少年は乙女に出会う
ラグと母を深く掘った墓穴にそれぞれ埋葬し、母の言い付けどおりに山を越える。無論山小屋にあった宝も全てアイテムボックスに収納している。
外套を纏っているので枝に邪魔されない上に山歩きには馴れているので、エクター平原を見下ろせるほどの高さに到達する。遥か遠くに生まれた王都が見える。王都は俺よりも遥かに強い怪物達に陰から支配している。
「必ず戻ってくる…今度こそ後悔のない生涯を送るために」
魂から出た言葉であった。何故こんな事を言うのかは自分でもよく分からなくなっている。
俺の頭の中はグチャグチャだ。老いた騎士の最期の言葉も母の償いの言葉も俺はまるで整理できていない。
ただ山を越えるために歩いているが、体力がある所為で余計な事を考える余裕があるので、こんなにも辛い気持ちになる。歩いているというよりは藪の中を泳ぐという感覚だが、市民プールを泳ぐのと同じ感覚で進める位藪の中を進むのに慣れている。体は平気だが心は疲れる。藪の中では太陽が見えないので気が滅入る。
縄張りに勝手に入っているのに怒ったか時折、獣の類が現れる。
{cd/hψdrαrgεntuμ/Эμν}
獣の類は、『銀水の弾丸』で撃ち殺す。以前の…前世の記憶を引きずっていた幼少期は獣を殺すことに抵抗があった。だが7年の歳月で獣を殺すことに対する抵抗はなくなった。
新しい獲物である赤い狐は即座に殺したので、断末魔も銀水の弾丸の銃声もないので、不用意に他の猛獣を呼ぶ事もない。
7年の歳月で身に付けた技を持って、短刀で赤長狐の皮を剥ぎ牙を抜いて、肉をアイテムボックスに放り込む。残った血痕にある呪文を唱える。俺の目にはその位置に魔力の小さな塊が見える。魔物の魂だ。
{cd/υε/Ωrlд}
血痕の辺りにあった魔物の魂が金貨が3枚に変換された。この辺りの魔物は結構強いという証明だ。
平原や町の近くの魔物は強くても銀貨1枚だと書物にある。
「…こんな気持ちでも、習慣というのは抜けないんだな」
魔物の魂を放っておくと、また復活する…動物と違い魔物は子供を残せないのでそうやって命をつなぐのだ。魔物と動物の違いは体表の魔力で見分けられる。
なので俺のした事は騎士としても人間としても正しいことだ。復活した魔物は再び害を成す。
「だが…俺は騎士になりたいんだろうか?分からなくなってきた」
母を救うために力を求めたが、なにも騎士にならなくてもいい気がする。
前世では俺はどんな職に就いていたんだろうか?それを思い出せれば…迷いが晴れるのだろうか?
「いかんな…弱気になっている。さっさと山を越えるか。人に会えば…誰かに会えば迷いも晴れるさ」
{cd/gaιn/ΛΙΤ}
『大地駆け抜ける風』という体力増強呪文を唱えると、全身が赤い風で包まれる。体力が増大した実感がある。
この状態ならば獣道でも構わずに走る事が出来るので、尾根に向かって走り出す。地形は予め使い魔で調べてあるので迷いはしない。
「俺は魔術も使えるし、文字も書ける。更に言えば騎士並に強い…オルガも言葉や文字は同じだから引く手あまたのはずだ」
騎士の仕官とは前世の知識にある就職とそう変わらないらしいのだが、上手くできるだろうか?
前世の俺は有能な仕事人間だったのだろうか?
いや、前世など関係ない。俺にはこれまでに身につけた技が在るのだから何とかなる。もし駄目でもリン家の財産で一生遊んで暮らせるが…こんな発想が出るということは前世は駄目人間だったんだろうか?
山越えが終わり、山の麓に在るオルガの騎士ボター=ガル・ザンの領地である小さな村──堅い木の板の壁で囲まれている一般的な村だ──に着いたのは、夕方だった。村の中の家々はどれも木で出来ており、エクターとの文化の違いを感じさせる。オルガ公国は森林資源の豊富な国なので、林業が盛んらしい。
すぐに仕官が決まれば良いのだが…この時間はちょっと遅いので、村の門番に来歴書──要は履歴書──を手渡して、村の外に見習い騎士らしい天幕を張る。こういう作法を守っておかないと仕官できないのだ。
「さて…明日何を聞かれるかな?」
俺が習得したのは一応オルガでも正式な作法だが…上手くいくだろうか?見習い騎士の装備を綺麗に磨く事を忘れず、面接で聞かれそうな事を一応地面に書いて整理しておく。
色々と億劫な作業が終わったので、天幕の中に敷いた敷き布の上で就寝する。だが俺は一応騎士なので魔物などから村を守る役割を持つので、何時でも起きられるように心がけておく。
魔物の接近を知らせる警報魔術をかけて、さらに自分の睡眠を律する呪文を唱えて何時でも起きれるように眠る。
魔物の来襲を防ぎ、時には魔物退治のお礼として村人からご飯を恵んでもらったりする日が続いた。
「ではまずは来歴を語られよ」
ボター=ガル・ザンは立派な体格をした騎士だが、作法もきちんとした人らしい。俺は作法どおりに来歴書を出した3日後の朝に呼び出され、彼の屋敷の庭に通された。
彼の屋敷の塀は土壁で出来ており、屋敷の母屋も石で出来ている。どうやら古い時代から使っている家のようだ。カリグス帝国の様式と似ているので、大昔の家を改修して使っているのかもしれない。俺の立っている庭は公園位の広さで、騎士の騎乗動物である山羊が遊んでいる。それと家畜である鶏──地球の鶏と酷似している。四足なこと以外は───を鳥小屋で育てているようだ。
俺は左手で右手を押さえた直立不動の姿勢で庭に立ち、騎士見習いの身分に相応しい格好をしている。盾と剣は地面に置いているが、どちらも作法どおり少し遠くに置いている。
こうした作法は基本的に相手を害する意志がない事を示すものだ。右腕を押さえるのは突然襲い掛かれないようにするためだ。
ボターは全身武装している。体を覆う程大きい盾を持ち、右手には抜き身の剣を持っている。
俺が右腕を解放したり剣を持とうとしたら、彼は俺を殺害することが許される。
当然だ、彼が倒れたらこの村を守る騎士がいなくなるのだから。小さな領地では騎士は一人だけしか居ないことが多い。小さい村では騎士を何人も養えないのだ。
「私の名はウルファス=ベイ・リンです。聖なる剣と槍によって拓かれたエクター王国の王都にてアンリエット=ベイ・リンに命を戴きました」
「元服するまではどちらに?」
「母の叔父ラグ=ベイ・ランの所に居りました」
「ほう…何を学ばれた?」
「ラグ=ベイ・ランの武・義・忠・礼・智を学びました。彼は五賢を持つ立派な騎士でした」
「なるほど彼なら五賢を持つ。彼は健在かね?」
「つい3日前に死病に苦しみながらも剣と共に倒れました。私の元服を見届けてから星の世界に誘われました」
「なるほどこの3日はどおりで天気がよくない。立派な騎士の死を天も悲しんだのだろう」
お陰で天幕が濡れて危うく風邪をひくところだった。
「お主が当地でするべき事はなにかな?」
「今迄山で孤高に暮らしていたので、世間を学びたいのです」
「何故この領地なのだ?他にも立派な騎士の治める地はあるぞ?」
「ラグ=ベイ・ランの言によればボター=ガル・ザンこそオルガ第一の槍だと聞いたので、その所領にて学びたいのです」
「成る程ラグの言葉は正しい。私はオルガ第一の槍を賜った。だがなぜエクターの騎士の領地に行かぬ?」
「エクターの荒廃目に余り、もしもエクターに留まれば悪行を見過ごせず命を簡単に散らしてしまうからです」
「ふむ…命が惜しいかね?」
「亡き母との約束にて必ずやエクターの政治を正すためにも、生きて強くならねばならないのです」
「それが夢か、さて…他に聞く事は…何ができるね小さな騎士見習いよ?」
「数算魔術を修め、病床の身といえどラグと打ち合う事が出来ました」
「なるほど、何か質問はあるかな?」
「どのようにすればラグや貴方のような騎士になれますか?」
「学びたまえ、君なら出来る筈だ。さて、最近勘定役が年を取って辞めたので今日から働いてもらおう。いやーこんな口調は疲れるなー君ももう普通に話して良いぞ」
「ありがたき幸せ…御期待に沿いたいと思います」
平伏して頭を下げる。向こうが砕けた話し方をしてもこっちはそうはいかないのだ。勿論何度も口調を変えるよう言われたら変えないと拙いのだが。
「よろしい騎士見習いよ。諸々の事は古参の使用人に聞きなさい」
ふぅ…どうやら採用してくれたらしい。ボターが去っていくのを見届けて、古参の使用人の指示に従う。
俺はその後村の入り口近くの駐在所代わりの木で出来た小さな小屋に住み、朝は村の清掃兼見回りをし、昼は屋敷で帳簿を整理してボターの乗る山羊の手入れをし、夜には村の門番として村に来る魔物を倒し、赤い太陽の沈んで大分経った深夜に眠る。
実に騎士見習いらしい日々だ。もっとも俺は魔術を使えるので小屋の地下を勝手に増築して温泉を作ったので疲労は余りない。
俺の禄は年間で金貨1枚なので、このくらいの役得は許してほしい。
朝昼晩と苦労しながらの生活が3月ほど経過したある日事件は起った。
「キャーッ!」
「なんだ…あれはオウガか!?」
「嘘だろ…一匹なら兎も角…あれじゃ鬼の軍団じゃないか!」
村の入り口近くで道路工事──大地を黒い石畳に変える作業、村で唯一魔術を持つ俺にしかできないので重宝された。給料は上がらないが──をしていると村に突如として鬼の集団がやってきた。
「俺に任せてもらうかな、皆はボター様のお屋敷に逃げるんだ」
「道路工事のアンちゃん!?」
「馬鹿いってんじゃないよ?オウガはとんでもなく強いんだよ」
「そうだ、お前みたいな工夫に倒せるかよ!?」
そういう目で見られていたのか…工夫って…見習いと云えど騎士なのにな。まぁ騎士らしいこと彼等の目に映る時間はしてないから仕方ない。
それに普段は畑を耕したり雑草を抜いたりして村の人間から食料を分けて貰うくらいの貧乏暮らしだ。朝や昼は基本的に工夫や農夫と変わらないかもしれない。
村で一番小麦──地球の物とは違うと思うが小麦に見える穀物だ──を作るのが上手いカニさんに襲い掛かっている赤鬼を『銀水弾丸』で撃ち殺す。
「カニさん走れるか?」
「あ、あぁ…なんとか」
「そうか、すぐに逃げな。ボター様は俺よりも遥かに強いから、お屋敷ならここより安心だ。此処は俺が食い止める」
分かったと言ってカニはまっすぐ逃げる。マヌケな走り姿の背中がちょっと面白い。
村の入り口の外では山羊の牽く車が襲われている。この場合俺はどうするべきなのだろうか?
魔物は村の唯一の入り口である門を無視して村の5mある壁を梯子を使って乗り越えてきている。入り口開いてるのにな、それにしても魔物に梯子を使う知恵はないはずだが。
もしかすると反対側の塀を越えて進入した魔物に屋敷も襲われているかもしれない…屋敷に応援に行くべきだろうか?
ふと目をやると足の悪いココ婆さんさえ息子におんぶされて逃げている。他の生命反応も魔術で調べたが入り口周辺の村人は皆無事に逃げたらしい。
「まぁ俺の判断で出来る事をするしかないな」
目に入った鬼達を『銀水弾丸』で撃ち殺していき、車の救援に向かう。赤鬼は銀貨3枚程度の獲物なので、1匹だけなら村人でも10人でかかれば楽に倒せる程度だ。銀水弾丸は擬似的な意思を持たせているので、赤鬼の体内に進入して鬼の体を暴れまわってズタズタにするから一発で殺せる。
FPSの様に周囲の敵を殺してまわる。赤鬼達はどいつもこいつも棒立ちなので、剣を抜く必要もない。
視界にはもう生きている赤鬼は居ない。屋敷の方に使い魔を飛ばしたが、赤鬼は向こうには行っていないようだ。
村の外に出て横転した車にたどり着く。御者は死んでいるが、荷台の中に居る人は生きているようだ。だがまだ安心は出来無い。知恵を持った赤鬼が波状攻撃してこないとは限らない。今殺した連中は斥候かもしれないのだ。
「大丈夫ですか?赤鬼はもう全部殺した。もう出てきても大丈夫だ」
「あなたは…騎士ですか?」
「可愛らしい声の乙女よ、騎士見習いだが助けに来た。どうか荷台から出てきておくれ」
「でも…本当に騎士見習いですか?」
「いいからさっさと逃げんだよ!死にたくないだろ!」
そう言って荷車の中から、乙女を掴んで引っ張り出して担いで逃げる。
騎士見習いの作法も体裁も関係ない。助けられる人間は助けなくてはならない。
「お、下ろしてください…怖いです…」
「…分かった。村の中は大丈夫だ。怖がらせてすまない」
乙女を降ろして、頭を下げる。
「頭を上げてください。立派な騎士様」
「まだ騎士じゃないんだが…」
頭を上げると…大変な美人がいた。体の線が出にくい大きめの野良着だというのに豊満で形の良い胸が、彼女を地母神の末裔だと主張している。桃色のはねた髪は何処かアンリエットに似ているが、彼女よりも明るい色だ。
垂れ目で背は俺よりもやや高いが、ちょうど良い所に胸が有るので顔を埋めるのに便利…俺は何を考えているんだ。
助けた女がいきなり惚れるなんてのは現実にはありえないのだ。俺の方は惚れたも同然だが男はそんなもんだ。相手が美女ならすぐ惚れるのだ。
「いえ、あなたは私の運命の騎士様です。ハレと申します。これから一生可愛がってください」
お辞儀されたが、俺の頭はグチャグチャだ。いきなり美人に惚れられるなんて…まぁ俺も美貌の王妃の血をひいているから自分で言うのもなんだが、ルックスはこの世の物とは思えないくらいのイケメンだ。
それでも急に惚れられるなんて事があるんだろうか?少なくとも村の少女達は男装の娘──ボターの娘──に夢中なので俺に興味の在る子は居ないのだが。
俺は前世でもあまりもてなかったんだろうか?一目惚れされた経験が少ないのか、心臓の急激な鼓動が止まらない。
彼女はそれほど年上には見えないが、母達に劣らないほどの美人だ…彼女を一生可愛がっても良いのかと思うと、邪な考えが次々に思い浮かぶ。やはり俺も好色な王の血をひいた子らしい。