ!」時として、親友にそうするように私はアカツキに怒鳴ってしまったこともあった。水面に映る赤い月は地震が起こったように激しく揺れた。夜空は真っ赤に染まり、そして私たちは炎に包まれる。「この炎は私の心よ、アカツキ! 私は現実世界さえ、燃やし尽くしたいと思ってる! 怒っているのよ! 悲しいのよ! どうして私はパパとママを取り返すことが出来ないの!?」

 アカツキはじっと、その赤い無垢な目で私の青い目を見つめ続ける。私の怒りを恐れることもなく、怒りをそのまま受け入れ、私の怒りが静まるのを辛抱強く待ち続けるのだった。そしてある日、アカツキはこの日を待ちわびていたかのように口を開いた。「ヨウコ、あなたは太陽よ、何だって出来る、これは間違いじゃない、未来を変えることだって、今を変えることだって、過去を変えることだって出来る、あなたは太陽なんだから」

 すると強い風が吹き、私の夢の世界の炎を一瞬で消し去った。

「え?」

「驚かないで、」アカツキはいたずらに微笑み、私の頬にその冷たい手で触れる。「これはあなたの風よ」

「私の風?」

「そう、」と、背後からアカツキとは違う少女の声がする。「これはあなたの碧い風」


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