プロローグ
宿命的だったのだろう。今となればそう思う。俺の両親が時期をほとんど同じくして病に伏したのも、東京での暮らしを引き上げて奇妙なぬいぐるみ屋を継いだのも、それから彼女と出会ったことも、すべて宿命的に力が働いていたのだと思う。
彼女はファンシィ・キディ・ラビットというずっと昔からある、少なくとも俺が生まれる前からすでにあった、キャラクターの収集家だった。ファンシィ・キディ・ラビットはイギリス生まれで、数十年前に日本に輸入され一時期爆発的な人気を博した。耳が普通のウサギよりも少し長くて、少し気取ったシャツやドレスを来ていて、口の形が個体ごとに丸、三角、四角と違っていて、色合いもそれぞれ赤、緑、青と違っていた。ファンシィ・キディ・ラビットのぬいぐるみは、その強烈な個性とバラエティに富んだ商品展開がなされたことにより、その時代のヒット商品になった。その頃の女の子たちのほとんどは様々なバリエーションの中から気に入った一体を選び、大きくなるまで肌身離さずに持っていたのだ。ムーブメントが去ってもファンシィ・キディ・ラビットの根強いファンは一定数いて、さすがに流通量は減ったが、今でもぬいぐるみの生産は続けられていて、新商品などもちょくちょく出ていた。
俺が両親から継いだぬいぐるみ屋は、名前を赤座屋という、ファンシィ・キディ・ラビットの品揃えがとても充実していた。東京にある公式のショップと比べても劣らないほどに、ぬいぐるみだけでなく、文房具やらTシャツやらのアイテムも取り揃えていた。それらを買い求めに来る田舎のコレクターたちのおかげで赤座屋はほとんど経営が成り立っていると言ってもよかった。そんなコレクターの中に彼女の姿があった。
平良ヨウコはその当時まだ高校生だった。放課後、週に一度は必ず店に来て、彼女はいつも制服姿だった、必ずファンシィ・キディ・ラビットのグッズを一つだけ買っていった。お金を持っている女子高生がいるもんだと俺はそんな風にしか彼女のことを思っていなかった。彼女が初めて店にやって来てから半年くらいたった頃だったと思う。彼女は律儀にファンシィ・キディ・ラビットのグッズを一つ買い終えてから、
「ここでアルバイトさせて下さい」ととても小さな声で、少し震えていたかもしれない、唐突に言った。「ここでアルバイトさせて頂けませんか?」
「……えっと、」俺は多少驚きながら、初めてまじまじと彼女の顔を見ながら答えた。彼女はとても整った顔立ちをしていた。輪郭を覆う、重たげな黒いショートヘアに隠れて今まで気づかなかったけれど彼女の瞳は息を飲むほどに大きく魅力的で、色は透き通ったブルーだった。「今は、というか、ずっと募集してないんですよ、僕一人で仕事は賄えちゃうんで、すみませんね」
俺はどきどきしながら、彼女の魅力に抵抗するように無理に笑顔を作ってそう答えた。
彼女は悲しげな顔を一瞬見せて、「ごめんなさい」と頭を下げて静かに店を出て行った。
俺は彼女に悲しませた顔をさせてしまったことを少し、いいやとても、後悔した。どうやら俺はこのときすでに彼女の瞳に恋をしているみたいだった。断るしかなかったのだけれど、どうしてイエスと言わなかったのか? どうにか工面すれば女子高生一人雇うくらい平気じゃないのか? いやいや俺は何を考えているんだ? 彼女と俺はきっと一回り以上だって歳が離れてる。どうなりたいって言うんだ? そんなことより何より彼女はもう、この店に来てくれないかもしれないじゃないか?
その心配は全くの杞憂だった。彼女は律儀にも丁度一週間後に赤座屋に姿を見せた。俺はとてもほっとした。そして同時に凄くどきどきしていた。彼女はいつものようにグッズを一つ手に取り、その日はメモ帳だった、レジ前に座る俺のところにやって来る。俺は少し彼女にはにかみながら、彼女もはにかみ返してくれた、レジを操作し会計を滞りなく終える。
「あ、今ね、アルバイト募集してるんですよ、」俺は出来うる限りの笑顔を作って言った。「どうですか?」
彼女の顔は一瞬戸惑ってからぱぁっと明るくなった。「はい、ぜひ!」
それから四年、ヨウコは大学生になったが、赤座屋に半ば住み着くような形で働き続けていた。時給は決して高くはなかったが、文句も言わず一生懸命に働いてくれた。店のレイアウトや発注などもいつしかファンシィ・キディ・ラビットを本気で愛するヨウコに任せるようになった。売上は徐々に増えていった。俺はヨウコとの結婚を真剣に考えるようになっていた。俺が気持ちを告白して真剣に付き合い出してから一年が経っていた。
そんなある初夏の日だった。
彼女がこの世界から消えてしまったのは。
(登場人物)
平良タイコ……十五歳、高校一年生、コレクター。
平良ヨウコ……二十一歳、大学三年生、コレクター。
赤座カズマ……三十二歳、ぬいぐるみ屋。
黒須センイチ……三十二歳、探偵。
黒須リツコ……十七歳、高校二年生、文学者。
鈴白カナミ……十六歳、高校二年生、競技者。
碧野マリナ……十六歳、高校二年生、科学者。
加々美フトシ……十七歳、高校三年生、ザ・トレイン、ベース。
市村ソウイチロウ……十六歳、高校二年生、ザ・トレイン、ギター。
藤沢コウジ……十五歳、高校一年生、ザ・トレイン、ドラムス。
大きな口の女……天使、詩人。