03
〈檀〉と次郎五郎との戦いは、こちらもまた膠着状態だ。時折、急所を狙うように挑みかかりつつ、ぐるぐると円を描きながら動いている。
次いで、西園寺の手が咲耶の喉を狙った。少年は、軽く上体を逸らしてそれを避ける。その動きをなぞるように揺れた長い黒髪の先を、男の手は方向を変えて掴んだ。
「ぃ……っ!」
強引に引っ張られて、少年が悲鳴を上げかける。
「相変わらず綺麗な髪しとるよなぁ。……ところで」
にやりと笑って、毛先を指で弄ぶ。
「髪の毛に神経が通ってへんのって、残念やと思わへん? 通っとったら、一ミリ単位で切り刻めるのに」
ざわり、と不吉な予感に肌が粟立つのを、咲耶は怒りの勢いでねじ伏せた。
「死ね! 今までに会った回数分死ね!」
感情のままに無茶なことを喚く。一歩踏みこんで、髪を掴む手を払いのけようとする。
が、西園寺はそれを避けがてら、身体を屈めた。地面に引きずるほど低く下げられた手に引かれ、咲耶の身体が倒れかける。
激突する身体を庇おうとするかのように、咲耶の手が地面へ向いた。
小さく、口の中で一言呟く。
咲耶の指先が触れたのは、西園寺の靴だった。瞬間、その指先から漆黒の蔓のようなものが発生した。それは瞬く間に西園寺の身体をぐるぐると螺旋を描きながら這い上がり、拘束する。
「うぉぁ!?」
同時にその蔓は男の指も開かせ、咲耶の髪は自由を取り戻した。少年は口汚く悪態をつきながら身体を起こす。
「やってくれたじゃねぇか……!」
怒りに鈍く瞳を光らせて、咲耶が西園寺を見据える。
しかしこの期に及んでも、それとは対照的に心底楽しそうな表情を崩さず、身を低くしたまま男は唇を薄く開いた。
「九……」
瞬間。
彼らの頭上で、激しく空気が膨張し、破裂した。
ぽかんとして、紫月が中空を見上げる。
他の二人も、同じ表情で一点を見つめていた。
彼らの仕業ではないのだ。
爆発は、その後何故か清冽な空気を頭上から降り注ぎ始めた。
その空気に触れた途端、西園寺の身体を拘束していた蔓のようなものが溶けるように姿を消していく。
〈檀〉やその顕現させた炎の壁、そして次郎五郎すら例外ではない。
「〈火竜の棘〉……?」
小さく呟く。
爆発に関しては、確かにあの道具と酷似している。だが、その後の反応は全く違う。
〈火竜の棘〉は、ただ、炎のエレメントを圧縮し、解放する勢いに乗せて周囲を焼き尽くす、言わば既存の爆弾と考え方は同じだ。
だが、これは、破裂した後に解放されたのは、場を浄化するための何ものかだ。
物質ではなく、浄化の意思を封じこめて効果を維持し続けるなど、どうすれば叶うものか。
杉野が作ったものなど、これに比べれば子供騙しに等しい。
「〈火竜の棘〉か。詩的だなぁ。実に素敵だ。『怪しい気配に! 消滅くんR』に比べると、格段に素晴らしい」
呆然としていたところに、やや後ろから声が発せられて、息を飲みながら向き直る。
そこには、一人の青年がのんびりとした風情で立っていた。
背は、成人男性としてはやや低い方か。体型は痩せぎすだ。明るい茶色の髪はややぼさぼさで、そう頻繁に散髪している風ではない。ワイシャツは皺だらけで、グレイのスラックスにつっかけのようなサンダルを履いている。そして、これも皺の目立つ白衣を羽織り、両手をそのポケットに突っこんでいた。薄く色のついた眼鏡の奥から、人懐こそうな視線が向けられている。
「ど……どちらさま、ですか?」
とりあえず自分が一番近い位置にいる。おそるおそる、紫月が声をかけてみた。
が。
「漆田!?」
西園寺が驚愕の声を上げた。
「知り合いか?」
咲耶は胡乱な視線を二人の男に交互に向けている。
「しかしだな、擬人化というのは、日本古来から伝承される慎ましやかかつ愛らしき文化であるからして、私のネーミングもそんなに劣るものじゃないと思うんだけどどうだろう西園寺くん」
「どうでもええわ! 何でお前がここにおんねん!」
苛立ちに、大きく腕を振る。漆田と呼ばれた青年は、僅かに眉を寄せた。
「そりゃ君が、上京してきて一番に本部に挨拶に来るって言ったのに全然そんな素振りがないから、私がわざわざ迎えに来たんじゃないか。手間をかけさせないで欲しいなぁ」
西園寺がその言葉に小さく舌打ちして、視線を逸らす。が、何かに気がついて再度漆田を睨みつけた。
「ちょお待て。迎えに来たって、何でこないピンポイントにここに来るんや。そんなん、無理に決まっとるやろうが」
ふふふ、と含み笑いを漏らし、漆田は片手を白衣から抜き出した。その掌には、携帯電話らしき機械が握られている。
「じゃじゃーん! 生体GPS受信装置、『追跡くん 3.02』! ついこの間完成したばっかりなんだ。で、君を捜さないといけないっていうから、稼働してみたって訳さ!」
「ていうか、今ここに来とるんやったら、何時間前から追っかけとるんや! その時点で始発が動いてもおらへんやろ! ストーカーか!」
「お前が言うなよ」
渾身の力で怒声を上げる西園寺を、醒めた視線で見つめながら咲耶が告げた。
「という訳で早急に仕事に戻ってくれないか、西園寺くん。今回もちょっと時間がないんだよ」
むっとした顔で、しかし西園寺はそれに反論しなかった。
「お前も、仕事を放り出してこっちに来るとか何考えてんだ? まあ何の仕事か知らねぇし、お前が不真面目なのは大体想像つくけど、やっていいことと悪いことの判断ぐらいは……無理か」
説教の後半で、咲耶があっさり諦める。
「ワシは別に、仕事中やとか……」
「はいはいはい行くよー」
ぱん、と手を一つ叩いて、漆田が踵を返した。肩を竦め、黒衣の男は名残惜しげに傍に立つ少年を見下ろす。
「ま、近いうちまた顔出すわ。身体に気ぃつけぇな」
「うるせぇよ、二度と来んな」
罵声を聞き流して、歩き始める。紫月の近くを通り過ぎる時に、愛想よく片手を振って行った。
半ば呆然としたまま、二人の男を見送る。不機嫌な顔で、咲耶が近づいてきた。
「あー……。疲れた」
肩を落として呟くのに、僅かに驚く。
「疲れた? 君が?」
単純に運動量と時間とを考えて、普段の咲耶であれば準備運動程度だと思っただけなのだ。しかし気に障ったのか、苛立ちの籠もった視線を向けられる。
「悪いかよ。俺だって、あれだけ気を張ってりゃ疲れるさ」
彼らの戦いは他者によって中断されたのだし、その時点でさほど緊迫していなかったじゃないか、という紫月の感想は、まあ的外れなのかもしれない。少年には、正直に全てを口に出さないだけの賢明さはあった。
咲耶が大きく伸びをする。
「帰って飯作るのも面倒だな……。どっかで食べていこうぜ」
「そう言えば、僕はジョギングの前だったんだけど」
ふと気づいて漏らす。
「そうだっけ。じゃあ、走っていくか」
さらりと言って、咲耶は軽く地を蹴った。
式神に乗って一体どれぐらいマンションから離れてしまっているのか、彼には判っているのだろうかという疑問を紫月に残したまま。