第二章②
タイコの前から姉が姿を消してから三日が経っていた。姉が不在の状況はタイコの日常生活にはなんら、大きな不具合を及ぼすことはなかった。いつものように起床し学校に行き授業を受けて、鈴白カナミとトレーニングをする。そしてタイコは自分だけの食事を用意し、自分が着たものを洗濯し、自分が汚した場所を掃除するだけだった。タイコの生活はより律儀に、よりシンプルに洗練されていた。
寂しくはなかった。タイコの部屋には姉がプレゼントしてくれたファンシィ・キディ・ラビットが沢山住んでいる。姉の体温の似たようなものを、このウサギたちは持っている。家に一人でも、一人ではないと感じられる。
お姉ちゃんがいなくたって、寂しくなんかない。
「本当に?」カナミは訝しげに、タイコのブルーの瞳の奥の方を覗き込むようにして見る。「本当に、ヨウ姉ちゃんがいなくても、寂しくない?」
「寂しくないよ、」タイコは微笑んで見せて言う。「変に思われるかもしれないけど、寂しくないんです」
この日は陸上部の練習に付き合い学校の外を走っていた。全長十キロほどの決められたルートがあり、そのだいたい中間に当たる場所には公園があった。この日は珍しくカナミは公園で少し休もうとタイコに提案した。いつものカナミだったら十キロくらい簡単に駆け抜けてしまうのにと、タイコは変に思った。カナミは水道の蛇口を捻り水を飲み、タイコをベンチに誘った。そして姉の話をした。カナミは少し、真面目な顔をしている。
「ヨウ姉ちゃんが帰ってくるという保証があるのなら、私だってその気持ち分かるよ、でも、普通じゃないよ、もっと心配したっていい、泣いたっていい、警察に駆け込んで捜索願いだって出すべきだよ、私がタイちゃんの立場だったらきっとそうすると思う、でもタイちゃんはそうしないし、寂しくないだなんて言う、変だよ、おかしいよ」
「おかしい?」タイコは首を傾ける。「そうね、そうかもしれない、客観的に見れば私はどこかおかしいのかもしれない、クラスの中でも私は随分と変わっているみたいだし、だから友達もカナちゃんしかいないし、でもね、とにかく私の心はお姉ちゃんは必ず帰ってくるって言ってるの、そういう確信が私にはあるの、お姉ちゃんは何があっても私のことを守ってくれるっていう確信がある、私はそんな風にお姉ちゃんのことを理解しているの、律儀な姉なの、無責任な人じゃないの、一般的に仲がいい姉妹とは言えないかもしれないけれど、きちんとした結びつきは存在しているの、お姉ちゃんは身勝手に私のことを置いて出て行ったりはしない、お姉ちゃんには真っ当な理由があって家から出て行ったの、一般的に見て出て行かざるを得ない至極真っ当な理由がね、その理由をきちんと解決してこれは一時的な孤独に過ぎないはずなの」
「でも、孤独には慣れていない、」カナミはタイコの頬に手を伸ばして触れる。その柔らかい部分は濡れていた。「これって、涙じゃないの?」
「え?」タイコは驚く。「泣いてなんかないのに、泣いてなんか」
「泣いてる、泣いてる、」カナミはタイコの体を引き寄せ抱きしめ、頭を撫でてくれる。「はい、はい、よしよーし」
「泣いたふりしてるのよ」
タイコは強がって笑った。けれどカナミの腕をふりほどいたりすることはなかった。カナミの汗だくのジャージからは懐かしい匂いがして、よくヨウコとカナミとタイコの三人でどこかの公園で遊んでいたことを思い出した。
ここじゃない公園で。
赤い華の公園で。