表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
IMAGE Crushers! 3  作者: 水浅葱ゆきねこ
第一章
2/22

01

「……判ってます、判ってますって。明日、そちらに着いたら、一番に本部へ参上しますから」

 うんざりとした調子にならないように気をつけつつ、告げる。幸い、電話の相手はそれに気づいていない。

『本当に判っているんだろうな。君のプライベートの話で仕事に支障がでるようなら、こちらも色々と考えなくてはならない。くれぐれも、寄り道はしないでくれよ』

「勿論です。明日、朝一番に新幹線で行きますさかい、昼過ぎには着くと思いますから」

 何度も確約して、ようやく電話が切れた。全く、信用がないにもほどがある。

 男は薄く笑いながら、カーテンを僅かに開いた。窓から見える、空をも照らす夜景は、彼の住まいから見えるものとは全く違っている。

 窓枠にもたれ、手慣れた様子で煙草に火をつける。

 暗い部屋の中に、ただ紫煙が流れた。




 十月にもなると、流石に朝晩は冷えてくる。

 ジョギング時の服装をジャージにしようかと度々思いながら、何となくまだ薄手の長袖シャツを着て弥栄(やさか)紫月(しづき)は家を出た。

 エントランスに降り、ガラスドアの向こうに視線を向けて、足を止める。

 このマンションは、扉を抜けて道路に出るまでの間に緑地帯がある。明るめのテラコッタを敷いた小道の上、春には蔓薔薇の咲くであろうゲートの傍に、一人の男が立っていた。

 何故か、ざわり、と心の奥が(うごめ)く。

 隣に立つ茶色の子犬の気配が、びりびりとささくれ立っているのが肌で感じられた。それでもそれを態度に出していないだけ、彼は自分の役目を心得ている。

 少し迷ったが、紫月はそのまま足を進めた。

 黒いスーツに、黒いネクタイ。革靴も黒。流石にワイシャツは白い。やや上空を見上げ、煙草を咥えていた男は、自動ドアが開くのに気づいてこちらを向いた。煙草を指で摘むと、にやりと笑みを浮かべる。

 この時間帯は早朝ではあるが、時々マンションの住人とは顔を合わせることがある。彼と逢うのは初めてだが、今まで遭遇していないだけかもしれないのだ。

 そう、このどこか不吉な雰囲気を纏う男が、自分と関わり合いのある相手だとは限らない。

 心の中で言いきかせて、紫月は普段人と会った時のように、軽く頭を下げた。

「おはようございます」

「おはようさん。ジョギング行くんか? 若いのに(はよ)ぅからご苦労さんやな」

 想像もしなかった関西弁に、数度瞬いた。が、気を許すほどのことではない。再度小さく会釈して、その傍らを通り抜けようとする。

「ああ、坊ン。ちょっと時間あるか? 一、二分待っとったら、面白いもんが見れるで」

 かけられた言葉に、反射的に足が止まった。

「面白いもの、ですか?」

 声が掠れてしまったことを、内心で罵る。

 余裕を示せ。隙を見せるな。全世界に対して、自分が圧倒的に優位であるという揺るぎない自信を持て。

 この二ヶ月、二人の知人に心構えを徹底的に叩きこまれていなければ、ここまで平静さを保てなかっただろう。

 子犬が、紫月と男の間で立ち止まる。

 それに視線を落として、黒服の男は喉の奥で小さく笑った。

「ええ()やなぁ。よぅ躾られとる」

「……ありがとうございます」

 紫月の言葉に、男はまっすぐに視線を向けた。

「ワシに吠えかかったり逃げ出したりせぇへんだけ、よぅできた仔やで」

 びくり、と僅かに肩が震えた。

 楽しげに笑いながら、男はひらひらと手を振る。

「そう警戒せんでええがな。もう、すぐやさかい」

「貴方は、何を……」

 緊張感に耐えかねて、思わず詰問しかけたその時。


 遙か上方で、華々しく何かが壊れる音が響いた。



 反射的にそちらを見上げる。鈍く光る太陽を背に、最上階のベランダから何かが飛び出してきていた。

 あの、部屋は。

「……ああ……」

 心の底に諦観が重くわだかまるのを感じて、少年は低く呻いた。

 三十メートル近くある高さから自然落下してきた物体は、身軽にすとん、と地面に降り立った。軽い足取りで男の方へ近づいてくるのは、銀色の長い毛並みをした一匹の犬だ。

 紫月とその隣にいる子犬に不思議そうな視線を向け、僅かに小首を傾げる。

「よしよし。よぅやった、次郎五郎」

 が、男の呼びかけに、嬉しげに尻尾を振った。

「しかしまだ寝とったんかなぁ……」

 身を屈め、銀色の犬を撫でながら小さく呟いた声に被って、更なる破壊音が響いた。まるで、割れたガラス戸を思い切り引き開けて桟に叩きつけたような。

「そこ動くんじゃねぇぞてめぇ!」

 聞き慣れた怒声が、朝の澄んだ空気に轟く。笑みを深めて、男は身を起こした。ちらりと視線を上に向けると、そのままあっさりと踵を返す。

「え? あ、あの」

 道路に向かって歩き出した男を、思わず呼び止める。

「なんや、坊ン? 一緒に来たいんか?」

「あ、いえそういう訳じゃ」

 即座に否定するのに気を悪くした風もなく、手にしていた煙草を再び咥えると黒服の男は路肩に駐車していた車へ歩み寄った。

「動くなっつってんだろうが!」

 嫌な予感に、上空を振り仰いだ。長い黒髪をなびかせて、一人の少年がベランダの手摺を勢いよく超えている。

 ……流石に彼でもこの高さはまずいんじゃないかなぁ。

 呑気にそう考えている間に、男は車に乗りこんでいた。開いた窓から、落下する少年を見上げている。

「桂!」

 声が響くと同時、下方へ延ばした掌から電光が迸る。四方へ広がったそれは、一瞬で白い翼を広げた巨大な鳥に変化した。

 背に主人を乗せ、純白の式神は滑らかに地上へと舞い降りる。

「待ちやがれ……!」

 身を乗り出し、叫ぶ少年を置いて、車は走り出していた。運転席の窓から突き出された手が、ひらひらと揺らされている。銀色の犬がその後ろを追いかけていく。

「四郎!」

 ぎり、と歯を食いしばる守島(もりしま)咲耶(さくや)に、ふらりと歩み寄る。

「君の知り合いか?」

「ああ。……乗れ。追いかける」

 その言葉が訝しくて、軽く眉を寄せた。

「僕が一緒に行く必要はあるのか?」

 彼は普段、公私の別を明確にしている。これが仕事のうちであれば全く問題はない。だが、今のところ彼らが受けている仕事はない。普段の咲耶であれば、決して自分を関わらせようとはしないだろう。

「お前から目を離したら、その隙に奴の罠にかかりそうだからな」

 僅かにむっとして、紫月が言い返す。

「信用がないのか?」

「信用はあるさ。奴の卑劣っぷりに」

 きっぱりと断言した言葉に、半ば呆れ、半ば諦めて肩を竦めた。

「カルミア。戻っていろ。何かあったら呼ぶ」

 主人の命令に、一度ぱたりと尻尾を振って、茶色の子犬はすぅっと姿を消した。それを見届けることもなく、紫月は軽く式神の背に登る。

 ばさりと〈桂〉が再び翼を広げ、彼らは空高く舞い上がった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ