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第二章①

 平良ヨウコが赤座屋に姿を見せなくなってから、すでに三日が経過していた。赤座カズマはその夜眠れずに店内のレジカウンターに座り、ヨウコが残した発注台帳を眺めていた。台帳には繊細で几帳面なヨウコの字で、それぞれのアイテムの発注数量が書き込まれていた。ヨウコはすでに一ヶ月先までの発注計画を立て負えていた。台帳には細かく注意書きまで記されていて、失踪後に赤座が発注に困らないためのヨウコの配慮のようにも思えた。きっとそうなのだろう。ヨウコは計画的に、失踪するための準備を赤座の知らないところで漏れなく着実に進めていたのだ。なんて律儀な女なんだ、と赤座は台帳を眺めながら、もの凄く息苦しくなっていた。

 彼女の家を訪れた次の日、妹の平良タイコから赤座に連絡があった。

 一度、ヨウコは夜の深い時間に家に帰ってきた。しかし、タイコに一羽のファンシィ・キディ・ラビットのぬいぐるみを置いて再び姿を消してしまったと。そして連絡は一向につかないままだと。「でも、でもなんとなくですけど、お姉ちゃんはすぐに帰ってくると思うんです、」とタイコは赤座を励ますように言った。「何かあったことは確かだと思います、赤座さんにも私にも、どうしても話すことが出来ない、知られてはいけない何かがあったんだと思います、お姉ちゃんは律儀なので、きちんと帰ってくると思います、月曜日に必ず私にファンシィ・キディ・ラビットを連れてきてくれるように、だからきっと大丈夫ですよ」

「そうだね、」と言って、赤座は電話を切った。タイコの知らせを受けて安心したことは安心した。事故に巻き込まれたというわけではなく、ヨウコは自分の意志で動いているということがはっきりしたからだ。赤座との縁を切りたいためか、他に何かやんごとならない事情があるのか、とにかく理由がなんであれ、ヨウコは生きている。この世界から消えてしまったわけではないのだ。タイコのなんだか勇気に満ちあふれたような声に励まされたということもあって、赤座は多少なりとも落ち着くことは出来た。赤座は自分に言い聞かせる。「きっと大丈夫」

 しかし一体どういうことだろう、と赤座はヨウコの部屋の光景を思い浮かべながらずっと考えていた。

 ヨウコはギター・コレクターだったのだ。ファンシィ・キディ・ラビットのコレクターだったのは妹のタイコの方で、話を聞けば両親が亡くなった頃から、ヨウコはタイコにファンシィ・キディ・ラビットのグッズを毎週のようにプレゼントするようになったらしい。その頃というのはヨウコが赤座屋に姿を見せるようになった時期とほぼ合致している。

 赤座には訳が分からなかった。考えが及ばない。どうしてヨウコは自分のことをファンシィ・キディ・ラビットのコレクターだと偽っていたのか?

 何のために?

 意味不明だ。

 どうしてそんな意味不明な嘘を?

 そして。

 俺への愛も、気持ちも、話した未来も全て、偽りなのか?

 信じていたのに。

 信じ切っていた。

 ヨウコを。

 ヨウコの嘘に囚われ、おかしくなっていたのかもしれない。正常な判断が出来なくなっていたのかもしれない。彼女の息遣いを、精確に感知出来ていなかったのかもしれない。その息遣いに、果たして俺を愛する気持ちがあっただろうか?

 ヨウコはファンシィ・キディ・ラビット・コレクターだと赤座は完全に思い込んでいた。

 ウサギのことを嫌いではなかっただろう。あの仕事ぶりは嫌いな人間が出来る仕事じゃない。けれど真実は、ウサギのコレクターではなかった、ということだ。

 彼女にとってはおそらくギターが、ロックンロールのような激しい音楽が、未来にくっついて来る、コレクションするのに値する大切なものだったのだろう。彼女の未来は、可愛らしくもいたずらなウサギではなかったのだ。

 なぜ?

 どうして?

 ヨウコの全てが、今となっては信じられない。

 あの歳月が全て、虚構だったように思える。つい最近のことが、とても遠い時間の、夢のように思える。

 しかし不思議と、ヨウコに対して怒りのような感情は浮かんでこなかった。

 疑念はある。けれど、その感情は怒りへとは昇華したりしなかった。

 それが何だ、という気持ちが強かった。その嘘は俺にとって、何か意味があったり、あるいは何か価値があるようなことだろうか?

 自分の気持ちを確かめてみろ。

 俺はウサギ好きの少女のことを、愛していたのか?

 違う、そうじゃない。

 俺が愛していたのは、ヨウコだ。

 ヨウコは、ヨウコじゃないか。

 それは変わらない。

 例えあらゆる全てが偽りで、俺のことを愛していなかったとしても。

 あの歳月が全て、虚構だったとは思えない。

 思いたくない。

 俺はヨウコのことを確かに愛していた。純真というものを感じながら、確かに愛していたじゃないか。

 その気持ちに変わりはないのだ。

 随分と呑気で、幼稚な考えかもしれない。

 騙されたかもしれないというのに、なんと悠長なのだろうと思う。

 でも凄く、好きだったんだ。彼女の嘘よりも、彼女がここにいないという現実の方が俺には激しく許せないのだ。

 赤座は二階に上がり、自室の押し入れの奥に仕舞い込んでいた段ボールを抱え出す。地中に埋まった遺跡の痕跡を掘り起こすように、慎重に。埃が舞い、赤座は少し咳込んだ。ガムテープを破り、段ボールを開ける。そこには赤座が学生時代に聞いていたCDがぎっしりと詰まっていた。その中から数枚を引き抜き一階に戻り、そして普段は店内のBGMをかけるためにレジ横においているプレイヤーにCDをセットする。

 そこから流れる音楽は、いつもよりもずっとファンシィであり、ずっとキディであり、ずっと激しかった。

 プレイヤーの中で回転するのは、コレクチブ・ロウテイションというロックンロールバンドのファーストアルバム。

 懐かしい。

 いつかの赤座はこのCDをずっと回転させて聞いていたのだ。かつての赤座もロックンロールが好きだった。けれどいつしか、聞かなくなった。決して嫌いになったわけじゃない。

 大学を出て働くようになり、色々と忙しくなってCDをセットしてプレイヤーを再生させることすら煩わしくなってしまったのだ。ロックンロールが好きじゃなくても、聞いていなくても、生きていられるようになってしまったのだ。

 いつかの赤座はロックンロールに依存していた。生きていくために、どうにか体を動かすために薬のように毎日欠かさずに必要なものだった。時には寂しさを紛らわすために、時にはその激しいリズムとメロディに気持ちを乗せて叫びフラストレーションを発散していた。

 無理なことを可能にするための起爆剤にしていた。

 ロックンロールとは、赤座にとってそういったものだった。ただの音楽じゃない。音楽以上のものだった。

 今はそれについて、ヨウコと話したい。

 赤座はヨウコとロックンロールについて話したことがほとんどなかった。ヨウコがギターのコレクターだということを知っていればもっと深く彼女のことを知れただろう。自分のことを知ってもらえただろう。

 相容れただろうと思う。

 とにかく今は、彼女をなんとしてでも探し出さなくてはいけない。動かなくてはいけない。躊躇ってはいけない。

 血が熱くなっているのが分かる。

 力が沸いてくるのが分かる。

 コレクチブ・ロウテイションのおかげだ。

 ドント・レット・ミー・ダウン、とボーカルの黒須ウタコが叫ぶ。

 がっかりさせるな。

 まだ、太陽の顔を見ようと思う。

 確かめにいこうと思う。


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