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 騒めきに満ちた広いはずの部屋の中央で、背もたれのない椅子に浅く腰を下ろし、精一杯に身を縮こまらせたまま、カミーユは周囲から投げかけられる言葉の刃に虚ろな瞳でじっと耐えていた。

 順序も何もない、ただ言いたい事だけを口々に放つだけのそれは、例え聞き取りを専門にしている筈の書記官でさえも聞き取れないだろう程に入り混じり耳障りな雑音と化している。判るのは、それらのすべてがカミーユを責め立てている、ただそれだけだ。

 最初は、まだ秩序だっていたと言えなくもなかった。苦言を呈するのは一人ずつ、順序だてられていたしまだ或る程度は理性的とも言えただろう。それが崩れたのは、とある騎士爵を所有する男の発言からだ。

 曰く、「演習先で季節外れの長雨によるがけ崩れに遭い騎士隊に死亡者が出た。守護竜様の加護が失われたせいだ」と言う、ある意味無理やりの暴論(こじつけ)にも近いものだ。しかし、それを指摘する事の出来るものはこの場には誰一人おらず、そして中々日の目を見る事のない没落、あるいは下級の貴族たちの箍を緩める(りせいをうしなわせる)のには十分過ぎてしまった。

 途端に順序も序列もなく、皆が口々に囀り始める。内容は悉く似たようなモノだ。例えば、己のささやかな領地で災いがあった、身内に不幸があった、果ては自分が出世できないのも加護がないせいだ、などと(うそぶ)く始末である。

 常態であれば、カミーユとてもそれがただの言いがかりであると反論する事も出来ただろう。無論、多少向こう見ずで考えなしな彼ではあるが、王族に相応しい教育は受けてきている筈であるし、多少の事で打ちのめされる程の柔な精神の持ち主ではないから、先日の夜会の事(ふしょうじ)を引きずっているというわけではない。

 この国における背もたれのない椅子、とは、主に裁判等で罪人を座らせるモノの事を差す。当然ただの椅子ではなく、罪人が暴れる事を予想しての拘束具も付随したものだ。

 後ろ手に拘束されたまま、ただの一人の味方も、護衛の騎士すらもいないままに無数の侮蔑と嘲笑、罵声に晒されているのだ。さらには、反論さえ出来ぬよう口枷さえ嵌められて掠れた呻きを漏らすことしかできない。嘗ては心地良いとさえ思えた、今では噎せる程に甘いカーラと同じ香りに包まれながらも、それは彼に何の気概をも与えてはくれなかった。例え、知らずとはいえ守護竜相手に啖呵を切った豪胆(むぼう)さを持っていても、今の彼はただ強制された無抵抗さで以て言葉の刃に切り裂かれ続けるだけの存在でしかないのだ。


 カミーユからしてみれば無限にも感じられる拷問の時は、実際は四半刻も続かなかった。人一人を衰弱させるには十分長いと言えるけれど、集まった貴族たちはまだまだ言い足りなさそうだ。

 しかし、それでも彼らが口を噤んだのは、彼らからすれば圧倒的に上位の、通常なら言葉を交わすことすら許されない存在が現れたからで。

 荒々しく叩きつけるように開かれた扉を潜り現れたのは、六人の男女。そのいずれも、年の差、性差こそあれど貴族たちの中央で項垂れているカミーユによく似ている。


「……アルベール王太子殿下、オーギュスト殿下、アルチュール殿下……?」

「アルティセール侯爵夫人……ラロッシュ辺境伯夫人、クレール王女殿下……なぜ、ここに……」


 誰が口にしたものか、振り絞る様なその声が聞こえたのか、名を呼ばれたカミーユの兄姉(きょうだい)達は、そのよく似た端正な顔に、全く同じ優雅な笑みを浮かべて見せた。その瞬間、熱気に満ち溢れた広間の温度が、一気に季節外れの吹雪に見舞われたかのように凍てついた様にさえ感じられる。


「さて、この会合は一体何を目的としたもの、なのかね? 外出する事を禁じられている、謹慎中の弟を態々引っ張り出して弾劾し(いじめ)ていたように見えるのだが、私の目の錯覚だろうか?」

「いいえ、いいえ、お兄様。あたくしにも同じモノが見えておりますわ。あたくしたちの可愛い弟を、一体何の権利を以て、誰の許可を得て苛んでいるのでしょう? あたくし、国王陛下(おとうさま)からは何も聞いていなくてよ?」

「ちらりと漏れ聞こえた話によれば、自分たちの不手際を全てカミーユに押し付けようとしているらしいですな、姉上」

「わたくしも同じモノを聞きましたわ。何でも加護が失われたから自分たちがひどい目に遭っているのだと、要するにそういうことですわよね? それはおかしいわ、中兄様。守護竜(アンジェリーヌ)様はかろうじてこの国に棲んで下さってはいましたけれど、それはオーレリアン様と先王陛下であるお祖父さまが懇意にしていたからで、本来の守護竜のようにこの国に愛着を持ってくださってはいませんでしたもの。当然与えられる加護は最低限も最低限、酷い災害を防ぐ程度でしかありませんわ。それが打ち切られたところでこの国へ与える影響など少なくとも中間期(いまのじき)ではほとんどありませんのにね?」

「そもそも、小姉上。アンジェリーヌ様のご機嫌を損ねた最初の切っ掛けも、アルフォンシーヌ様への、親しくもない家からの、仲介さえも得ていない不躾な婚約の申し込みがひっきりなしに相次いだ所為だったはずだよ。この場にいるのは心当たりのある人ばかりなのではないかな?」

「カミーユがアルフォンシーヌ様に気に入られた後は、何とかオーレリアン様、アンジェリーヌ様、アルフォンシーヌ様とお近づきになろうと、随分と必死だったようだが……父が元ガニアン侯爵たちが社交の場に出ずとも良いとしなければ……とうの昔にアンジェリーヌ様は神龍様(おちちうえ)の元へと帰られて居ただろうな。……ああ、兄上たち、私と辺境伯夫人(あねうえ)はカミーユを連れて先に戻っております。本来はならば私もここに残りたいところですが……いえ、後はお任せ致しましょうか。さ、姉上?」


 まるで隣国の白竜山を吹き降りてくる風のように凍てついた声が、それぞれの口から零れでる。そのいずれもが、深い怒りを滲ませており、今度はそれまで居丈高に振る舞っていた貴族たちが身を縮こまらせ震えあがった。カミーユの年の離れたすぐ上の姉のクレール王女が辺境伯家へと嫁いだ第二王女(あね)と共に、ぐったりとした末王子を連れ出すことを止める事を思い至らない程に。七人が七人、全員が同腹ということもあってかとても仲睦まじい兄弟(かれら)は、故に一同でとても可愛がっている末王子の事となれば聊か過剰な反応(ほうふく)をする事は、直接顔を合わせたことのない貴族の末席、どころか王都の住民達(へいみん)にさえも知られている事だ。

 終わった、と小さく呟いたのは一体だれだったろうか。


「し、しかし殿下方、カミーユ殿下が、アンジェリーヌ様の去る直接の原因であるのは間違いない事実で御座いましょう。弟可愛さの余り、目を曇らせるような事など……」

「例えそうでも、いまだ陛下が沙汰を下していない事に貴方方が沙汰を下そうなどと、不敬で御座いましょう? それをこのようなモノまで持ち出して……背もたれのない椅子、これは正式な裁判の際にしか使用許可の下りないモノであり我がアルティセール家が管理するもののはず。あたくしも、旦那様も使用許可を出すどころか、申請すら受けてはおりませんわよ?」


 司法を司ると言われるアルティセール侯爵家に降嫁した、第一王女(こうしゃくふじん)の言葉に、一斉に貴族たちの顔色が蒼ざめる。そもそもこの場にいるのはほとんどが男爵か騎士爵だ。ごく少数に没落仕掛けた伯爵や侯爵が混じってはいるものの、それでも王女を妻に迎えられる程に隆盛を誇る家の職分、権能を侵す様な真似をしたのだ。知られてしまった以上家の断絶程度(ただ)で済む筈がない。


「……まあ、姉上、この場にいるお歴々には早々にご退場願いましょう。無断で他家の管理する備品を持ち出し、王子を不当に責め立てたのです。ただで済むとは思われませんよう。……庶民でも知ることのできる隠匿されていない情報を、(カミーユ)も含めてこれほど理解していない者が多いとは思いませんでしたが、ね。ああ、抵抗して無駄な手間をかけさせないで下さいね。貴方方の捕縛は、王太子殿下の名を以て命じられています。騎士達(かれら)がいくら一代貴族(もとあかいち)だからと言っても、罪人となった爵位貴族(あおいち)の威光は通じませんのでそのつもりで」


 第二王子(オーギュスト)がそう言って指を鳴らせば、彼らの背後から騎士に率いられた兵士たちが雪崩れ混んでくる。人目を避けるように、広いけれど奥まった部屋を選んでいた貴族たちは逃げ場もなく次々に捕縛されていった。

 程なくして蟻の子一匹逃がさぬ包囲網にその場に集っていた者たちが残らず拘束された頃、治療師の白いローブ(はくい)に身を包んだ少女が慌てた様に駆け込んで来たのを見て、アルベールは思わず形の良い眉を顰めていた。使い走りとはいえ、王宮に勤める以上は優秀であることは間違いない少女の顔色に、想定していたいくつかの事態を脳裏に浮かべる。否、少なくとも彼が把握している範囲で礼儀を忘れる(そこ)まで緊急性の高い事態はなかったはずだ。


「何があったのですか?」

「はい、つい先程カミーユ殿下からドラゴニスの香が検出されました。詳しい検査は今行っているところですが、先日の御令嬢から検出されたものと同じ物かと。私は早急に、殿下方にお伝えするようにと言われまして……」

「ドラゴニス……わかった、すぐに行こう……いやアルチュール、医師団から話を聞いて纏めてくれ。オーギュストとカトリーヌにはこの場を頼む。私は父上の元に向かう。ああ、オーギュスト。多少キツ目に締め上げても構わないよ。むしろ今ソレが必要な案件になったからね。よろしく頼むよ」

「了解致しました、兄上。お任せください」


 一見、タイプこそ違えど眉目秀麗な兄弟の笑みを交えた会話だ。何も知らない若い娘ならば黄色い声をあげて騒ぎ立てるだろう眼福モノの光景なのだけれど、彼らの実態を知るものから見ればそれはそれは恐ろしいモノでしかあり得ない。捕縛されている(やらかしてしまった)貴族たちからすれば、それに晒される事に比べれば己の処刑執行書に自ら署名し断頭台を前にするほうが、余程に精神衛生上良い(マシな)事だろう。

 そうして足早に立ち去った第一王子(アルベール)第三王子(アルチュール)を見送った第二王子(オーギュスト)侯爵夫人(カトリーヌ)は、見るものを蕩かす様な見目麗しい美貌に、見るものの背筋を凍らせるような笑みを浮かべて振り返る。


「うふふ、あたくしたちの大切な弟を不当に責め苛み、我がアルティセール侯爵家を軽んじたばかりか、まさかの龍種に対する大逆さえ行っているなんて。知らなかった、等と言う言い訳は、例え真実であろうとも通じませんわ。お覚悟はよろしくて?」

「ベルダン伯爵家子息を名乗る貴様には、更に身分詐称の罪も加えられる。まあ姉上が述べた龍種への大逆に比べれば国を相手にしたモノだけに微々たるものではあるがな。第一騎士隊はそこの男じしょうはくしゃくしそくを別室へ連れていけ。俺直々に取調べを行う。残りは外の連中の選別作業だ」


 二人の言葉に、己に向けられているものではないと分かっていながらも背筋に氷を押し当てられたような顔をした騎士たちは、まるで見えない何かに追い立てられるかのように、命じられたままに呆然と立ち尽くす見事な金髪(・・・・・)の優男を身動ぎ一つ出来ないほどに簀巻きにし運び出していった。

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