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カゲノコと異星人

作者:

 今日はカゲノコが安かった。下処理をされ、頭部の切り身が五切れ入ってお値段398円。これでダーリンを喜ばせることができる。

 私は品ぞろえ豊富な鮮魚コーナーから、一番大きくて鮮度の良いカゲノコを選び、買い物かごへ放り込んだ。

 カゲノコは、全世界で食べられている食材で、正式名称はソラクラゲ。海のクラゲとは違い、黒い半透明だが、形はクラゲそのもの。養殖が盛んになり、街中では見なくなったが、山や海の方に行くと、空中をプカプカと漂う姿を見ることができる。

カゲノコは昔から人の影から取り憑く生き物だと言われていた。確かに影と保護色だから、足元に来られると影と同化して、消えたように錯覚するのも無理はない。それを取り憑かれたと勘違いするのは、なんとも昔の人っぽい。

それで、取り憑かれた人がどうなるのかというと、影から心の中へカゲノコに侵入される。心に入り込んだカゲノコは、心を操り本人の意思とは関係なく、勝手に本心や隠し事をべらべらとしゃべらせるのだとか。

私はこの言い伝のせいで、カゲノコが嫌いになってしまった。

小学校一年生の頃、テレビでカゲノコ特集をやっていて、その時にカゲノコの言い伝えを知った。幼い私の心臓は恐怖で縮み上がった。もしカゲノコに取り憑かれたら、好きな男子は田島君、この前妹とかくれんぼをした時に押入れの襖を少し破いてしまった、つまみ食い、宿題をしていないなど、全部ばらされてしまうのではないかと怖ろしくて仕方がなかった。

この頃はまだ街中でもカゲノコを見かけることはあったし、切り刻んでいても取り憑いてくるかもしれない。迫りくる恐怖から子供なりに重大な秘密を守る為に、私は対策を二つ編み出した。

一つは食べないこと。もう一つは歌うことだ。

一つ目はまあ分かるとして、二つ目の対策だが、これはカゲノコ漁の風習をまねたものだ。

同じ特集番組で知ったことなのだが、カゲノコ漁の漁師たちは、大声で陽気な歌を歌いながら、漂うカゲノコを打ち落とす。陽気な歌には、カゲノコを取り憑かせない不思議な力があるとかないとか。

私は漁師のように外に出るたびに歌いまくり、次第にそれなりに上達しいき、その延長で中、高と合唱部に入っていた。コンクールで優勝したこともあり、本気で歌手になろうと思っていた頃もあった。

話が少しそれてしまったが、私はカゲノコ特集を見て以来、カゲノコを拒否してしまい、一度も口にしていない。勿論、言い伝えなんてとっくの昔に信じてはいないが、それでも何故か口に運ぶ気にはなれなかった。

今日スーパーでカゲノコを買ったのも、愛するダーリンの為だ。

昨日、カゲノコを切らしていることを伝えると

「えー、カゲノコ無いの? 普通常備しとくもんでしょ。家では冷蔵庫にいつでも入ってたぞ。あ、お前カゲノコ食わないんだったよな。カゲノコ嫌いとかこの星の人間としてあり得ないでしょ。もしかしてお前、異星人?」

とがっかりされてしまった。

 愛する人の為なら、嫌いな食材を調理するなんて容易い。実家と比べられるのも、異星人呼ばわりされるのも、ご飯を食べたらすぐ帰ってしまうのも、後輩の女性の話ばかりするのも、私が駄目な女だからだ。大丈夫、今も時々好きと言ってくれるし、仕事が落ち着いたら結婚しようって三年前に約束もしてくれている。きっと私はあの人と幸せになれる。私は今二十八歳。ダーリンに見捨てられたら、もう次に私を愛してくれる人なんていないような気がする。だから、できるだけあの人を満足させられる良い女じゃないと。

「頑張れ私。ファイト、オー……お?」

 買い物袋片手に夕暮れの住宅街をあるく私は、自分で自分を元気付けてる最中に、何やら道端に転がる黒い物体を見つけた。最初はゴミかと思ったが、徐々に距離を詰めていくと、その正体がはっきりと分かった。

 カゲノコだ。カゲノコがアスファルトの上で動いていたのだ。スーパーで見かけるような下処理されたものではなく、生きたカゲノコだ。

 小一六歳の私なら、泣きべそをかきながら陽気な歌を歌い、全速力で逃げ出すだろう。しかし、今の私はOL 二十八歳の私だ。珍しいと思うことはあっても、逃げ出すことはない。

 私はどうしてこんな所で転がっているのか気になり、カゲノコの真後ろまでやって来た。

 足を止め、カゲノコを見下ろす。カゲノコは少しずつではあるが、柔らかい全身をフル活用しながら前に進んでいた。

 視線を前にやると、二メートルほど先に昨日の雨でできた水たまりがある。もう一度カゲノコに視線を戻すと、表面が乾いて潤いがないことに気が付いた。

 そうか、あの水たまりに行きたいのか。

 原因解明が済んだ私は、買い物袋を右手から左手に持ち帰ると、ためらいなく足元のカゲノコを掴み上げた。

 掴まれたカゲノコは触手を動かし私の手から逃れようとするも、抵抗が弱く振りほどけない。手の平から伝わるカゲノコの感触は、柔らかく弾力はあるものの、やはり乾ききっていた。

 私はカゲノコを掴んだまま歩き、水たまりのそばまでやって来ると、しゃがんでそっとカゲノコを水の中へ放してやった。カゲノコは嫌いだが、消えかけている命を見捨てるほど、無情にはなれなかった。

 水を得たカゲノコは、すっかり潤いを取り戻し、静かに水たまりに浸かっている。その姿は、日々の疲れをいやしに温泉にやって来た人のようだ。

 心なしか嬉しそうなカゲノコを見て満足した私は、

「じゃあね。水分補給はこまめにな」

とカゲノコにひと声かけて立ち上がった。

 急いで家に帰らないと、ダーリンが来るまでに夕飯が出来上がらなくなってしまう。

 私は言い伝えのことなんてすっかり忘れて、カゲノコの上を跨いでその場を後にした。


「お、今日はカゲノコあるじゃん」

 合鍵で私の住まいであるマンションの一室に入って来たダーリンは、テーブルに並べられた料理を見て、開口一番にそう言った。

「うん、昨日買いそびれちゃってごめんね」

 ダーリンは満足そうに微笑むと、いただきますも言わずに、真っ先にカゲノコに箸を伸ばした。この笑顔を見れたら、私も満足することができる。

 ちなみに、今日のカゲノコは時間がなかったので刺身にした。残りは冷凍室に入れてちゃんと保存してある。

「やっぱ美味いな。こんなに美味いのに食べないなんて、お前人生の半分損してるよ」

「そうかな。でもカゲノコ以外にもおいしい食べ物はいっぱいあるんだしさ」

「そういうこと言ってるんじゃなくてさ。あーあ、後輩のエミちゃんなんて、カゲノコ大好物だってバクバク食べるのになあ」

「へえ、そうなんだ」

「これ見よがしに、私は嫌いだから食べませーんなんてされるとさ、好きな人的にはあんまりいい気分には慣れないんだよね」

「……」

「少しは食べられるように努力してみたら? あ、お前異星人だったなアハハ」

「どうしてあんたはそこまで自分中心になれるの?」

 二人の間の空気が一瞬で固まった。 

 私の言葉に驚いたダーリンが、目を丸くして私を見つめる。同時に、私も目を丸くしていた。今の言葉、勝手に口から出てきたのだ。

 ダーリンが何か言いたげに口を開くも、それを遮り、私の口はべらべらと勝手にしゃべりだす。

「自分と好みが合わないからって、人を馬鹿にしたり、他人と比べていいの? 良い訳ないじゃない。どうしてあんたの好物ごときでグチグチ文句言われなきゃならないんだ。あんたは人の考えを受け入れる柔軟な心が無いんだ」

 やめて、やめて。どうして勝手に口が動く。そんなにストレスが溜まっていたのだろうか。

ストレスなんて日曜日のカラオケで、発散しているはずなのに。

「そもそも可愛い後輩に鼻の下伸ばしてるけど、あわよくば男女の関係になれるとでも思ってるの? 自分の容姿自覚してる? 下の上くらいだよね? 顔も性格も良くない取り柄のないあんたが、若くて可愛い女の子に相手してもらえるわけないでしょ」

「な、なんなんだよ急に!! 喧嘩売ってんのかよお前!!」

「私はあんたのお母さんでも飯炊き女でもないの。これ以上惨めな思いをさせないで」

「ああ、そうか分かったよ! ふざけたことぬかしやがって。お前とはもう別れる。泣いて謝っても絶対許さないからな!」

「ええ、もういいの」

 お願い口よ、止まってくれ。それを口に出してしまえば、私は、私は一人ぼっちになってしまう。

「あんたのことを好きだって思い込むのは、もう疲れたから」

 私の願いは届かず、この口は身勝手に終わりの言葉を吐いてしまった。

 ダーリンは目を大きく開くと、怒りの形相で足音を荒々しく立てながら、部屋を出て行った。

 私の頭の中に、最後の言葉がループする。好きだって思い込む。もう疲れた。その通りだ。私は一人されたくなくて、もう好きでも何でもないあの人に縋り付いていた。本当は凄く惨めだ。今まであの人に費やした時間が全て無駄になった。

 でも、どこか重荷が取れたような気分でもあった。これからは自分の時間が取れる。もう馬鹿にされる事も、惨めな気持ちになることもない。生まれて初めて、解放感というものを味わうことができた。

 それにしても、どうして私の口は好き勝手に動いたのだろう。もしかして、さっきのカゲノコの仕業だろうか。いや、あんなのはただの迷信。きっと自分でも気付かない内に鬱憤が溜まっていたのだろう。

 自分なりに納得がいく答えを導き出したと他、何故だか急にベランダに出て外の空気を吸いたい気分になった。何かに命令されているかのように、私はベランダに行きたくて仕方がなくなってくる。

 たまらずベランダの窓を開け、サンダルを履いて、ベランダへ出た。心地よい夜風が私を包み、つい深呼吸をしてしまう。

 すると、風と共に煙草の匂いが漂ってきた。どこから匂うのだろうか。私は匂いの元を探すべく、ベランダから頭だけを出して、辺りを見渡そうとしたら、右隣から

「こんばんは」

と声が聞こえた。

 私は思わず声のした方へ、顔を向けると、そこには隣のベランダの壁に持たれながら、こちらを見ながら煙草をふかす、同年代の男性が立っていた。

 バッチリと目が合ってしまい、なんとなく気まずさを覚えながらも

「こんばんは」

と挨拶をした。

「なんだか揉めてたみたいですけど、大丈夫ですか?」

「え、ああ、大丈夫です。お騒がせしてしまってすいません」

「いえ、構いませんよ。あ、僕河本といいます。失礼ですが、なんてお名前でしたっけ?」

「私はカゲノコ嫌いの異星人です」

 二人の間の空気が固まった。本日二度である。また勝手に口が動いたのだ。完璧に変な女だと思われただろう。勝手に動く口のお陰で、恋人とは別れ、隣人には変人扱いされそうだ。

 しかし、隣人の河本さんは、思いっきり噴出すと

「随分と斬新な自己紹介ですね。なんですか異星人って。それだったら僕も、あなたと同じ異星人になっちゃいますよ」

私の妙な発言を簡単に笑い飛ばした。

「え? 同じ?」

 河本さんが私を変人扱いし、引いたりしなかったことよりも、同じという言葉が、私の頭に引っかかった。

「はい、僕もカゲノコが嫌いで食べれないんですよ」

 屈託のない純粋な笑顔を、彼は私に向ける

「だから同じ」

 同じ。同じというたった二文字が頭にこびりついて離れない。この人は私と同じ異星人。馬鹿にしてくることも、他人と比べられることもない。

 同じ異星人を目にして、ああ、あの人とは縁がなかったんだな。別れて正解なんだなと納得することができた。

 しかし、恋人と別れてすぐにこの出会い。まるで異星人は異星人同士仲良くしなよ。誰かにそういわれているかのようだ。

「ん? あれなんですかね?」

 急に河本さんが声を上げ、夜空に向かって何かを指さした。私はその指を頼りに、河本さんが見ている物を探し出す。

「カゲノコだ」

 私は何かの正体がすぐに分かった。一匹のカゲノコがプカプカと優雅に夜空を泳いでいたのだ。

 もしかして、さっき助けたあのカゲノコだろうか。やっぱり私に取り憑いていたのだろうか。まさか言い伝えは本物? 恩返しにでも来たのだろうか。

 正直どれも真相はよく分からない。でも、一つだけ確信をもって分かることがある。

 これからも、私はきっとカゲノコは食べないだろう。


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