クアトロ編 「これも仕事だ。だが、それでも……。」
偉大なる北の魔王、最強の魔王と呼び声も名高いシャイタン様に仕える事になった日には、狂喜乱舞したものであった。
彼、クアトロは、シャイタンに仕える犬のデーモンである。
正確にはシャイタン直属の配下『四魔将』の一人、『シャイタンの頭脳』とも呼ばれる幹部、アクアに仕える魔族である。
アクアは内政を主に担当する幹部であり、その部下としてクアトロは今までウォカの住まう村、『ヨヨの村』の管理を任されていた。
管理といっても主に行うのは定期的な視察ぐらいで、防衛はシャイタンにより配備されたゴーレムが行い、その管理は部下が行う事になっているので、常に何か忙しい訳ではない。
それでもこの仕事に誇りを抱いていたクアトロは、他の村と比べてもかなりの高頻度で視察を行っていた。
故に、彼は近年のヨヨの村の不作についても懸念を抱いていた。
結果として、その懸念は的中する。
部下を通して、ヨヨの村は、今期の供物として、村娘を捧げるという事をクアトロは知った。
やはり、不作の影響は大きかったのである。村民達は、自分達の同族を贄として捧げる判断をせざるを得ない程に、追い込まれていたのだ。
クアトロは早々に対策を取れなかった自身の未熟を恥じ、それを知ったその瞬間に、すぐさま魔王の居城に常駐する上司、アクアの元に駆け付けた。
不思議な木の枝を思わせる角。それを除けば、その者の姿はヒュマの女性と何ら変わりないように見えた。
スリットの深い、体に密着するような青いドレス(本人曰くチャイナドレス、なる装いらしい)。四肢を強調するような装いは、絶対的な自信から来るものなのだろうか。
髪を丸く結い、艶やかな化粧を施したその女、アクアは自身の元を訪ねてきたクアトロを、実に面倒臭そうに迎え入れた。
アクアの私室。
アクアはソファに寝転んだまま、足を交互に組み直しながら、だらしなく問い掛けた。
「してクアトロ。要件とはなんじゃ。」
「はしたないです、アクア様……。」
ちらちらと見える太股、目のやり所に困るとクアトロは横を向いた。
こう見えても、この女性は偉大なる支配種であるドラゴン(その中でもスイリュウと呼ばれる種族らしい)であり、その中でもウォカの形状を形取れる上位の存在で、更には魔王シャイタンにも物申せる魔王の相談役である。
内政全般を受け持つ知識人でもあるが、普段は飄々としていて今ひとつ頼りなさそうに見えるのである。
アクアは照れるな照れるなとかっかと笑い、身を起こしソファに座り直した。
「お主が妾を訪ねてくるとは珍しいのう。任せていたヨヨの村で何かあったかの?」
飄々としているが、魔王の頭脳と呼ばれるだけあって、流石に頭は回る。
既に話の趣旨は察しているのだろう、とクアトロは理解しつつ、話を切り出した。
「ヨヨの村では近年不作が続いており、供物が間に合わない状況です。その為、いよいよ今期の供物に贄を指定するようでして……。」
「聞いておる。して、お主は何を言いたい?」
アクアの語調が少し強くなる。ビリビリと感じる威圧感に屈する事なく、クアトロは本旨を述べる。
「私の管理不行届です。今期の供物の見送り、もしくは軽減を……。」
「却下じゃ。」
アクアはぴしゃりと言い放つ。
にやけていた顔は真顔に戻り、その大きな瞳がクアトロを睨み付けている。
「他の村に示しがつかん。提示する条件は村ごとに一律じゃ。特例は作れん。」
「しかし……! 同族を贄に差し出させる等……残酷な……!」
クアトロの喉元を冷たい感触が撫でる。気付けば水の糸が首に絡んでいる。
「お主、少しばかり管理下の村に情を持ちすぎではないか?」
否定出来なかった。
自身の管理下である村に対して、クアトロは自信の仕事の誇り以外にも、愛着という感情を抱いている。
勤勉に働く村民達の暮らしを見てきた。決して怠けてなどいない。そして、支え合い、情に溢れた村の日々を見続けてきた。
供物とされる娘も、元は余所者とはいえ、働き者のよくできた娘であった。
ぎゅっと拳を握りしめる。クアトロの堅い表情を見てか、アクアの真顔が少し崩れた。
「何も供物に贄を選ぶ例は初めてじゃない。他所の村じゃちょくちょくあるわ。お主は気負いすぎじゃ。」
返す言葉もない。しかし、認めたくもない。クアトロは黙りこくっていた。
「……まぁ、悪いようにはせんよ。」
「しかし、あの娘は……。」
「余計な事は気にするな。妾の言葉を信じられんのか?」
「……出過ぎた真似をしました。申し訳御座いません。」
アクアは頭を下げたクアトロを見て、にかっと笑った。
クアトロはアクアに対して全幅の信頼を寄せている。
彼女の言葉を疑ってなど居ない。
アクアを信じて、クアトロは娘の無事を祈る事にした。
……等というのは言い訳で。
私は、アクア様を信じたという事にして、至らぬ自分を正当化し、考える事をやめた。
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娘を抱えて、いよいよクアトロは、魔王の玉座の前にまで差し掛かっていた。
供物に贄が選ばれた場合、村の管理者は贄を連れて、魔王に直接謁見する。
異様に巨大な扉を前にして、クアトロは抱えていた娘を降ろし、ごくりと唾を飲み込んだ。
(いよいよか……。)
クアトロは当然シャイタンを見た事はある。しかし、供物に贄が選ばれた事のないヨヨの村から、贄を連れて、真正面から謁見する等という事は今までにない。
かつてない緊張に震えながら、クアトロは降ろした娘の方をちらりと窺った。
娘はふるふると震えていた。当然だ。贄に選ばれた娘、当然今のクアトロ以上にこの扉の先に待ち受けるものが恐ろしいだろう。気丈に振る舞い笑顔さえ見せていたが、今では表情は強ばり、目の端には涙が溜まっている事も見受けられる。
クアトロの胸がぎゅっと締め付けられる。
「すまない……。」
ぼそりと、娘にも聞こえない程に小さな声でクアトロは呟いた。
彼女を連れて逃げ出してしまおうか。そんな事は欠片も考えられない。
この先に待つものを知らない娘よりも、クアトロの方が、それの恐ろしさを知っているからだ。
巨大な扉がゆっくりと開く。
僅かな隙間を空けるだけでも、ヒュマは勿論、ウォカよりも巨大な体躯を持つデーモンは十分に通れる程の巨大な扉。開ききる前に、クアトロは娘の手を握り、扉の中へと進んだ。
地の底から響くような声、そんな表現がぴったりな、空間全てを振るわせる声が響き渡る。
「「…………来タカ。」」
握る娘の手がガタガタと震えているのが分かる。いや、これは握るクアトロの手も震えているのだろうか。
床に敷かれた幅の広い赤絨毯の先、首を思い切り上に傾けてようやく顔が見える程の、大樹の如き巨体が、それまた巨大な玉座に腰掛け、ずらりと並んだ牙の隙間から禍々しい魔力を溢れ出させながら、目をぎらりと輝かせて見下ろしていた。
金色に光る鋭い目。頭には禍々しい巻角。並んだ牙はそれ一本でクアトロの身の丈程もあろうかという凶器。首回りに森のような黒い体毛を茂らせる、まるで山のような怪物。
北の魔王、シャイタン。
最大最強の魔王と称されるデーモンは、大気を振るわせる声でクアトロに語りかける。
「「………………『ソレ』ガ、ヨヨノ、供物カ?」」
シャイタンの大きすぎる目は果たしてクアトロを見ているのか、それとも傍らの娘を見ているのか。
重々しい声に、クアトロは膝を折って、頭を垂れた。
「……はっ! そ、その通りで御座います……!」
シャイタンは静かに見下ろしている。まるで、供物を値踏みするように。
バクバクと心臓が鳴り響く。傍らで怯えているであろう娘に意識を向ける余裕すらない。
やがて、値踏みが終わったのか、シャイタンは再び口を開く。その度に禍々しい魔力が口から吹きだし、周囲の空気をより重々しくする。
「「…………娘ヨ。」」
「……は……は……い……。」
震える娘の声が聞こえる。シャイタンは娘に話しかけている。
「「……何カ、望ムモノハ、アルカ?」」
シャイタンの口から出たのは意外な問いだった。
ちらりとクアトロは娘の顔を窺う。
ぶるぶると震えながら、もう涙を止める事もできなくなっていながら、娘はごくりと息を呑み込んでから、シャイタンの問いに答えた。
「……ヨヨの村の、みんなには、手を出さないで、下さい。お願い、します。」
こんな時でも村の事を想うのか。
クアトロの胸が更に締め付けられる。
こんなにも震えながらも、怯えながらも、自分の身よりも周りの者を優先するのか。
何も出来ない自分がもどかしい。クアトロはぎしりと牙を鳴らす。
シャイタンは娘の願いを聞き、僅かに何かを言い淀んだ。
「「……言ワレズトモ、ワカッテイル。……ソウデナク……イヤ……。」」
巨大な腕が動き、巨大な額に、巨大な掌が当てられる。
シャイタンは何故か顔を覆った。
しかし、それも僅かな間の事で、すぐに手を下ろしたシャイタンは、続く言葉を発した。
「「…………モウヨイ。…………アクア。」」
「此処におりますじゃ。」」
いつの間にか、玉座の脇にアクアがいる。クアトロはいつからそこにアクアがいたのか、いつここに入ってきたのか、全く気付けなかった。
「「…………連レテ行ケ。」」
「御意に。」
アクアがかつかつとヒールを鳴らして、娘に歩み寄る。そして、娘に手を差し伸べて、にこりと胡散臭い笑みを浮かべた。
「こちらへ。」
黙ってその手を娘が取る。
駄目だ。いけない。そちらに行っては。
クアトロの喉の奥からそんな言葉が出る事はいよいよなかった。
娘がアクアに連れられて、玉座の脇、奥にある空間へと連れて行かれる。
娘がどんな運命を辿るのか、クアトロには知る由もない。
「「…………ゴ苦労ダッタナ、クアトロ。下ガッテ、ヨイゾ。」」
クアトロはシャイタンの重々しい言葉に頭を垂れて、素直に玉座の間から退出する事しかできなかった。
娘はどんな運命を辿るのか。
生きて日の目を拝む事は二度とないのだろう。
本当にすまなかった。全ては至らぬ私のせいだ。
許してくれ、等とは言えない。
私は二度と、このような哀れな娘を生み出さぬよう、努めていくことしかできないのだ。