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その魔女には、謎より恋が難しい  作者: 有沢楓花


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第1話 “半分エルフ”の魔女と謎解きの始まり


「いいかいグレーテ。魔法を成功させる何よりの秘訣はね、想像力だよ」


 視界の端に、真っ二つに折れた杖が映る。

 何百回となく聞かされた女性の声が脳裏に響き、グレートヒェンは、その何歳だかも知れない老成したエルフに心の中で言い返した。


 ――無理です、お師匠様。


 心臓はさっきからバクバクと激しい音を立てていて、外に聞こえるかと思うくらいだった。

 いつもなら飛んでくるだろう叱咤すらも、遠い昔のように懐かしい。

 今、茶色いブーツの足元を濡らしているのは血だまりで、流れを辿った先にある名も知らぬ男の厚い肩の上には、引きつった口元が乗っていた。背を向けたまま、頭部があらぬ方向にねじくれているのだ。


 確かに昔、大陸中を旅していたという師匠にならなんてことのない光景だろう。

 けれど故郷の森を出てから、ずっと王都で過ごしてきたグレーテにとっては決して見慣れることのないもの。


 ――お師匠様、こんなの初めてです。


 泣き言をつい言いたくなる。血の臭いを和らげてくれる、自身に染み付いた薬草の匂いが示すように、病気に火傷、怪我ならいくらでも見てきた。暴動だって。

 けれど、ここにあったのは明確な悪意と、人の死の軽さだった。


 それがこんな都会の大通りを一、二枚(めく)った場所に存在する、すぐ近くまで入り込んでいたという事実にこみ上げるものがあって――グレーテはえづきそうになるのを必死でこらえた。

 まだ、音を立ててはいけない。

 積み上げられた木箱の向こうに、歩き回る微かな足音がする。

 グレーテの、肩口で切った亜麻色の髪から飛び出ている傷跡のある耳。それは、敵の動きを確かに捉えている。

 彼女は道ならぬ恋の結果を押し付けた父親に、初めて感謝した。


 チャンスは少ない。

 杖を持たない魔法使いは、ろくな魔法が使えない。頼れるのは何度も練習に魔法を描いた指先――そして思考だけ。

 静かに後ずさった踵に、こつりと軽く、一見高価そうな額縁が当たった。

 見やればそこには、灰にまみれた床には似つかわしくない、眠る美しい女性の姿が描かれている。広がる金髪に落ちた両腕。薔薇の頬には赤み。彼女は自分よりも無力で、それでもまだ“生きて”いる。

 ごくりと唾を飲み込む。


 ――あなたは私が守るから。


 そう思って、似たようなことをつい昼間、あのお人好しの騎士に言われたなと思い出した。

 絵画の女性に咄嗟に泥を塗り付けると、指先に力を込めて、グレーテは深い青の瞳を闇に据えた。


***


「俺はこう証言した――大通りにいた犯人は黒い服を着てたって。だけど隣の奴は、絶対に白い服を着てたって言い張ったんだ。時間は真っ昼間、そうそう見間違えるはずがない。

 さあ魔女の嬢ちゃんにはその理由と、犯人が着てた本当の服の色が分かるか?」

「部屋の中から目撃したんですよね? なら窓越し……そう、窓には鉄格子が嵌っていたんじゃないですか?」

「……当たりだ」

「犯人の服は白黒の縦縞ですね。2人の立ち位置がずれてたから、縦縞服のどちらかの色が見えた」

「正解、なかなかやるね」

「お師匠様と皆さんのおかげで」


 雨の日は客足が遠のく。

 王都外れの薬品店<ほとんど森>の雇われ店員で“半分エルフ”のグレートヒェンこと魔女グレーテは、小さく笑った。

 床を拭き終えて常連客の老人が座る小さなテーブルに温かい薬草茶を淹れながら、後片付けをしながら、暇つぶしの会話に付き合っていた。

 一通りの仕込みや仕事は終わっている。合間に薬の調合の勉強でもしてな、なんて叱咤する可能性がある店主は上階で二度寝の夢の中。おしゃべりは許容範囲で、時折疼く耳の古傷を紛らわせてくれる。


 そうしていると王城と教会から13時を告げる、くぐもったふたつの鐘の音が遠くで絡み合い――急に音が近くなったかと思えば、カラン、とドアに付けたベルが鮮やかな音を立てた。


 グレーテが出来立ての皿を常連客の前に置いたのは、それと同時だった。

 新たな客の姿を認めると、慌ててタオルを取って近寄る。折から降り始めた雨の後始末を同時進行でしていた彼女の予想通り、その常連客は頭から濡れていた。


「あ……騎士様じゃないですか」


 ただ予想と違ったのは、常連客ではあっても、差し出した位置が思ったより低くなってしまったこと。

 雲に隠れた陽光をそのまま持ってきたような金髪の青年は、気にした風もなく礼を言ってタオルを取ると、濡れ髪をグレーテよりよほど上品な仕草で拭って、顔を上げた。

 高い空の色をした青い瞳が、グレーテに笑いかける。


「こんにちは、グレーテさん。誰かと間違えましたか」

「こんにちは、フィールド様。……だってほら、いつもは野鼠通りのお爺さんが来る時間でしたから」


 どんより曇り空じみた“半分エルフ”の魔女グレートヒェン・ネーベルの、その愛称を呼ぶ変わり者の青年――エリック・フィールドは騎士服のジャケットを脱ぐと、手近な椅子にかけた。

 というより、小さな薬品店のこと。カウンターの客側はもとより狭く、端に無理やり置いたテーブルは2つしかないのだ。

 それが埋まってしまうと、隣のテーブルで薬草茶をすすっていた老人が首を回した。


「いらっしゃい、騎士の坊っちゃん。その様子じゃ昼食には来なかったんだろう? この時間に珍しいな」

「ベンさんは雨宿りですか」

「めっきり腰が悪くなってねえ。治療院に行きたいんだが――ほら、そこ行った先の大橋、ひと月前から壊れたままじゃないか。遠回りついでの休憩だよ」


 王都を走る幾つかの川。対岸の専門店街への近道となる古い石橋は老朽化していて、先日の大雨で壊れて以来、そのままになっている。


「ここには腰や膝の薬も、ちょっとした料理も、温風もある」


 彼はグレーテの、カウンター内に立て掛けられた、身長ほどある木の杖をちらりと見た。彼女の魔法――主としては自然現象を起こす技術だ。


「それに誰かしら持ち込む悩み事もな」

「そういうわけで、ここ最近はご近所さんの休憩所になる時間が多くて」


 グレーテが目で示した店の隅。薬草が吊り下げられた窓際の端にロープが張られ、魔法で半分乾かされた服が掛っていた。食事が終わる頃には着ていけるだろう。

 雨が止まなければ、すぐ側の壁にある雨具か、雨除けの薬を振りかけていく手もある――勿論、どちらも売り物だ。


「遅い昼食だって言うなら、メニューの試食もついでにお願いできないかい、坊ちゃん」


 今度はカウンターの向こうの扉から低い声がして、白いコック服を着た中年男性が顔を出す。

 灰色の髪の間から飛び出た獣耳に無精ひげ。騎士にしてはやや細いエリックより二回りは大きい体躯は、狼獣人という理由だけでなく、元傭兵だからだろう。


「イェハルドさんまで。みんなして僕を坊っちゃんというのは止めてくださいよ」


 エリックは横目でグレーテを一瞥してから、恥ずかしそうに頭をかいた。


「といっても、君が一番年下だからねえ」

「今年幾つになるんだったか」

「23です」

「じゃあグレーテちゃんの半分くらいだ」

「……それはともかく、一番年上の店主、魔女タウラ様はおいでですか」


 表情を改めるエリックにグレーテはおや、と思いつつ答える。


「お師匠様は、例によって昼寝中です」

「普段はもう起きてらっしゃる時間では」

「ここ最近の雨で、あちこち痛むとかで。……フィールド様は雨宿りというご理由ではなさそうですね。食事でなければお使いですか?」


 グレーテは、カウンター奥の薬棚に向き直った。ハーブだの調合した薬だのが入った沢山の引き出しと、骨や鉱石が置かれた棚、それに作業台で壁一面が埋まっている。

 

「いつもの薬なら予備がありますよ。風邪薬、怪我の軟膏に化膿止め……」

「……いえ、事件なんです。ちょうどそこの橋の話が出てましたが……」


 グレーテは、目を椅子にかかったままの隊服に向けた。黒に金ラインの実用的な素材のそれは、街の治安維持を担当する聖遺物騎士団の隊員のものだ。


「両岸の持ち主が揉めてて直らないって噂の?」


 ベンが何か言いたげに口を挟めば、エリックは頷く。

 グレーテは部外者に聞かせて良いのかとも思うが、言ってはならないことを軽々しく話すようなエリックと、分別の付かない老人ではない。


「きっとすぐ、もう一つ噂が加わるでしょうから話しますが……その両岸の片方、橋の共同所有者であるバレ家の嫡男が失踪しました」

「失踪って、任務中の出奔とか、家出でなく……?」

「失踪した騎士ユベールは、魔物討伐を任とする第三騎士団の花形です。そんな不名誉なことはしないでしょう」

「では、厄介な謎なのでしょうか」


 グレーテは、この店が“魔女の”薬店であることをよくよく知っている。

 <ほとんど森>に持ち込まれる心身不良の原因は、怪我に病気に不眠にその原因。腰痛・腹痛、猫の恋バナに失くしもの。

 解決のお手伝いは多くは薬だが、時に占いやアドバイス。そして――魔法と、魔女の謎解きだ。

 エリックが求めているものに気付けば、グレーテの、エルフの半分ぶん尖った耳がぴくりと動いた。


「――正確には目の前で消失したそうなんです。練習中に、数人の目の前で」

「……消失」

「ええ、忽然と。騎士団対抗の馬上槍試合の練習を部下としている時に――撃ち合ったまさにその時に」

「それが何故フィールドさんが担当されていらっしゃるのですか?」


 第三騎士団うちうちの処理でなく、市民の治安維持組織であるところの彼が出る、ということは、騎士団では手に負えない事態か、手放したか、或いは、


「……他の事件との関連性を疑われています」


 エリックの珍しい嘆息は雨音に溶ける。

 悩ましげに腰を下ろし考え込む常連客に、グレーテは引き出しから手際良くハーブを選んでキッチンに入る。

 戻ってきた時、その手には湯気を立てるポットがあった。


「お茶の間に、詳しくお聞きしましょう」

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