06
駐車場に停めてあった車の助手席に乗りこむ。
西園寺がロックをかけると同時、呪術的な意味でも車内は封鎖され、僅かに紫月は肩を震わせた。
「どこ行く? 腹とか減っとらへんか?」
「いいえ」
小さく首を振る。ん、と呟いて、西園寺は車を発進させた。
「……貴方は、咲耶に対して、一体何がしたいんですか?」
まっすぐに前を見据えたまま、低く尋ねる。
「いきなり直球やなぁ。そんな赤裸々に答えられてもええんか、未成年」
茶化すように返されるが、紫月は表情を変えない。
「僕が、そんなことに動じると本気で思っている訳ではないでしょうに」
「可愛ないなぁ」
小さく笑い声を漏らして、西園寺はハンドルを切った。滑らかに進む車は、方向的には紫月の自宅へと向かっている。
「それに、今、自分が直面してる状況の中で、咲耶とワシのことはさほど重要なことやないと思うけど」
「咲耶は僕の友人です。それに、杉野の亡くなった理由について、僕にやましいところは一切ありませんから。それが事実である以上、貴方はいずれそこに辿り着くでしょうし、その事実を故意に隠蔽するような人だとは思いません」
ちらりと視線を向けられた。僅かに驚いたような表情を浮かべている。
「何や、ワシ、意外に信頼されとったん?」
「貴方がもしも、咲耶について誠意のない回答や態度を取るようであれば、僕の評価はひっくり返りますよ」
「いやそんな趣味嗜好と仕事の姿勢を比べられても」
「趣味だったんですか?」
問い詰めたつもりだったが、何故か西園寺は楽しげにまた笑った。そして、ま、ええか、と呟いて、口を開く。
「せやなぁ。……ワシが、咲耶に会うたんは、七年前や。あいつはまだ十歳やった」
懐かしむように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「端的に言うたら、ほぼ一目惚れや。ワシはあいつの、苛烈な気性に、魂に、それを裏づける力に、惚れた。心底魅せられた。……せやから、ワシは、あいつを殺してやりたいんや」
紫月があからさまに眉を寄せた。
「論理が酷く飛躍していませんか?」
「坊ンにとってはそうなんやろう。けど、ワシにとってはそうやない」
慣れた口調で、そう告げる。今までに他者から理由を尋ねられたのは初めてではないのだろう。
惚れた相手を殺してやりたいという、衝動。
それは、愛情こめて育て上げた犬を殺害し、憑物にしてしまうという彼の術が、彼の思考になにがしかの影響を与えていると推測するに難くはない。
しかし。
「……それは、『好き』という感情ではないと思います」
「ん。せやったら、『好き』やのぅてええで」
「いい加減なんですね」
非難するような視線を気にもとめず、西園寺は小さく笑い声を上げた。
「言葉の字面なんて、大したことやない。大事なんは、ワシが咲耶を殺してやりとぅて堪らんってことと、もし殺してやれたら、きっと、ワシは凄い幸せな気分になれるんやろうなぁ、ってことや」
そう告げる男の瞳には、確かに愛おしさが伺える。
しかし。
「間違って、ます」
紫月は低く、そう言い切った。
「正しさが欲しいんやったら、そもそもこんな感情は持たへんやろ」
無造作に投げ出した言葉に、首を振る。
「貴方は警察官だ。しかも、その職に就いたのは咲耶と出会った後でしょう。他人に殺意を抱いているのに、どうして他人の罪を裁くことができるというんですか」
「混同したらあかん。警察官は普通、犯罪者を裁くことはない。ワシにその権限があるのは、不可知犯罪捜査官に任命されてる間だけやし、そんな部署があるなんて知ったのは流石に就職してからやったからな」
「揚げ足を取らないで下さい。普通の警察官として、犯罪者を逮捕するというだけでも、貴方にその資格があると」
「何でワシに資格がないと思っとるん?」
穏やかに、遮られる。
ある訳がない、と反論しかけて、思考を整理した。
いや、確かにある訳はないのだが。話がやや意図しない方向へ進んでいたのも確かだ。
「……すみません。感情的になりました」
紫月の謝罪に、西園寺はひらりと片手を振って、気にせんでええ、と呟いた。
「それにまあ、坊ンはもう一つ考え違いをしとる。もしも、ワシが咲耶を殺してやれたとして、その後、ワシは絶対に法で裁かれることはない。もっと、ずっと、とてつもなくえげつない状況に陥るやろう」
「どういうことですか?」
戸惑って尋ねる。西園寺は、唇の端だけで自嘲気味に笑った。
「これだけ聞いてぴんとこんのやったら、知らん方がええ。ワシを信用せぇ、知らん方がええんや」
ざわり、と胸が騒ぐ。
色々と不躾な態度を取っていたにも関わらず、西園寺は今まで、紫月の問いに出来る限り率直に答えてくれていた。
それが、ここまで露骨に答えを拒否するというのは。
紫月は眉間に皺を寄せて考えこみ、しばらくの間車内は沈黙で満たされた。
「にしてもあれやなぁ。坊ンは、ワシが咲耶を殺してやりたい、て言うこと自体は否定せぇへんのやなぁ」
のんびりと西園寺が感想を述べる。
きょとんとして、紫月が運転席の西園寺を見つめた。
『好意』を持つから『殺意』を抱く、ということ。
法を護るべき『警察官』でありながら、『殺人』を望むということ。
紫月はその矛盾を追求はしたが、その一つ一つを否定はしていない。
「僕が貴方に対して、殺人を咎める資格はないですから」
小さく呟いた言葉に、西園寺がちらりと視線を向ける。
「警察官に、人殺しはいけないことですよ、なんて諭すのがどれだけ莫迦げて聞こえるか判ってますか? 大体、咲耶がそう簡単に殺されるだなんて想像もできませんからね」
しかし続けられた言葉に、男は僅かに呆れたような表情になり、そして小さく笑い声を立てた。
「ああ、ホンマにな。よぉ判っとるやんか」
紫月も小さく笑みを浮かべる。
「……あ、この辺で下ろして貰っていいですか」
人の多い通りに出たところで、紫月が声を発する。
「ん? 家まで送ったんで?」
「いえ、ちょっと本屋に寄りたいので」
その返事に小さく頷いて、車を歩道に寄せた。
「数日中には、先刻言うとった書庫を見せて貰てええかな」
「はい。大体、どんなものが見たいのかを教えておいて貰えれば用意しておきますけど」
「全部、って言いたいとこやけど、そうもいかんやろうしな。あの棚の数を考えたら。ここ数年で、よく読んではった本とか、書いてはったノートの類があったら集めといてくれ」
それを了承して、紫月は車を降りた。歩道を後方へ向けて歩いていく姿を、バックミラーの中に追う。
「……ああ、全く、咲耶が選んだ訳や」
楽しげに笑みを浮かべ、背広の内ポケットから煙草を取り出した。火を点けようと、一瞬視線を逸らしかけて。
瞬時に、鋭く背後を振り向いた。
人混みに紛れかけていた紫月が、数人の男に話しかけられている。
「……っ!」
勢いよく扉を開き、外へ飛び出す。幸い、近くを車は通っていなかった。
男たちに促され、紫月は黒塗りの車に乗りこむところだった。
「坊ン!」
怒鳴り声は、少年には届かなかったらしい。運転席に身体を入れようとしていた男が、ちらりとこちらへ視線を向ける。
しかしそのまま車は発進し、十字路を左折して西園寺の視界から消えた。
「……マジか……」
力が抜けた指の間から一本の煙草が落ち、側溝へと転がっていった。
インターホンを連打されて、眉を寄せる。
昨日壊された窓の修理は、管理会社から紹介された業者からの連絡ではできるだけ早く行くように努力するとは言われている。だが、正直何時とは確約できないということでもあった。
しかも連打など、まともな業者ならする筈がない。まして、玄関ドアの前から。
とりあえずインターホンを通話状態にして、相手の出方を伺う。
『咲耶! 遅いわ、何しとったんや!』
しかし発せられた怒声に力が抜けた。が、懸命にそれを振り絞る。
「昨日の今日でマンション襲撃してくるんじゃねぇよ、四郎! しかもお前、オートロックどうやって抜けやがった!」
まあそんなことはどうとでもできることではあるが。西園寺には、正攻法という手段すらある。
『そんなもんどうでもええやろ! 坊ンが、拉致られたんや!』
「……は?」
『ええからドア開けぇ。部屋の前で大声で説明されたいことやないやろ』
色々と反論したかったが、大きく溜め息をついて諦める。待ってろ、と言い置いて、玄関へと向かった。
扉を開いたところに、眉間に深く皺を刻んだ黒衣の男が立っていた。強引に中へと入りこんで、扉を閉める。
玄関から奥には進もうとしないことに内心安堵した。
「で、紫月がどうしたって?」
「言うたやろ。拉致られた。……あれは、多分、清孝さんの部下や」
苦虫を噛み潰したような顔で、低く告げる。一瞬、咲耶はぽかんとそれを見上げていたが、その名前を理解した瞬間に大きく息を吸った。
「はぁあああああああああ!? 何でまた!」
「知らんがな! ワシが声かけて、大人しゅう止まってくれるようなお人らぁか!」
苛々と怒鳴り合って、二人は視線を逸らせると深く息をついた。
「くそ……。何だってんだ」
「全くや。来るんやったら、即座にワシに関わってくると思っとったのに」
「は?」
男の言葉を聞き咎めて、訝しげに視線を向けてくる相手をまじまじと見下ろす。
ふ、と小さく笑みを浮かべて、西園寺は片手をその頭に乗せた。
「何だよ!」
苛立たしげに振り払おうとするのを、すぐに避ける。
「何でもあらへん。……ワシはこれから坊ンを迎えに行くけど、どうする?」
「行くよ。お前一人じゃ無理だ」
きっぱりと告げる。特に気を悪くした風ではなく、西園寺は頷いた。