進軍は昼のことであった
「ウルファス卿、ゲンですじゃ」
「呼び出しか?」
「ええ、村の門でアサイラ様がお待ちです」
朝から3時間ほどハレを楽しんでいたら、老いた使用人に呼び出された。調度小休止の時に来たので聞かれてはいないはずだ。ハレは息も絶え絶えという様子だが、一緒に行けるだろうか。
「ハレよ、立てるか?」
「はぁ~はぁ~なんとかぁ…」
「ふふふ、俺がどれだけお前を愛しているか伝わったな?もう離さんぞ、後悔しても遅いからな、お前は一生俺のモノだ」
「うぅ…ウル様の変態ぃ…でも嬉しい…」
これでもうハレは俺の元を去ろうという考えは抱かないだろう。鎧に着替えて小屋を出て村の門に向かう。ハレは疲れているようなので体力増強呪文をかけておく。体力の回復は出来ないが、増強は出来るのだ。ハレは見るからに元気一杯という様子で跳びはねている。う~むはねる跳ねる。あんなに跳ねて胸のなんとかいう筋肉が切れたりしないと良いのだが。
「ウル様は流石に凄い呪文を使えるんですねぇ、あんなに疲れていたのに元気一杯です」
「ふむ、なら今夜からは俺とお前両方に『大地駆け抜ける風』をかけるかな。一晩中楽しめるぞ」
「ウ、ウル様。身体に毒ですよ」
確かに毒かもしれない。それに使命のこととか忘れそうなほど気持ちいい。やはり女色は国を滅ぼす元だな。だからって止める気は無い、俺は後悔しない生き方をするのだ。ほどほどに、だが情熱的に楽しむことにしよう。
門のところには馬に乗ったアサイラが居る。傍らには老いぼれ山羊がいるが…もしや俺はまたあれに乗らなくてはならないのだろうか。
とりあえず騎士らしい位置で止まり、兜と面頬を脱いで挨拶する。基本的に騎士同士が対面する時には相手に武器が届かない位置で挨拶するものなのだ。但し親密な間柄なら別だ。しかし俺とアサイラはそれほど親密でも無いのでこの位置なのだ。
「アサイラ卿。お召しにより参上した」
「う、うむ。えぇっと…参列感謝するぞウルファス=ラグ・リン卿」
「アサイラ卿、騎士同士が対話する時は騎乗動物から降りて顔を晒して話すのが礼儀です。それと我が名はウルファス=ベイ・リンです」
「そ、そうでした無礼を許せ」
そう言って、アサイラは馬から下りようとジタバタしているが、慣れていない所為か降りれないようだ。まぁ鞍も鐙も無いから仕方ない。カリグス帝国では鞍や鐙が発明されていなかったので、今では無意味なその慣習を守った騎士も多い。慣習を守っている騎士の中にはアサイラの様に裸の馬から自由に乗り降りできない騎士もいるらしい。そうした騎士は俗にバシュと呼ばれる。バシュというのは女の尻に敷かれた男という意味だ。馬の乗り降りを下人に尻を押して手伝ってもらう様子がなんとも間抜けなのでそういう風に言われるそうだ。
アサイラは降りれる様子が無いので、こっちから恥をかかせない様に上手いこと切り出さなくてはならない。これも騎士の処世術だ。
「アサイラ卿。お急ぎの用事ならば馬上でも構いませんよ」
「…痛みいります。ウルファス=ベイ・リン卿、呼び出した事情はもう知っていますか」
「無論です。公爵の行軍に参列するのでしょう。微力ながらお手伝いいたします。卿のお父上への恩返しを命の限り果たす所存です」
「ありがたいことです。ところで貴方の従者は…ハレではないのですか?その人誰ですか?村にそんな人居ましたか?」
「俺の従者はともかく、貴方の従者はどこに居るんですか?もう公爵の陣中に?」
アサイラはフルフェイスの板金兜を被っているので表情は分からないが、なんだか狼狽した様子だ。そういえば兜に飾りがないことに気付いた。まぁあれは領地持ちの騎士か、その正式な後取りだけが許可を得て付けるものだ。だが彼女は…どうなんだろうか?正式な跡継ぎかどうかは、誰にも聞いていない。
様子から云ってどうも彼女は作法をよく勉強してはいなかった様だ。そういえば屋敷で勘定役をやっていた頃も彼女が勉強していた様子は見なかったかもしれない。大抵村の外に獲物の取れない狩りに出向いているか、村娘と乳繰り合っているところしか知らない。
まぁ作法を知らないなら知らないで色々助言するとしよう。これも人間関係だ。精々プライドを変に刺激しないように上手いこと言わなくては。
「アサイラ卿、従者というのは必要不可欠なものでは在りますが、従者に出来ることは騎士にも出来ます。未熟…いえ年若い騎士は身の回りの事も自分でやる方が評価される傾向にあるので、必ずしも従者が必要な訳ではありません」
「そうですね。私に従者は必要ありません。ではいざ出発します」
単純な女である。ボターが心配するのも納得だ。面頬を取り付け、兜を被る。山羊はどうやら乗っていいらしいので、俺だけ乗り、ハレを山羊の左側に位置についてもらい、ハレに盾を持たせる。普段なら一緒に乗るのだが、体面とか作法があるのだ。ゆっくりと山羊を走らせ、アサイラの隣に並んで歩みを合わせて村の外に向かう。
「ところでアサイラ卿、我々はどの旗の下で戦うのですか?」
「それは…公爵の旗でしょう?」
「いや、どの騎士の元で戦うのかという話です」
「それは…恐らくこれから伺う筈です」
まぁ急な行軍の上にアサイラも突然騎士に任じられたのだから、誰の下で働くのかも決まっていないのかもしれない。グダグダだな、こんな行軍で上手くいく訳ないが…まさかドゴの狙いはそれなのだろうか?だが邪神教団の目的も良く分からない。エクターとオルガを戦わせる意味が分からん。もしやあれだろうか、世界に混沌を齎す~悪とは人間そのもの~みたいな悪役っぽいことが目的なんだろうか。
村の外の森の中には天幕が幾つも並んでいてちょっと異質な風景だ。指輪の紋章の描かれた旗の立った天幕の前に停まる。山羊から降りて、ハレから盾を受け取る。アサイラを馬から降ろすのを手伝おうかと思ったが、彼女に拒まれた。アサイラも3分くらいかけて漸く降りられた。俺が手伝えば10秒で終わるというのに。
ハレに山羊を預けてアサイラと共に天幕に入る。中にはガウラードとその従者が居た。ガウラードはアサイラを認めると、笑顔で口を開く。
「アサイラ=ガル・ザンか、大きくなったな。この度の参列ご苦労だな」
「お久しぶりですガウラードおじ様」
「そちらの若い騎士は何者か?」
「ウルファス=ベイ・リンです。ボター卿のところで修業をさせてもらっています」
片膝をついて兜を脱ぎ脇に抱え挨拶をする。
「なるほど、アサイラよ。当地に他に騎士は居ないのか?」
「えっええ…私達2人だけです」
「ふむ…まぁいいさ。すぐに進軍してもらうことになる。馬に乗って待機していてくれ」
「「御意」」
二人揃って挨拶を返す。アサイラだけ立っているが、ホントは目上の騎士…それも将軍の面前でこういうことは駄目なのだ。まぁアサイラとガウラードは昔馴染みらしいからいいのかな。
俺達は天幕を出た。その後それぞれ騎乗してから暫くして、先導の歩兵の後に付いて行く。山の麓まで行くと、山には巨大な穴が空いていることに気付いた。まぁ山の大きさに比べれば蟻の穴みたいなものだが、それでも巨大だ。
「あれが大道…なんて大きさなの」
アサイラは実に驚いている。俺も言葉には出さないが、実に驚いている。穴の高さは10mはあり、横幅は何台もの車が通れそうなほど広い。ちゃんと山の向こうまで繋がっているんだろうか?
軍勢がゾロゾロとその穴に向かって進む様は蟻の行列を思わせる。しかし侵攻について碌に説明もないままに進むあたり、俺の立場の低さが分かる。騎士と云えども領地もコネも無い騎士など一兵卒と代わらないのだ。まぁ中国には裸一貫同然の義勇軍から皇帝になった人間もいたのだ。俺も頑張ろう。
トンネルの最後尾に加わった俺達も流れに任せて穴に入るが…空気は大丈夫だろうか。恐らくトンネルの奥に進むほど空気が悪くなるはずなので、対策をしていないならバタバタと兵士が倒れると思う。奥にいる兵士達が明るさを確保する為に松明を持っているので、灯りが点々と続いているので空気はあるようだ。だが倒れないとは限らない。酸素は果たして大丈夫なんだろうか?そういえば不自由なく息をしているがこの星の大気は地球の物と同じなのかな?この世に生まれた時から吸っていて気にも留めなかった。
ハレが不安げな表情なので、言葉をかけてやる。
「ハレ、穴の中でも心配するな。俺の魔術なら穴の中でも空気を確保するなど容易い」
「いえウル様…そんな心配はしていないのですが…ウル様の故郷に帰るのですから緊張しているのです」
「そんなこと気にするな、そもそもこのトンネル本当に開通しているのかな?開通してるなら100シャキルを超える長さだぞ。この早さだと穴の向こうに行くには…5~6時間くらい掛かるかな」
「何を言うんですかウルファスっ!公爵閣下が開通したというなら開通しているのです」
そんなこと言われてもなぁ…それにしても長いトンネルだ。一応使い魔を放ち奥の様子を探るが、多くの輜重隊と歩兵は特に詰まる事もなく粛々と足早に進んでいる。トンネルの中というロケーションの所為か、旗を折畳んでいるので、どこの土地の騎士がいるのかは分からない。それにしても暗くて良く分からないが凄い数だ。まさか斥候も無しに進軍するとも思え無いから単なる先遣隊なんだろうが、最低でも5千は居る。その最後尾が俺達新参者か、アサイラは期待されているらしい。恩賞は期待できるかもしれない。待てよ、これは故郷を滅ぼそうとする軍勢…いや貰える物は貰うのだ。今は雌伏の時だ。
洞窟の先にはちゃんと灯りが見えたので、ちゃんと開通しているらしい。使い魔を霧散させ、進軍に意識を集中する。暗いので山羊の手綱をしっかりコントロールしなくては山羊が怯えてしまう。
トンネルを1時間も進んだが、どういう訳か空気は悪くならない。何かの魔術だろうか?いや、それにしては魔力資源の流れが大人しい。単に風が吹いているだけだ。風を送る魔術をトンネルの片方からかけているのだろう。風の流れから云ってエクターの方から風が吹いている。内通者…風…葬風のフローを思い出すがあいつも来ているのか?拙いな…奴は透明なので対処する魔術は少ない。まぁドンと来いだ。成せばなるさ。
それにしてもトンネルの壁を見ると、どうもオルガ側から掘られた訳では無いように思える。地肌の様子からオルガに向かって掘られたように見える。トンネルの壁には何の支えも無いが…大丈夫なんだろうか? 天井の上には富士山以上の高さの土があるというのも恐怖を感じる事実だ。天井にかかる重量も相当なものだろう。もしもこのトンネルが崩れたら大変なことだ。前を行く兵士達も天井が落ちるかもしれないという不安さか暗闇の不気味さからか誰も声を発しない。闇の道は無音で隣の人間の顔さえ見えないので、闇に乗じてハレを山羊に乗せる。道のりは長いのだから当然のことだ。騎士の作法も関係無い。長い道を歩き無事にトンネルを出る。
外は夕日が射している。懐かしきエクター平原である。俺は帰ってきたのだ。夕日に照らされた平原は天地が緑と赤二つに分かれた美しい光景だ。地球ではこんなものを見たことは無い気がする。涙が頬を伝う、風景に感動したのか懐かしき故郷に感動したのか或いは両方だろうか?
公爵の軍勢はエクターに侵攻したことに興奮している様子で、ここからすぐ見える街のザカリオンに殺到している様子が見える。ご丁寧に穴の前には黒い石で出来た道路が在るので脇目も振らずに直進出来るようだ。
しかし錬度の低い連中だ。街からは火の手が上がっているが略奪でもしているのだろう。俺はなんとも嫌な気分になるが、下級騎士に出来ることなどない。俺達の周りにいる兵士も暗闇から解放された反動か我先に街に向かうが、街に近づくほどに痛ましい叫び声が聞こえてくる。だがどうも妙な様子だ。
「…ん?妙だな」
「ウル様…お辛いのは分かりますが…どうぞ気を落とさずに」
「そうじゃない、逃げてくる人が居ないんだ」
俺は使い魔を放ち、街の様子を見ることにした。
使い魔達は驚くべき情報を伝えた。街の中で暴れまわっているのはオルガの兵ではなく邪神教団だ。岩石人間のドゴではなく、2つの頭を持つ怪物…葬火のボゥギが後ろに有る竜の頭から火を吹いている。だがボゥギが殺しているのはエクターの兵士ではない。
「…焼かれているのは、オルガの軍だ!」




