04
西園寺に再びマンションまで送って貰った時には、もう夜もかなり更けていた。
太一郎の処遇についてまた一悶着あったのだが、紫月を無事に帰すのであれば暴れない、自分を捕らえようとしても無駄であり、やろうと思えば今度こそこの土地を壊滅させることもできるのだとあからさまに宣言され、とりあえずは放免することになったらしい。結果として、彼は紫月たちと同じ場所で車から下ろされた。
勿論、無罪放免だった訳ではなく、対処が一時保留されたにすぎないのだが。
おそらく本部へととんぼ返りする西園寺の車を見送り、紫月は溜め息を漏らした。
「……疲れた……」
意味ありげに、太一郎がそれを見上げる。
「お前に殺人容疑がかかっているとは知らなかったな」
「うちの前で物騒な話はしないでくれませんか」
師の言葉に、憮然として弟子は抗議した。
「物騒な話をするなら、部屋に戻ってからにしろよ」
一人、さっさとマンションへと歩き出しながら、咲耶が促す。その後に続いて、太一郎が提案した。
「お前も話に混じるか?」
「やめとくよ。よく考えたら、俺の部屋はちょっと酷いことになってたんだ。……ったく、いきなり明日窓の取り替えとかして貰えるもんなのか?」
渋面になって、咲耶は呟いた。
朝の襲撃からずっと、家を出たきりだったのだ。戻るのも気も重いだろうが、放っておく訳にもいくまい。
「あまり酷いようなら、僕の部屋に泊まってもいいけど」
紫月の申し出に、片手を軽く振る。
「いや。リビングと台所に入られたぐらいだから、他の部屋は無事だ。今日、雨が降らなくてまだよかったよ」
軽く言葉を交わしてからエレベーターを九階で降り、紫月の部屋へと入る。
二人を、心配そうな顔で出迎えた人物がいる。長身の男性の姿をしているが、その体色は鮮やかな群青色だ。
彼の名はカルミア。紫月に仕えている使い魔の一体で、様々な生物の姿を取ることができる。その能力を利用して、紫月の日常生活の世話を焼いたり、身辺警護に当たっていたりする。
今のように本体として存在している時は、肌の色以外にも瞳に虹彩がなく、言葉を話せないなど、色々と人間とはかけ離れた姿であった。
「ただいま。お茶の用意を頼む。……太一郎くん、お腹は空いていませんか?」
「大丈夫だ」
一応、取り調べ室で昼と夜の食事は出されていた。作り置きされていたらしい幕の内だったのは人手が少ないせいなのか、元々そういうものなのか定かではないが。
緊張も露わに先を歩くカルミアを、いつものことだが太一郎は完全に無視していた。彼でなければ、見えていないのではないかと思うぐらいだ。
リビングに落ち着いて、紫月がぐったりとソファに背をもたせかける。
「それで、一体何がどうなっているんだ?」
太一郎の問いかけに、億劫そうに視線を上げた。
「その件に関して、一切貴方に関係はないでしょう」
取りつく島もなく言い渡されて、眉を寄せる。
「物騒な話をしに移動したんじゃないのか?」
「物騒な話は場所を選んでくれとお願いしたんですよ」
二人が顔を見合わせ、数秒間考えこむ。
「……悪いのは守島だな」
「ですね」
話を混乱させた責任を押しつける相手を決定すると、軽く肩を竦めた。
「それはそれとして、その杉野という男はお前が殺したのか?」
紫月の拒絶を全く気に止めず、太一郎は更に問いかける。
「僕は殺していませんよ。咲耶でもありません。念のため。……あの男がどういう理由で死んだかなんて、僕は全然知らないんですから」
あからさまに早くこの話題を終わらせたいという表情で、紫月は説明した。
ふむ、と小さく呟いて腕を組む。
カルミアが二人の前にコーヒーを差しだし、急いでキッチンへと引っ込んだ。
太一郎は悠然とそれを手にし、唇をつける。そして落ち着いた風に口を開いた。
「揉み消すか?」
「いきなり解決策がそれなんですか」
僅かに呆れて呟く。
「実際、そういう訳にはいかないでしょう。第一に、あの西園寺という刑事がそんなことで簡単に諦めるような人間だとは思えません。第二に、貴方にそこまでして貰う理由がない」
「お前は僕の弟子だろう。世話をするのは当たり前だ」
むしろそう考えない紫月の方がおかしい、と言いたげに、太一郎が見上げてくる。
「咲耶は家庭教師の契約にそこまで要求していなかったと思うんですが」
訝しげに生徒が尋ねる。
そこまで要求しているのは、むしろもう一人の契約相手の方である。しかしそれを知られるのも都合が悪いので、太一郎は無言でコーヒーを飲み干した。胡乱な目つきで紫月はそれを見つめていたが、やがて一つ溜め息をついて口を開いた。
「ともかく、この件についてはこれ以上貴方は関与しないでください。ただでさえ莫迦な真似をしてしまって、貴方まで完全に警察にマークされたんですから」
「僕のことは気にするな。何とでもなる」
さらりと言い切ると、少年は空になったコーヒーカップをテーブルに置いた。足を組み、まっすぐに紫月を見上げる。
「だがお前は悠長に考えすぎだ。この国の人間にはありがちのことだが、お前も人の善意に期待しすぎる。あの刑事が、正義と熱意を持って仕事に臨んでいるという保証なんてあるのか? それらしい相手を犯人に仕立て上げて事件を終わらせる可能性がないとでも?」
その指摘を受けて、言葉に詰まる。
正直、そのようなことは考えていなかった。幼いとはいえ、日本ではない国で数年を過ごした少年の言葉が、ずしりと重い。
だけど。
「……だけど、これは僕の問題です。貴方には関わって欲しくない」
好悪の情でまで拒絶されて、それでもとごり押しするのは流石に今後を考えるとまずい。太一郎は打算的にそう判断した。
紫月の意思を受け入れると告げた時の、相手の不審そうな視線からすると、全く説得力はなかったようだったが。
西園寺は、無言で分厚い金属製の扉を押し開いた。室内はほぼ暗闇で、片隅だけがぼんやりと明るい。
雑多に配置された机や奇妙な道具を避けてその間を進む。
大きめのモニタの前に、一人の男が座っていた。
「お帰り、西園寺くん」
視線も向けず、漆田が声をかける。
「おう」
漆田の椅子の背に左手を、机の端に右手をかけてモニタを覗きこむ。
「どうや。特定できたか」
「うん。多分間違いない」
モニタに表示されていたウィンドゥを、西園寺にも見やすいように広げる。
「夏木太一郎。八歳。夏木ホールディングスの会長の娘の息子。父親の存在は不明」
「坊ちゃんやなぁ」
感心したように呟く。モニタに映る写真は、間違いなく昼間本部を襲撃した少年と同一だった。
「三年前に留学のために渡米していて、帰ってきたのは先月だね」
その言葉に、眉を寄せる。杉野が死んだのは、二ヶ月前だ。
だが、術師に対して距離的な不在証明など殆ど意味を成さない。ある意味では、生死ですら。
「現在は、夏木家の別荘の一つで一人暮らしだって」
「あの子供がか?」
流石にそれはちょっと驚く。
「世話係に社員を一人つけているらしいけどね。身内は傍にいる気配はない」
右手を離して、顎を支えた。距離を置いているのか、距離を置かれているのか。
「周囲からの、なにがしかの影響はあるんか? 幾ら才能と年齢が関係あらへん言うたかて、あれだけ若いのが自然に使い方を身につけたなんてのは不自然すぎる」
「そこまではまだ無理だよ。この短時間で調べられることじゃない」
僅かに唇を尖らせて、漆田が文句をつけた。
「せやな。悪い。引き続き頼むわ」
「全く、僕は本来開発の仕事だっていうのに、調査まで引き受けてたら身体が幾つあっても足りないよ」
「言うやんか。楽しんどるくせに」
にやにやと笑って告げられるのに、肩を竦める。
「休む前に、警備室に寄ってくれって言われてるよ。弾数の確認したいんだってさ」
判った、と言う代わりに椅子の背を軽く一つ叩き、西園寺は踵を返した。