01
人気のない山道、アスファルトの真ん中を彼は歩いていた。
迷いを見せず、断固とした足取りで。
やがてその道は、高い塀と鉄製の門に行く手を阻まれた。
門の内側に作られた詰所から、警備員の制服を着た男が姿を見せる。
「どうした、坊や。道に迷ったのかい?」
僅かに膝を屈め、親身な口調で問いかける。
それを、少年は無感動な瞳で見上げていた。
静かに、緊迫した空気の中続いていた事情聴取は、小さな機械音で中断した。
小さく舌打ちして、西園寺が机の隅に置かれていた電話を手にする。
「何や」
『私だけど。今廊下にいるんで、開けてくれないか?』
「お前が挨拶にくる必要ないやろうが」
『そう? 東門が二番目まで突破されたんだけど』
突然立ち上がった男に、少年たちは驚いたような視線を向けた。
「もうか? やけに早いやんか」
『いやあ、本当に彼らだったら遅いと言ってもいいと思うよ。開けてくれない?』
「どういう意味や」
『襲撃されていて、相手の正体は不明ってことだよ』
受話器と背後から、同時に小さく機械音が鳴る。扉を開けて入ってきた男の姿に、西園寺がぽかんと口を開いた。
「君は開けてって何回言ったら聞いてくれるんだい?」
「……漆田! お前、何で……」
白衣の男は、片手に持った機械を軽く掲げて見せた。掌の上に軽々と乗るそれは、小型のノートパソコンのように見える。
まあ、そもそもこの本部の防衛システムを組み上げたのは漆田だ。彼がマスターキーを手にしていないなどと、期待するだけ無駄だった。
「ほらほら。今日は人手が足りないんだから、早く行ってくれよ。警備室で説明受けてね」
その当人は軽く言葉を続け、ぽん、と西園寺の肩を叩いた。
「ああもう、判ったがな。そいつらに余計なこと吹きこむんやないで」
「私が?」
目を見開いて問い返す漆田に、胡散臭そうな目を向ける。そして少年たちに向き直った。
「悪い、ちょっと外すわ。こいつを置いていくけど、まああんま気にせんといてくれ」
「何かあったのか?」
さらりと咲耶が尋ねる。僅かに険しい視線で一瞥すると、西園寺は踵を返した。
「ワシの仕事や。お前らは心配せんでええ」
「誰がお前を心配してるって?」
眉を寄せて毒づく。口の端に笑みを見せて、男が肩越しに振り返る。
「ワシのことを心配すんなって言うた訳やないんやけど?」
「うるせぇよ! とっとと行っちまえ!」
怒声を背に、西園寺は戸口から姿を消した。
それを見送っていた漆田が、呑気な声を上げる。
「噂に聞いていたよりも仲良しなんだねぇ」
「全然違う」
じろりと睨め上げられるが、青年は動じた様子もなかった。
「まあ彼が戻ってくるまで、ちょっと私が留守番しているからさ。私の名前は、漆田。うるたんって呼んでくれていいよ」
にっこりと笑ってそう告げられて、少年たちは色々と対処に困っていた。
警備室の扉を開けると、大股で西園寺は奥へと進んでいった。
突き当たりの壁は一面が巨大なモニタになっている。幾つも並ぶ机はほぼ無人で、ただ一人の男だけが中央の席に座っていた。
「正体不明やて?」
挨拶もなく問う西園寺に視線も向けず、制服を着た男はモニタに幾つか開いていたうちの一つのウィンドゥを大写しにした。
そこには、アスファルト舗装された山道を、一定の速度で歩き続ける少年が映し出されている。
外見は、酷く幼い。小学生といったところだろう。
「虚実は?」
「八十二パーの確率で実存在です」
「見ぃひん顔やな……」
椅子の背もたれに片手を置き、乗り出すようにしてモニタを見上げる。
「予想していた相手ではないようですね。判別できる属性は言語でラテン語系」
「大雑把やな。もう少し絞りこめへんのか?」
「絞りこんで、それなんです。カテゴリ分けされる以前の存在みたいですよ」
「……マジか」
低く呟く。少しばかり自信がなくなったか、職員は人差し指で頬を掻いた。
「もう少し人手があったら、もっと詳しく調べられたと思うんですが。すみません」
「しゃあないやろ。あの家が来るかもしれんのや。今日出勤するんは、最小限にしたいって理由ぐらい判る。……こんな日に、出てきてくれてすまんな」
しかし、予想していたよりも侵入者は幼い。しかも一人きりだ。
「どうやって入ってきたって? 被害はどれぐらいや?」
職員は手早く他のウィンドウに切り替えた。鉄の棒を組み合わせて作られた門扉が、無惨にひしゃげて破られている。
「詰所にいた警備員が一名、やられています。心拍数は正常、映像では外傷も見当たりません。おそらく気絶しただけだとは思いますが、直接調べてみなければ、何とも。今、鉢合わせしないように、外回りで救助班が向かっています」
「割と力押しやな……」
詰所には、普段なら二名、状況が許せば三名はいる筈だった。仕方がないとはいえ、今日襲撃を受けるとは不運だ。
よし、と呟いて背を伸ばす。黒の背広を手早く脱いだ。
「銃のご希望は?」
制服の男が手馴れた様子で問いかける。
「片手で扱えて、できるだけ弾数が多い奴で頼む。取りに帰れるとも思えへんしな」
左手の壁に作りつけになっていた扉つきの戸棚の一つが自動で開く。近寄った西園寺が、中から拳銃とホルスターとを取り出した。慣れた手つきで腕に通す。
「弾はどのランクで?」
「純銀! どれぐらい残っとる? 弾数制限とかないやろうな」
「懐にまで入られているのに、そんな余裕はないですよ」
苦笑気味に答えられると同時、二つ隣の戸棚が開いた。中から、マガジンを一つ、それが二個入ったポーチを一つ、取り出した。合計で六十発。これ以上だと重さで動きに支障が出かねない。何より交換時には隙ができる。二回が限度だろう。
ポーチを手早く腰に巻いた。据わりを確かめるように、ぽん、と叩く。
「まあ予定しとった奴相手にするよりは気楽やな。勝利の帰還を待っとってくれや」
「祝杯の用意をしておきますよ。仕事中ですからノンアルコールになりますけど」
小さく笑い声を漏らして、西園寺は上着を羽織りながら出口へと向かった。
警備員が顔に恐怖の表情を貼りつけたまま、地面に倒れこむ。単純に意識を奪っただけだが、もしも頭でも打っていたらまずいだろうか、とちらりと考えた。が、この身体で彼らを受け止めてやるのは無理だ。その辺りは割り切っておくことにする。
三つ目の門を抜けると、道はやや平坦になっていた。
その先には、見渡す限り障害物が何もない。遙か彼方に建造物が小さく見える。
建造物の手前に人影を認めて、少年はやや眉を寄せた。
黒いスーツに黒いネクタイを締めた黒髪の男。無造作な足取りで近づいてくる相手に、不審感を覚える。
ここに到達するまでに、少年が多少の破壊行為を行っていることを、相手が知らないとも思えない。しかし、それにしては少々警戒心がなさすぎる。
二人の間が通常の人間ならば声が届くだろう距離まで縮まったところで、男は足を止めた。
「よぉし。無駄な抵抗はやめて投降せぇ。今やったら、ちょっとばかり情状酌量の余地もあるで」
余裕すら感じられるその声に、思わず失笑する。
「お断りだ。お前こそ、僕から掠め取ったものを返して貰おうか」
返事に、男は僅かに戸惑ったようだった。
「掠め取ったとか何や人聞きが悪いな。一応警察官に対して犯罪者扱いか」
その日の朝に少なくとも器物損壊と殺人未遂を行った男が言う台詞ではない。
「まあええ。警告の義務は果たせたしな」
呟いて、流れるような動作で銃を抜き放つ。
ぴたりと照準を合わせられて、そこから放たれる気配に少年が鼻の頭に皺を寄せた。
あの銃弾は少しばかり厄介だ。
軽く、再び歩みを進めるように片足を上げる。
次の瞬間には、少年の身体は西園寺の足元に迫っていた。その小さな手が、拳銃へと伸びてくる。
「……っ!」
鋭く息を吸って、反射的に西園寺は銃を持った手を頭上まで上げた。
「次郎五郎!」
叫ぶと同時、少年の背後から銀色の犬神が襲いかかる。肩越しに振り向いた瞳に、鋭い牙が光を反射した。