シンデレラの娘と魔女の息子
シンデレラの童話のアフターストーリーになります。
色々違う部分もあると思いますがお許し頂けると幸いです。
尚、義母・義姉は出てきません。
うちの国の王は馬鹿だ。
娘である私は心からそう思う。
平民の娘に一目惚れして、プロポーズ。正妃に立てた上に産んだ子供は娘一人。
正妃に対する溺愛っぷりは私から見ても見苦しい。
「仕事しないなら帰ってください、お父様」
「ヒーメア、俺はシンデレラの顔を見てるだけだ」
「だから帰れっつってんだ、色ボケ親父が」
おっと、つい本音が漏れ出た。隠すつもりも無かったが、低い声だったため父に届かなかったようだ。
「本当に、エドワード様ったらお茶の時間が好きねぇ」
母がほのぼの笑う。好きなのはお茶の時間じゃなくて母と一緒にいる時間だからだと思う。
父である国王は、デレデレという形容詞がふさわしいにやけっぷりで、私の顔が嫌そうに歪むのを見ると母に抗議した。
「シンデレラ、見てくれ。ヒーメアのあの顔を。もう娘も思春期でパパを嫌う時期なのかな……俺は悲しいよ」
「あらあらあら」
母は父の頭を撫でる。途端に嬉しそうに微笑む父。
……やってられない。
うんざりした私は政務の書類を持って、入り口で困った顔をする大臣に頷いた。
「10分待って頂ければ叩き出します」
「ヒーメア様、申し訳ありませんが、お願いいたします……!」
この馬鹿国王は暇さえあれば離宮にきて、母にべたべたくっついている。そんな父を見るのをうんざりしている私が叩き出すまでは。
母はいつも「あらあら」と優しい笑顔で父になされるがままである。年をとり、既に40歳近いはずがその美貌に衰えもなく、プロポーションも崩れない。聞いたところに寄ると親友ともいえる魔女から年齢の進行がゆるやかになる薬を貰っているらしい。さすが魔女様。
「10分です、お父様。その間席を外して差し上げますから、存分にお母様といちゃいちゃなさいませ」
「ヒーメア、お前は優しくて可愛くてとっても良い子だ!」
娘に気を遣われて喜ぶ父を、私は冷たく見つめた。
「10分経っても政務に戻らなかったら、私、『パパなんて大嫌い、パパのものと一緒に洗濯しないで!』ってお母様に言います」
「……」
ちょっと悲しそうな顔になった父は、母にすがりつくように抱きついた。
「シンデレラッ! 娘が、娘が反抗期だよおおおお! でも久しぶりにパパって呼ばれてちょっと嬉しい! なあヒーメアが俺を嫌っても、シンデレラは俺のこと好きだよな!?」
扉を閉める私の後ろで、母の優しく柔らかい声が聞こえる。
「もちろんですわ、あなた。愛しています」
パタンと閉じた扉の向こう側で、父がしっぽをぶんぶんと振って喜んでいるだろう様子が見ずとも感じ取れる。
ふう、とため息をつくと私は傍らの大臣に笑いかけた。
「ごめんなさいね、執務室に連れて行きますから、先に政務の準備をしておいてくださいな」
「ヒーメア様、本当にありがとうございます……!」
大臣の感涙に同情を禁じ得ない。あの馬鹿親が。いやバカップルが!
* * * * * * * * * *
エドワード王とシンデレラ妃の娘として生まれた私、ヒーメアは現在15歳。眉間の皺を伸ばすようにぐりぐりと指で押さえる。
阿呆な父も困ったものではあるが、流されるままの母も好きではない。いや、家族としては大好きである。しかし違うだろう。家族ではなく、父はあれでも一国の国王なのだ。
「それが一目惚れで結婚はまだしも不特定多数の女性がありうる靴1つで探すとか、結婚してからもべたべたで仕事をほったらかすとか、はた迷惑にも程がある!」
国王としてのするべき仕事があるだろうに、あの父は公言してはばからない。
「俺の全てはシンデレラのためにある!」と。
ならば正妃である母は止めるべきである。あなたのすべきことはまず国のこと、それからシンデレラを愛でるなりデレるなり好きにすればいい。
しかし元は庶民であるシンデレラ。未だに離宮では洗濯や掃除が欠かせない日課である。のんびりと過ごすことを常にし、隣に夫である国王がいることをむしろ喜んでしまっている。幸せだと微笑むその横で、私は大体苦笑いだ。
世間ではそんな母を嘲笑うものもいる。王様が怖くて面と向かって言わないだけである。
その分、嘲笑は娘である私に向かう。ヒソヒソクスクスと良家の子女は噂話の如く聞こえるように笑い合うのである。曰く。
「あら……王様と正妃様の娘であるというのに、美貌はそれほどでもないのね……」
「聞いてらっしゃる? 正妃様ったらまだ家事をしてらっしゃるんですって!」
「まあ……庶民の癖が抜けないのかしら? 残念なことですわね」
「だから姫様もきっとお掃除がお上手なのではないかしら? 私たちにはとってもじゃないけど出来ませんわ……!」
イラっとしたが、言い返しても「ただの噂ですのに、姫様ときたら過敏すぎますわ、やはりあの庶民の血は争えないのかしら」とクスクス笑われるのが関の山だ。
よって大変掃除が上手な私は、嫌みを言ってきた貴族の娘の父親の不正を暴いて国の財政掃除を行ってやった。ケッ、ざまあみろ。
伊達に10歳の頃から「コイツは駄目だ」と父に視線を向けていたわけではない。15歳にして既に政務の半分は私が事前準備を終えている。あとは父に判子を貰うだけの状態だ。
そうでもしないと政務が滞る。
一度痛い目にあわせてやろうと放っておいたら、父が音を上げるより先に大臣に泣きつかれた。残り少ない頭髪が可哀想であったので、仕方なく三日三晩不眠不休でなんとか溜まった政務を手伝い、こなし終えた。その直後。
「よーし、終わった! 今日こそシンデレラの所に行ける!」
父が徹夜明けのナチュラルハイな状況で言ったため、そこから1ヶ月ほど父娘の断絶状態が続いたのは余談である。
* * * * * * * * * *
「10分経ちました。さっさと行きますよ、お父様」
コンコンと扉を叩くと中から名残惜しそうに出てくる父がいた。
「シンデレラ、すぐ戻って来るから寂しがらないでおくれ」
「また離宮に戻れるかどうかはあなたの政務の出来具合次第です、お父様」
私は冷たく言うが、父の視線は母に注がれたままである。
「行ってらっしゃいませ、あなた」
中から微笑んだであろう母に、父はデレデレと笑いかけた。バカップルが。
「今日は西の領地にある茨の魔境に関する調査と、隣国との協議準備と、半年後の即位15周年の準備に関しての決裁があります」
「はああ……今日もシンデレラは可愛かったなぁ」
聞いちゃいねえこの馬鹿親は。
後ろ髪を引かれて振り返っては止まる父の足を、高いヒールでぐりぐりと踏みつけるともう一度言った。
「お父様、私の話を聞いてました?」
「いたたたたたた、ごめんヒーメア、ごめん! 分かってる、茨と協議っぽい何かと即位がどーのだったよね!」
「その返事で、何をどう分かっているのか仰って頂けたら外しますけれど、足」
「真面目にやるから、真面目に聞くから!」
涙目の父を半眼で見やると、私は足を外して言った。
「では今からお母様の話は禁止です。政務が終わるまで一切言わないように」
息をするかのように「シンデレラは可愛い」「シンデレラに会いたい」「シンデレラのお茶が飲みたい」と政務中ぶつぶつと呟く父にうんざりしている私の台詞に、父は目を見開いた。
「そんな……俺は彼女を政務の心の支えにしているのに、それがなかったら死んでしまう!」
「死ねばよろしいでしょう」
すぱっと言い切る私に、情けない顔を向ける父。
「愚王と評判になるより前に、愛妻家として死ぬのがよろしいかと思いますわ、お父様」
「ヒーメア、目が怖い……」
幸いまだこの国および近隣の国では、王様は愛妻家であるという評判に留まっている。
「お父様が愚王となれば当然、止められないお母様は傾国の悪女として、私ともども人民に殺されますけれどそれで宜しければ好きなだけおサボりになればよろしいのよ」
「……仕事、してきます……」
とぼとぼと歩き出す国王の背中を、目をすがめて見ると、私は離宮の玄関口でため息をついた。
なんとか政務に送りはしたが、恐らく保って1週間だろう。また「シンデレラが不足してきた」とか何とか言って、政務をサボって離宮に来るのだ。
毎晩離宮に帰ってくるくせに、何を言っているのかと呆れることこの上ない。
父が渋々執務室の椅子に着くのを確認して、私は執務室の扉を閉めた。ガチャリと鍵をかける。
「ヒ、ヒーメア!?」
「滞っております政務を終えるまで、そこから一歩も出しません」
「ちょっと待ってくれヒーメア! 愛しい娘よ! 生理現象というものが!」
「我慢なさるか諦めるか、好きな方をお選びくださいませ」
「諦めたらパパは人間としていろいろなものを捨ててしまうんだよヒーメア!」
ドンドンと叩く父王を無視して、私は扉の隣に控えている侍従長に鍵を渡すと「仕事を終えるか、泣き声が聞こえたら開けてさしあげて」と満面の笑みで伝えておいた。
長く王家に使えている壮年の侍従長は顔色1つ変えることなく頷いた。
* * * * * * * * * *
「だから私の理想は政略結婚なんです、お母様」
父の来ない離宮は穏やかである。母にベタベタしようとする父を追い払わなくて済むからだ。私は母に紅茶を入れて貰い、まったりと飲みながら恋愛論を語った。
お父様がちゃんと仕事をしている最中は、骨休みが出来るのがありがたい。現在6日目になるため、あとどれくらい保つか分からないが。
「あらあら」
母は微笑む。
「愛とか恋とかは最低限で構いません。とにかくちゃんと仕事をする人であれば。そうでなければ無能で結構ですので私の邪魔をしない人と婚姻を結んでいただきたいです」
私もそろそろお年頃である。けれどこの国に王の子供は私しかいないため、婿をとらねばならない。あれだけベタベタだというのに何故この夫婦は子供が1人だけなのか不思議だが、聞こうという気持ちはこれっぽっちも沸いて出なかった。まさしくどうでもいい。
「ヒーメアは大人ねぇ。私はエドワード様でなければ嫌だわ」
「私はお父様みたいな人は絶対、ええ、心から絶対に嫌ですからね?」
果てしなく強調をしておいた。お父様がいれば多分さめざめと泣いているだろう。今度本人の前でもう一度言っておこうと心に秘めておいた。
「どうかしらねぇ……どうなのかしら?」
母は首をかしげている。どうと言われても、私に権限のないことなので聞かれても困る。
「今度、伝えておくわね」
彼女は少女のように微笑む。金色の綺麗な髪の毛がふわっと揺れて、母の花のような可憐な笑顔を彩る。お母様は本当に、40歳近くなった今でも可愛いと言われる気持ちがよく分かる。こんな無邪気な笑顔をしてみたいと思うが、きっと私には無理に違いない。
私は母に近寄ると、そっと母の肩に頭を乗せた。
「あらあら」と母は私の頭を撫でてくれる。小さな笑みが零れた。
全く、本当にお父様ったら仕方ない人。あなたが仕事をしているときしか、私はお母様に甘えられないと言うのに!
* * * * * * * * * *
そんなわが国に国王から唯一無二の存在として、爵位を賜った人がいる。
母シンデレラを手助けした魔女である。
彼女は美しく気高くそして強かった。物心つく前から何度も会っているが、魔女の見た目は面白いことにコロコロ変わる。あるときは老婆、あるときは美しいお姉さん、またあるときは幼い子供にすらなる。さすがカボチャを馬車にする魔女である。その力は限りない。そして性格も限りない。爵位を賜りながら当然のようにこの国にはいない。あの人は自由人なので仕方がないのよ、と母は笑っていた。
侍従長から彼女が来たと連絡を受けて、私は応接室に向かった。魔女と会うのも久しぶりではあるが、彼女は前と同じように美しいお姉さんの状態だった。
魔女は私を満足そうに見ると声をかけた。
「幸せそうでなにより。そして大きくなったね、ヒーメア」
幸せの定義にいささか疑問はあったが、私は頷いて礼をした。この人は好きだ。なぜって、仕事をちゃんとする人だからだ!
「魔女様、茨の魔境の駆除をお手伝い頂けるとのこと、大変ありがたいですわ」
母シンデレラと魔女は、心から信頼で結ばれている。それ故に時々この国の様子を見に来てくれるし、時には常人には出来ない仕事を手伝ってくれる。
「ああ、ヒーメア。悪いが今回手伝うのは私じゃないんだ。おいで、トリス」
驚いて少し目を丸くした。茨の魔境は我が国の端にある。私が小さい頃は何度かその辺りに行った覚えがあるが、最近はその魔境を広げている。今まで何度も駆除しようとして、一個中隊が向かってもどうにもならなかった。茨は魔法をかけられたかのように動き、戦い、磁場を狂わせ人を追い払ってしまうのである。魔女でもなければどうにもできないその危険な場所の駆除を、一体誰が手伝うというのであろうか。
すると魔女の後ろからふわりと黒衣を翻した青年が現れた。年の頃は二十を超えているだろうか。魔女そっくりの銀色の美しい髪の毛と、蒼い瞳が印象的な青年は人懐こい笑みを浮かべると私に跪いた。あまりの綺麗な顔に声もでない。お母様も魔女も美しかったけれど、同じくらい整った顔立ちの男の人をお父様以外で初めて見た。
「魔女の息子トリステンです。どうぞトリスと呼んでください、ヒーメア様」
優しい微笑みを零すと、私の手を取って口付けた。はっとして私は微笑みを返すとドレスの裾を少し上げて挨拶をした。
「エドワードの娘、ヒーメアです。お会いできて光栄ですわ、トリス様」
魔女に息子がいたなんて聞いたこともなかった。不審そうな声が出そうになったが、呑み込んでにっこりと笑う。いや、魔女だもの。たとえ昨日産んだ子供が今日二十を超えたとしてもまったく不思議ではない。この人のやることは規格外なのだ。考えるだけ無駄である。
「ヒーメア、隠し子生んでたのこの人、みたいな目はやめなさい」
クククと笑うと魔女は手に持った杖をくるりと回した。
「まあ隠し子といえば隠し子さね。アタシを超える魔力の持ち主だ。帝王学もしっかり学ばせたし、性格もアタシよりは悪くない」
性格に関しては魔女と比べるのが何か間違っていると思う。
「そんな訳で茨の魔境はコイツが手伝う。あげるから好きに使っておくれヒーメア」
私は跪いたままのトリステンを見ると、彼は蒼い瞳を輝かせてじっとこちらを見ていた。何だろう、既視感。こんな蒼くて綺麗な瞳、みたことないはずなのだけど。
「恐縮ですわ、魔女様。お手伝いいただけるとは、ありがたいです、トリス様」
「トリスで結構です、ヒーメア様」
初対面でさすがに呼び捨てには出来ない。しかも魔女の秘蔵っ子らしい。あの魔女よりも魔力があるとか、どれだけの潜在能力を秘めているのか想像もつかない。もしかして片手でこの国つぶせるんじゃなかろうか。
「トリス様がヒーメア様とお呼び下さってるのに、呼び捨てなんてとても出来ません」
くすりと笑って、だから無理ですよと続けようとすると彼は目を細めた。
「では僕が変えましょう。トリスと呼んでください、ヒーメア」
あれ、そう言う話だったっけ?
困ってちらりと魔女を見ると、彼女はまたクククと笑った。どちらかというと悪い魔女の笑みである。
「そう呼んでおあげ、ヒーメア。シンデレラみたいにエドワード様と言い続ける人もいるけど、トリスはどっちかというと妻からは名前で呼び捨てられたいほうだからねぇ」
「母さん!」
「はい?」
誰が妻からどう呼ばれようが、それは好きにしろと言いたいが何故ここでそんな話が出るのかよく分からない。魔女の言葉を制止するトリスを見るが、彼は恥ずかしそうに首を振った。
「あげるって言ったろ、ヒーメア」
クククと魔女は嗤う。
「それはもうアンタのもんだ」
そう一言だけ言い残して、魔女は杖をくるりと回すと、その場から消え去った。
……ええと?
正直意味がわからない。言葉だけから読み取ると、犬猫のようにポーイと魔女が息子を私にくれたということだ。うん、全く意味がわからない。
魔女からあっさりと物扱いされた魔女の息子は立ち上がると固まったままの私に話しかけてきた。
「ヒーメア、母の言うことはあまり気にしないで下さい」
その頬は少し赤くなっている。もう、本当にあの人は自分勝手なんだから、と呟く彼に私は同情の目を向けた。お互い親には苦労しますね、ええ。
「まあ、魔女様ですものね……よく分からないけれど、とりあえずトリス様……トリスも気になさらないで」
あの人のすることは気にするだけ無駄である。分かるべき事を分かっていればいい。今はただ、茨の駆除をこの人が手伝ってくれると言うことと、この人は魔女より力が強いらしいということと、トリス様と呼ぶとちょっと悲しそうな顔をするということである。
魔女は自分勝手ではあるが嘘はつかない。トリスが強いというのならば本当に強いのだろう。
「茨の魔境については、あなたにお願いしてもよろしいのかしら、トリス」
彼は笑って頷いた。さらりと銀の髪が揺れて、頬にかかる。
「喜んで、ヒーメア」
そうして私、シンデレラの娘は魔女の息子と出会ったのであった。
* * * * * * * * * *
……さすが、規格外の息子は規格外だなぁ。
翌日、私は報告を受けてそう思った。
一週間の予定で組んであった魔境調査、探索、駆除が昨日のうちに終わったらしい。あれ、魔境って確かかなり広い上に磁場が狂っていて、戻れない人も何人も出るって話だったよね?
それがこの人は昨日のうちに調査を終えて、魔境のど真ん中に大きな穴を開けて、茨の魔術の中心である核を破壊してきたらしい。数週間もすれば大部分の茨は枯れるでしょうとのことだ。
茨がはびこった原因はどうも魔境の真ん中の屋敷にいた美しい姫を守るためだそうだ。
「昔あの地は隣の国の領地でした。恐らく15代前のシフィン王の頃だと思います。そのときに魔法で一族全ての人間が眠らされた事件がありましたが、その頃から眠り続けているようです」
「そのお姫様はどちらに?」
「今はそのまま中心に置いてあります。隣国の王が望むのであれば屋敷ごとあちらにお返ししてもいいですし、この国で保護するのでも、姫を起こすのでもヒーメアの指示通りに」
彼は疲れた様子もなく、笑みを浮かべて入り口に立っている。私は応接間で報告書を読み終わると、ふと尋ねてみた。
「トリスはどうすればいいと思います?」
「そのままそこに置いて構わないと思います」
彼の意見は私と全く一緒であった。
「15代も前であれば隣国も既に子孫がいるかも分かりませんし、今更言われても困るでしょう。あの茨は守る力が暴走したようですが、いずれ姫にとっての王子が来れば自ら道をあけます。今後は館周り以外には広がらぬように魔法をかけておきますので、放置で問題ないと思います」
私は頷いた。拡張し続ける磁場の狂った魔境が問題なのであって、広がらないのであれば支障ない。中に姫がいたとは初耳ではあるが、この世界には眠り続ける姫も、塔に閉じ込められた髪の長い娘も珍しくはない。そこに魔女が絡んでいるのであればなおさらだ。必ずいずれ幸せになるらしいので、放っておくのが吉である。
「まあ、いずれ王子様がいらっしゃるでしょうし、そのままでよろしいでしょうね」
起きたら王子様から領地の税金を取ろうと金勘定を頭の中でしながら私は報告書を置くと、トリスに笑いかける。
「お父様に決裁を貰いにいきますので、少々お待ちになってくださいな」
こんなにさくさくと仕事が終わるとやはり嬉しい。さて、次の懸念事項であるネズミを媒介にした病気の対処と、ああ即位記念式の準備もまだだったかしら。お父様が叩き台だけでも出してくれると嬉しいのだけど……無理か。
トリスは控えめに言った。
「ご一緒しても宜しいですか? 昨日ご挨拶しようとしたのですが、執務室に籠もりきりだったそうで、まだお会いできていないのです」
「ああ、そういえばそうでしたわね」
私は微笑んで先導した。ここ数日は夜も離宮に来なかった。ふふん、少しは懲りたでしょう。お父様だって仕事が出来ない訳じゃない。サボり癖さえ引っ込めればちゃんとした国主になるだろうに。
そう思って侍従長から鍵を受け取って執務室に向かうと、中は空っぽであった。
ピキ、とこめかみの辺りが引きつるのを感じたが、黙って離宮へと走った。私の怒りの表情を見てか、トリスは黙って付いてくる。
離宮の扉を開けて、いつも母が紅茶を入れる部屋の前でノックをする。
「お父様、いい加減椅子に縛り付けますわよ!」
叫ぶ声に返事はない。不審に思いながらも扉を開くと、そこには誰もいなかった。
あれ? いつもならここにいるはずなのに。
通りがかった侍女に父の行方を聞くと、彼女はトリスに目を奪われながらも「存じ上げません」と赤い頬をして首を振った。この離宮では父を庇う人が居るはずもないため、事実だろう。
しかしここ以外にどこに行くことがあるのだろうか。母が居る場所、そこが父の居る場所である。
あれ?
「じゃあお母様はどちらに?」
「いらっしゃらないのですか?」
侍女も不思議そうに聞き返す。母はこの部屋にほぼ毎日いる。他にあり得るとしたら庭だが、既に通ってきた道なので当然いなかった。母の部屋には夜以外まずいないのだが、念のため確認して貰ったがやはり居なかった。
不思議に思って執務室に戻るも、その椅子には誰も座っていない。
侍従長に尋ねると「本日王様が執務室に入ってから鍵を開けておりません」との答えだった。
消えた? 父が? 鍵の掛かった室内から!?
よもや何かのミステリーか、あるいは誘拐などの犯罪なのだろうか。父はともかく、母が心配で私は口元に手を当てて考え込んだ。
「ヒーメア、机の上に何かあります」
トリスが指すものを見ると、机には沢山の書類の上に一枚、走り書きのような何かがある。まさか脅迫状!? 慌てて近寄ってそれを手に取ると、上から目を走らせた。
「……」
読み進めるごとに段々と目が座ってくる。
『やあ、ヒーメア! パパだよ! この数日間、パパはシンデレラにもヒーメアにも会えずに寂しくて泣きそうだった。でも頑張ってお仕事したよ! そんなパパにご褒美をください。ちょっとママと旅行に行ってきます。お土産買ってくるから、お願いだからあんまり怒らないでね愛しい娘ヒーメアへ』
ぐしゃ、と手の中の手紙を握りつぶすと、口からありとあらゆる呪詛が漏れるのを止めることは出来なかった。あの馬鹿親父は、ついに逃亡に走りやがった。
仕事量としてはまずまずこなし終えているが、書類の決裁と式典の準備と、諸国への案内状と、ああもう、まだまだすることは沢山あるのに!
「子供でも宿題を終えてから遊びに出かけるのよ! このボンクラ!!」
私の怒りの叫びは、執務室に響いた。
……あ!
はっとして隣のトリスを振り向くと、目を丸くして私を見ている。あまりに自然に傍にいたから、いることを忘れてしまった。散々執務室から離宮へと引っ張り回した上に、ありとあらゆる呪詛とボンクラ呼ばわりを聞かれてしまった。
恥ずかしい。こんな無様な姿を他人に見せたことないというのに!
瞬時に私の頬に血がのぼる。恐らく真っ赤になっているだろうことは想像に難くない。
「トリス、あの、ごめんなさい、今の、忘れて……いただけると……!」
そんな私にトリスは、眉根を寄せてぎゅっと目を瞑ると、顔を横に向けた。
なんて失礼なことをしてしまったのだ、私は! 顔も会わせたくなくなるほどに、魔女の息子は私を見限ったに違いない。上った血が引くような感覚に、心臓がばくばくと跳ねる。
「……こんな可愛い姿を目の前にして押しちゃいけないとか、生殺しにも程がある……」
ぽつりと呟いたトリスの声は途切れ途切れにしか聞こえなかったが、その声は何かを堪えるかのようにのように苦しそうだった。
「本当にごめんなさい……」
「! 違う、ヒーメア!」
この悲しみは全てお父様で晴らそうと心の中でありとあらゆる罵声を浴びせながらも、再度謝る私に彼は、ぱっと目を合わせて首を振った。
「あなたに怒っている訳じゃないんです、その、男に対する世の中の不条理に怒りが沸いただけなんです!」
「わざわざ仕事を手伝って頂いたというのに、振り回したあげく国王もいない、しかも見苦しい言葉を聞かせてしまうなんて、本当に」
「違います! 僕はやっと会えて手伝えるのが嬉しくて、折角あなたが立ててくれた計画を無視して1日で終えてしまった自分自身にも呆れてるくらいです! 次は絶対失敗しませんからまた手伝わせてください!」
必死で言いつのるトリスの優しさに、涙が出そうだった。ここまで気を遣ってくれるなんて……あの魔女の息子とは思えない。あの方もこの十分の一くらいでいいから気を遣ってくれれば……いや、想像もつかないからいいか。
私は改めて深々と謝罪する。
「お恥ずかしい所を見せてしまいました、トリス。お気遣いありがとうございます」
トリスは首を横に振ると、綺麗な蒼い眼で私をじっと覗き込んだ。
「気なんて使ってません……そんな余裕もないです。僕は本当に、あなたの手伝いをしたいんです」
その声は真剣で、何一つ嘘がないんだと示そうとしてか、彼の目は私から外れない。吸い込まれるのではないかと思うほどに、綺麗な蒼。収まったはずの心臓が、何故かまた煩い。
「僕に悪いと思うのであれば1つお願いを聞いてくれませんか」
「……私に出来ることであれば、どんなことでも」
先ほどの醜態を忘れてくれるのであれば、この国の王をぶん殴るくらい喜んでするだろう。いやそれは私の望みだった。
「王が帰るまであなたの仕事を手伝ってもいいですか?」
「そんな、とんでもない!」
それはお願いではない。強制労働だ。お父様に二度と帰ってくるなと言ってしまいたいぐらい、私にメリットしかない話である。
ぶんぶんと首を振る私に、彼は苦笑を返す。
「昨日の母の台詞を覚えてらっしゃいますか?」
「魔女様の……?」
「差し上げると言ったアレです。母は恐らく本気です。僕は多分もう帰る家がありません」
「ええっ!?」
あの人の本気はいつでも感じ取れるが、それはさすがに酷い。でも魔女だからそれくらいしても全然不思議ではない。
「茨の魔境の近くに住んでいた屋敷があったのですが、昨日ついでに見てみたら綺麗さっぱり無くなっていました」
「そんな、魔女様! 酷いじゃないですか! いきなりあげるとか屋敷を消すとか本人の承諾もなしに!」
「あげるのはまあ、僕の望みでもありますので問題ないのですが、住む場所がありません」
「そんなの、私に任せてください! トリス!」
いつの世も親というのは勝手なものである。父に腹を立てていた私は大変この青年に同情した。
そして心から誓ったのだ。お互いに理不尽な親に負けずに生きる心の友としてありたいと。
「ずっとここにいて下さって構わないですわ! 私は絶対にあなたを見放しませんからね!」
そう言った台詞に何の誇張も偽りもなかった。しかしその視線の先の魔女の息子は蕩けるような嬉しそうな笑みを見せる。腰が砕けるかと思った。いきなりそれは反則である。美形は笑う前に報告をしてほしい。心の準備が必要だ。
「嬉しいです……ヒーメア。では言葉通りに、ずっとあなたの傍にいますから」
いやここって、あの、王宮って意味であの。
ぱくぱくと金魚のように言葉が出ない私に対して、彼はハッとした顔をしてその笑みを苦笑に変えた。
「すみません……ああもう、嬉しくて中々自分を抑えられなくて。正直……夢のようです」
エドワード王のような押しの強いアプローチは嫌いだと聞かされていたんですけど、と、はにかむ彼の言葉は私の脳には入ってこなかった。
美形の笑顔にはお母様とお父様で慣れたはずなのに、まっすぐに自分だけに向けられるとさすがに思考が停止するという初体験だった。
あ、魔女の笑みは怪しいので綺麗だけど全然嬉しくない。
「いえ、その、ええと、その」
とりあえず頭が回り始めるまでよく分からない言葉を発しながら、なんとか心を落ち着けた。今すべきことはまず政務。そしてお父様に「今すぐ帰るか、二度と帰ってくるな」と手紙を出すことだわ。恐らく半泣きで二週間後くらいに帰ってくるだろう。
しかしやはり仕事量は半端無い。半分くらいならいつも通りに自分でほぼ出来るのだが、難題やら魔物やら長期移動のものもある。おずおずと隣で微笑む魔女の息子に尋ねた。
「手伝って頂いても、よろしいのかしら? トリス」
「喜んで!」
全力で頷く彼を見て、私はホッと微笑んだ。
そんな私を見て彼も笑う。……あれ?
なんだかどこかでその笑顔を見たことがあるような気がした。
* * * * * * * * * *
茨の魔境近い、魔女の屋敷には大人と子供の笑い声が響いていた。
「ヒーメア、将来どんな人と結婚したい?」
「仕事をしっかりしてくれる人」
母の質問に、きっぱりと言う幼いヒーメア。
「ヒーメアは前にパパと結婚するって言ってたぞ!」
「パパなんてもう嫌。大臣さんが泣いてたもん」
べーっと舌を出すヒーメアにエドワード王は涙を流す。
「ヒーメアがパパはお仕事ばっかりで嫌いって言うから、仕事やめてべったりシンデレラとヒーメアの傍にいるのにいいい!」
クククと魔女は嗤った。
「そうしたら仕事が嫌になってしまったんだろう?」
「うん」
悪びれないエドワードは頷く。シンデレラは「あらあら」と微笑んだ。
ヒーメアの隣で本を読んでいた少年は眉を上げる。
「僕と結婚してくれるって言ってたよ? ね、ヒーメア」
娘より少し大きい少年の言葉にエドワードは噛みついた。
「ヒーメアが欲しかったら俺を倒さないと許さんからな!!」
「本気で倒しにかかるから、やめときなエドワード」
魔女がクククと制止する。
「ここが更地になるよ」
少年は立ち上がりかけた腰を下ろして、隣の少女を見る。
「ヒーメアはどうなの?」
「トリスのことは好きなんだけど」
困った顔をする少女。
「王子様って、大人になったら迎えに来るんでしょう? もう出会っちゃってるのはどうするの?」
彼女はいろいろな絵本を読むのが大好きだった。真剣に心配しているのだ。
「じゃあ、大人になったら迎えに行く!」
少女は首を傾げると、トリスをさらに困らせる。
「普通、王子様とは初めて出会うんじゃないの?」
「……じゃあそこで初めて出会えばいいよ!」
子供の戯言を真剣に話し合う2人に、大人は目を細めて見守っている。エドワード以外は。
「あらあら、ヒーメアったら可愛いわぁ」
「トリスはヒーメアが大好きみたいだねぇ」
ぶつぶつと拗ねている父親を無視して母親同士は話し合う。
「こりゃあ大きくなったら結婚させるとかいう、約束でもしとくかい?」
「ヒーメア次第かしらねぇ」
シンデレラは微笑んだ。
「私みたいに愛する人と結ばれるのが一番ですもの」
「シンデレラああああ!」
がしっと抱きついてくるエドワードを、「あらあら」と頭を撫でるシンデレラ。鬱陶しいとばかりにエドワードを冷たい目で睨む魔女。
「じゃあ大人になったらお膳立てでもしようかねぇ」
「でもヒーメアの理想の王子様も面白いわね。仕事が出来る人ですって?」
「仕事って言われても、発揮する機会がないと困るかね」
ちらりと魔女はエドワードを見る。
「アンタが居なくなればいいか」
「ちょっと待って!! 魔女の台詞だとこの世から居なくなる気がするからやめてくれ!」
「あらあら、エドワード様が居なくなるのは嫌ですわ」
怯えてシンデレラの影に隠れるエドワードを優しく見る妻。魔女は肩をすくめると
「じゃあ仕方ない。トリスが大人になったらアンタはシンデレラと旅行にでも行って貰おうか」
「それなら全力で楽しんでおこう!」
満面の笑みを向けて頷くエドワードは、帰ってきた後どれほど娘に罵倒されるかを全く考えていなかった。
少女は首を傾げて隣の少年に尋ねる。
「もう出会ってるのに、初めて出会うことはできるのかしら?」
「……頑張る! だって僕、魔女の息子だし」
ヒーメアはくすりと笑うと、頷いた。
「じゃあ、そうしてね。私もトリスと結婚したいもの」
トリスは頬を赤くすると、ヒーメアの両手をぎゅっと握った。
「いいよ、約束だからね! 僕と結婚してね!」
「うん、トリス」
少年は満面の笑みを見せた。その笑みをヒーメアは嬉しそうに見る。
そんな、昔々のお話でした。