元服では2人の血が流れた
「よいかウルファス=ベイ・リン。元服するまでは母に会う事はならん。これからお主は山の中腹に住まう事になる」
壮年の騎士ラグ=ベイ・ランは俺にそう告げた。立派な髭を蓄えた、いぶし銀の男だけあり声も渋い。
ベイ・ランというのはベイの氏族──エクター王国建国に貢献した騎士を祖先とする一族だ──のラン家の者という意味だ。
もっとも一人暮らしで子供は居ないらしくベイ・ランという苗字を持つのはエクター王国には1人しか居ないそうだ。
「分かりました。しかしそれでは母の世話は誰がするのですか?」
「無論わしがする」
「しかしそれでは修業が出来ないのでは?」
「基本的にお主とわしが会うのは週の初めだけじゃ、その時に教えを授けるから次の週の初めまで己を磨け」
「分かりました。何もかも貴方の言うとおりにします」
この壮年の騎士は嘗ては王宮に仕え、多くの騎士達を指導した者として本に載っていたので信用は出来ると思う。アンリエットもラグの家──近くの村から10kmほど離れた所にある──である大きな山小屋に住む事になるが婦人に不自由をさせる男には見えないから大丈夫だろう。
「では母上、必ず立派な騎士になって御覧にいれます。どうぞお元気で」
「しばらくお別れね。貴方なら必ず立派な騎士になれます。叔父上は王国でも指折りの騎士ですから善く学びなさい」
長旅で疲れた母と充分抱き合ってから、離れる。或いはこれが今生の別れになるかもしれない。
「では行くぞウルファス=ベイ・リン」
「了解いたしましたラグ=ベイ・ラン。これから7年よろしくお願いします」
そして俺の修業の日々が始まった。山の中腹に騎士らしい天幕を建てる事から始まり、山で生きる術を教わった。てっきり小屋か何かに住めると思ったが、館暮らしが長かっただけに結構辛い。
そして週が進むごとに習うことが増えていき、騎士としての作法や武術を教わり。忙しい日々を過ごした。
「騎士に必要な要素とは五賢じゃ、何か分かるか?」
「武・義・忠・礼・智ですね」
「そうじゃ。まだお主には全て備わっているとは言い難い。修業することだ。もっとも全てを兼ね備えた騎士はそう居ないが、武だけは得るのだ。生き残れば他の4つも何時かは会得できる」
「ラグ=ベイ・ランよ、貴方は五賢を備えているんですか?とても立派な騎士だと思うのですが?」
「この世に五賢全てを兼ね備えた騎士は、ガヴァランドの魔道騎士カバラ=ガレ・ストリムとエクター王国王妃であるサシャンセル=エクター・ロデイ様以外居ない」
「たった2人しか居ないんですか?」
「歴史書には全てを兼ね備えたものも頻繁に登場するが、わしは今迄千人を超える騎士に会ったが現実に五賢を持つのはこの二人以外には見当たらなかった」
「それでも今の私は貴方にさえ遠く及びませんが…真の騎士になれますか?」
「雄大な山の麓を見るだけで恐れるな。とにかく登れ若人よ」
山での生活は厳しくも楽しいものだった。時には川で洗濯をし、同時に魚を釣る術を学び、時には山で柴刈りをしつつ緑山貉──1m程の狸風の生き物──を狩って鍋にした。不味いものも美味い食い物も沢山食べた。
様々な魔術を修め、騎士に必要な戦う術も野生動物たちと戦い学んでいった。
そして月日はあっという間に流れた。
「なんだかんだで12歳か…元服して騎士見習いになったら、山を下りて女の子に会いたいな…」
最近性欲が溜まる様になってきたので、母上の夢──2・3番目の母が両方出る事もある──を見て朝起きたら、股間がちょっとアレな事になっていることがあるのでどうにかしたい。
前世と違ってどちらの母も性欲の対象に出来るくらい美しいから仕方ない、俺は悪くない。母が美しいのだからしょうがない。
親不孝な事に1番目の母はもはや背中さえ思い出せない。最近では前世の事を夢に見る事さえ無くなっている。
俺が日本人だったというのは夢か何かなのではないかと最近は思うようになってきた。
まぁ大事なのは今の日々だ。知識の中にしかない日本の事などさっさと忘れよう。
最近は山の生活にも馴れて3時のティータイムを楽しめる位になってきたので、偶に使い魔を王都に飛ばす。
王都は酷いものだ。俺の腹違いの兄弟が実は王子ではないとようやく分かったらしく、征服された他の国からも俺と同年代の子供が集められている。黒髪や黒目問わず片っ端から集めているが、王子でないと分かった子は奴隷として扱われる様子だ。
エリトとアンリエットの子供も探したが荒れ果てたリン家にも誰も居なかった。王国から逃げるものも多いから彼等も逃げたのかもしれない。
一番近くの村にも子供は居ないので遊びに行く気にはならなかった。
まだ山向こうのオルガ公国は征服されていないが、エクターに隣接する国家はもう全て征服されてしまった。かつてのエクターよりも強力な力を持ったソラヴェイン王国も邪神教団の幹部の前に滅ぼされてしまったらしい。
使い魔で邪神教団の双頭の魔人の戦闘を一度だけ見たが、戦車か爆撃機のような暴れっぷりだった。口から吐かれた炎は石の城壁を融かし、爪の一撃は尖塔をだるま落としの様に簡単に破壊していた。
「俺はあんな奴に勝てるんだろうか…?」
向こうが探している以上いつかは巡り会うと思うが、俺が逃げ続ければどうだろうか…
「いや、葬火のボゥギと互角に立ち回っていた騎士もいたんだから…俺だって何とかなるさ!」
そう、この世界では人間でも戦車以上の攻撃力を振るうことが出来るのは確認している。隣国アイラの騎士ブガルはボゥギと1昼夜の激闘を繰り広げていた。結局負けてしまったが、ボゥギはその後半年活動できなかったらしい。
実の母を助けたい気持ちはあるのだから、力をつけて何時の日か奴等を倒さねばならない。
俺はまだ140cmほどの背しかない上に正式な騎士でも無いが…まだまだ強くなれるはずだ。
後悔しない生き方をしたいという願いは魂の底にこびりついている。
それには今日の決闘を生き延びなくてはならない。この世界では元服の日に戦うなんて習慣は無いが、老境の騎士は一週間前俺と元服の日に決闘したいと言い出した。
「…拒否権は無いから準備するしかないんだよな。目上の騎士には逆らえない」
騎士見習いが装備していい装備は正式な騎士の物よりもかなり劣るが、無いよりはマシだ。
金属の靴を履いてから、布の服を着てからラグに貰った小さめのチェインメイルを頭からすっぽりと被って装着する。見習い騎士の装備は騎士のプレートメイルと違って一人で着れるのだ。
篭手は装備を許されない。それに兜を装着する権利も無いので、ちょっと不安になるが仕方ない。いつか出世して鎧一式を装備しよう。
魔術によって創りだした弓・槍・剣・盾の状態をチェックするが問題は無いと思う。それぞれの武器をベルトから吊るし、鍋の蓋ほどの大きさの盾を左腕につけて、弦を張った弓を右手に持つ。7年険しい山で鍛えたお陰で何の問題も無く動ける。
小さな円形の盾には何の紋章も無いが、これは俺がまだどこにも仕官していない事の証明だ。
「さて…行くか」
腹具合も膀胱も問題ないが、闘志は余り高くない。
一体どうなるんだろうか?俺は恩人を殺す事になるのだろうか?不安に包まれながらラグの山小屋を目指す。
ラグの山小屋の前は正式な決闘の作法に則た決闘場となっている。決闘場には白い幕が張られ、幕の内側には昼間だが篝火を焚いている。
「騎士の源流たる古きカリグス帝国の決闘作法を確認いたしました。エクター建国の志士ベイの氏族はリン家の美しき才女アンリエット=ベイ・リンの子、ウルファス=ベイ・リンが参ったぞ」
そう大声で叫ぶと山小屋の方から全身を鎧に包んだ壮年の騎士が現れた。地球で言う獣脚類の竜──大きさは地球の馬くらいだ──に竜用の鎧を着せて乗っているが、騎士なら当然だ。
竜騎士という奴だ。まぁこの世界では何に乗っていても単に騎士と呼ばれるが。
「よく来たな、ちっぽけな騎士見習いといえど勇気はあるようだな、見習い騎士のウルファスよ」
「ラグ=ベイ・ランよ、貴公のような誉れある騎士に褒めていただけて光栄だ。槍を交える前に聞きたい事がある。互いに遺恨がないのに何故決闘を望んだのだ?」
「おやおや怖気づいたか、鎧を纏ったわしの姿に怯えているなら泣き出して逃げてしまえ。ここに来ただけで立派だが、闘うほどの勇気はもう残ってはいまい」
「私の心にはノミの大きさほどの恐怖さえない、貴公が頑健な竜に乗った武勇溢れる立派な騎士といえど闘うぞ」
「では是非もない。決闘の理由を知りたいなら闘って勝ち取れ」
怒られなかったから定型の問答はどうやら正しく言えた様だ。
どうも本気で闘う事になったようだ。ラグの性格は7年で把握しているので、これ以上続けても無駄なのだと分かる。
それに向こうの長剣と槍──所謂ランスであり俺の槍は棒の先に槍の穂先があるだけだがラグのは全部金属だ。相当重い──は刃を潰していないから殺傷力は充分なので当たれば死ぬ。
左手に持った盾は俺のと違って左半身を覆う程大きい。身分の違いで装備できる装備は違うのだ。もし身分違いの装備をしていると仕官できなかったり不利益を被ったりする。
俺の心の中にはまだこれが単なる試験だという思いがあるが…
「さぁ来い!」
老境の騎士は年に見合わぬ殺気を放っている。どうも試験では無さそうだ。
決闘では常識的な騎士は目下の騎士見習いの攻撃を待つものだが、ラグもそうするらしいので、俺も最後の準備をする。
本気には本気で応えるしかない。
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『銀水の阿修羅腕』という俺の創った魔術である。創ったといっても『銀水のヒドラ』を応用したものであり、単に俺の背中に流体金属の腕を生やしただけだ。
生やしたといってもくっつけてるだけで別に皮膚に癒着しているわけでもない。だが自前の腕並に操れる。
これにより俺は弓・槍・剣・盾を同時に操れるのだ。
「名付けて五兵形態だ。貴方に勝ち目は無い、この決闘は私の勝利で終わるがよろしいか?」
「もはや問答無用だ。決闘を挑んでおいて今更逃げるラグ=ベイ・ランではないわ」
「分かった。では行くぞ」
そう言って竜に向かって弓を放つ。互いの距離は100mほど離れているが、竜の眉間に命中した。
「ギャー!」
竜は叫んで暴れまわるが、ラグは難なく竜から下りて、重い槍を捨てて徒歩でこちらに迫ってくる。年寄りの癖に素早い。10秒もあればこちらに肉薄するだろう。
矢筒から矢を取って放つが、ベイの氏族の紋章──エクターに生息する野鳥の図案──の描かれた盾に阻まれ、剣によって切り払われた。
矢が尽きたので弓をアイテムボックスに仕舞う。一度の決闘で使っていい矢の数は限られている。
右手に剣を持ち、こちらから接近する。背中の腕に持った槍で何度も突き、ラグの盾を破壊した。
その後何合も打ち合うが、俺は武器も盾も損なうことなく、ラグの剣を折った。その衝撃でラグは地面に崩れ落ちた。
「決着はついた。慈悲を求めるか?」
「要らぬ」
「では介錯を求めるか」
「それも要らぬ。どの道死病だ。お主の練習台として闘えただけで満足だ」
「…気付きませんでした。7年も一緒に居たのに」
「ふっ…こういう時の作法は教えたはずだがな」
「『死病ならば私が名誉ある死を差し上げよう』なんて台詞は言いたくありません。家族ですから介護いたします」
決闘は終わったので、手を差し伸べる。せめてベッドの上で死なせてやりたい。
「騎士にとっては決闘で死ぬのは誉れだ。だがさすが高貴な血をひくお方だ。末恐ろしい力だ」
「エクター建国の勇士であるベイの血をひいていますから」
「…まぁ詳しい事はあれに聞け…ごほっ!お迎えが来たようだな」
「先生…」
「遺体は儀礼どおりに葬るのだ」
「分かりました」
「立派な戦いだったぞ…病床といえどわしに勝ったのだから既に武は一流だ」
「ありがとうございます」
「心残りがあるとすれば…未だお前のレベルが1なことだが…」
「え?レベル?」
「だが必ずや…我が主たる王妃の子ならば…王国を…グフっ!」
「ちょっと!レベルってなんですか?教わってないですよ?強さが見て分かるんですか?」
ラグは死んでしまったらしく、答えてくれなかった。
レベル…?少なくとも俺はラグの強さが数字で見えた事はない。この7年で山の魔物を倒した事もあるがレベル上がってないのか?
「終わりましたねウルファス」
「母上…相変わらずお美しい」
ラグが息を引き取ってすぐに山小屋から出てきたのは7年ぶりに会った養母だ。最後に別れた日から更に美しくなっている。ようやく彼女と同じくらいの背になったのだと理解した。
何故かナイフを持っているが何でだ?それに血の気がないが…叔父が死ぬのを見た所為か?
「元服した今だから言いますが貴方は私の子ではなく王妃の子です。貴方の出産の日にわが子と取り替えたのです。父親が同じならば私の子も王子という、つまらない嫉妬で王子の名前を奪いました。私の子を王子として育てて欲しかったのです」
「それでも貴方は母上です。危険ですからナイフを捨ててください。美しい肌に傷でも負ったら一大事です」
「ありがとうございます、ウルファス=エクター・ロデイ王子。今王宮では私の子が悪政を布いていますが…貴方はどうしますか?」
アンリエットは跪いて俺に問いかける。
「跪く必要などありません母上。王宮には悪魔が住みついています。それが貴方の息子を操っているだけです。貴方にも私の兄弟にも悪政の責任はありません」
「そうなのですか…?」
「私は悪魔を倒したいと思っています。今の力で勝てるかは分かりませんが、貴方の産んだ私の兄弟をすぐに助けに向かいます」
「私を…母と呼ぶのなら、ある願いを聞いてくださいますか王子よ」
「勿論です。どうぞ何なりと」
アンリエットは立ち上がると俺に向かって優しい声で語りかけた。
「山を越えてオルガ公国に向かいなさい。そしてあの国で騎士になりなさい。正式な騎士として充分な修業を積んでからこのエクターに帰還しなさい。それから乙女には優しくしなさいね…貴方は女性を意のままに出来るほど魅力的です。だからって乙女を蔑ろにしてはいけませんよ」
「…分かりました。御心のままに」
「ウル…貴方は何も悪くないのですよ。悪いのは赤子の貴方を浚った私なのですから」
そう言ってナイフを喉に…
「ごふっ…」
{cd/ηεαl}
魔力資源を掻き集めて、『治癒の光』で彼女の首を治療するが…彼女の生命力は恐ろしく低下している。
「いいのです王子よ…あらかじめ陰腹を切っておいたのですから。首の血は最期の血です」
「死ぬ必要なんて…なんで?」
「今王国が乱れているのは私の所為ですから責任を取ります。もっともこんなことで責任を取れると考える愚か者ですが…こうするしかないのです」
「違います悪政は悪魔、いえ、邪神教団の所業です」
「王子…いえ、可愛いウル。私を慰めなくてもいいのですよ…」
「違います。私も今だから言いますが実は私は、実母の事も貴方が私を浚った事も知っていました」
「優しい子…嘘なんていいのに。強く…優しい子に育ったのは…幸いです…愛していますよウル…」
「嘘じゃない、本当に全て見ていたんだ。僕はこの世界に転生した人間です。かつては地球という星で暮らしていました。そのため特殊な力を持っているので王宮の事も分かるのです。お母さんには何の責任も…」
母は既に死んでいた。俺が本当の事をもっと早く話していれば助かったのだろうか?まだ他にも話したい事があったのに…
「だが起こった事は変えられない。俺が浚われて事も王が死んだのも母上様が一人宝物庫に居る事も母上が死んだ事も変わらない…結局ここでも後悔だらけ…」
俺は泣いていた。2人の物言わぬ遺体の前で大泣きした。俺の家族が死んだのだから当然泣く。
2人の笑顔を思い出して泣いた。2人の言葉を思い出して泣いた。騎士としての作法などお構い無しに情けなく泣き続けた。