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魔王城の経理担当、今期の赤字をなんとかする

作者: 伊田木 鈴
掲載日:2026/04/03

魔王軍の今期の赤字、三千万ゴルド。

勇者との最終決戦を前に、魔王城は財政破綻の危機にある。

俺——元公認会計士の経理担当——は、今日も帳簿と格闘している。


「マルテ殿、お茶をお持ちしました」


給仕のゴブリンが湯気の立つカップを置いていく。ありがたいが、このお茶の茶葉代も経費だ。一杯あたり〇・三ゴルド。年間で約百十ゴルド。削れなくはないが、士気に関わる。保留。


俺がこの城に来て三年になる。


もともとは人間界で中堅の監査法人に勤めていた。繁忙期に終電を逃し、公園のベンチで仮眠を取っていたところを魔王軍の斥候に拉致された。目が覚めたら魔王の玉座の前で、「お前が会計士か。うちの帳簿を見ろ」と言われた。


断る選択肢は、なかった。


とはいえ待遇は悪くない。個室をもらい、三食付き、残業は日没まで。人間界より労働環境がいい。それが逆に恐ろしい。


問題は、この城の財政状況が壊滅的だということだ。


魔法帳簿——この世界特有の会計ツールで、記帳すると数字が自動集計される優れもの——を開く。今期の損益計算書が宙に浮かぶ。


収入の部。人間界からの略奪収益、魔石採掘、ダンジョン運営手数料。合計一億二千万ゴルド。悪くない。


支出の部。


ここが地獄だ。


人件費、四千万ゴルド。魔獣飼育費、二千五百万ゴルド。武器・防具費、三千万ゴルド。暗黒魔法研究費、一千八百万ゴルド。施設維持費、一千二百万ゴルド。その他雑費、二千五百万ゴルド。


合計、一億五千万ゴルド。


差し引き、マイナス三千万ゴルド。


「……はあ」


ため息が出る。去年も赤字、一昨年も赤字。内部留保を食いつぶしてここまで来たが、このままでは来期には資金がショートする。勇者に倒される前に破産する魔王軍。史上初の珍事だ。


朝の定例報告で、魔王にこの数字を見せた。


魔王——六本の角を持つ、三メートルの巨躯。玉座に座ると天井に角がつかえる。見た目は恐ろしいが、報告を聞くときの目は真剣で、数字を読む速度は俺より速い。


「三千万の赤字か」

「はい。このままでは来期中に資金が尽きます」

「原因は」

「各部門の経費が野放しです。予算管理の仕組みがありません」


魔王は腕を組んだ。沈黙が長い。こういうとき、この上司は怒鳴らない。考えている。


「黒字にしろ」


一言だけ言って、玉座の間を出ていった。


権限をもらった、と解釈する。各部門の経費監査を始める。





最初に乗り込んだのは勇者迎撃部門だ。


部門長はリザードマンのガルドス将軍。鱗が赤く、気性も赤い。執務室に入った瞬間、机を叩かれた。


「経理ごときが何の用だ!」


「今期の武器購入費について確認させてください」


帳簿を開く。勇者迎撃部門の武器費、八千万ゴルドのうち実に六割がこの部門だ。


「先月、ミスリル製の大剣を五十本発注されていますね」

「当然だ。勇者を迎え撃つのだぞ」

「一本あたり十二万ゴルド。しかし実戦での使用記録を見ると、勇者との交戦で破損した大剣は月平均三本です。五十本は過剰在庫では?」

「予備は必要だ!」

「では月産五本に減らし、在庫が十本を切ったら追加発注、という形ではいかがでしょう」


ガルドス将軍の目が据わる。


「貴様、前線を知らんから——」

「前線を知らないからこそ、数字だけを見ます。感情ではなく」


しばらく睨み合いがあった。最終的に将軍は舌打ちして同意した。年間削減見込み、約四千万ゴルド。大きい。


次は魔獣飼育部門。


部門長はダークエルフのセリア。長い銀髪を揺らしながら、飼育場を案内してくれた。巨大な洞窟にドラゴンが三頭、ワイバーンが十二体。壮観だが、壮観な分だけ金がかかる。


「セリアさん、ドラゴンの餌代について」

「ええ、なにかしら」

「月の餌代が八十万ゴルド。内訳を見ると……『和牛A5ランク、月三十頭』。これは?」

「ドラゴンは舌が肥えているの。安い肉だと食べないわ」


嘘だ。ドラゴンは雑食で、岩でも食う。文献で確認済みだ。


「飼育マニュアルによると、ドラゴンの必要栄養素は鉱物由来のミネラルが主です。魔石の粉末を混ぜた一般飼料で十分かと」

「……あの子たちが可哀想じゃない」

「可哀想でも、予算は有限です」


セリアの目に涙が浮かんだ。泣き落としだ。会計士時代、クライアントの社長に何度もやられた手だ。効かない。


餌代を月三十万ゴルドに削減。年間六百万ゴルドの節約。セリアは三日間、俺と目を合わせなくなった。


最後は暗黒魔法研究部門。


部門長はリッチのモルガス。白骨の顔に青い炎が灯る眼窩。不気味だが、話すと意外に理知的だ。問題は別のところにある。


「モルガスさん、研究費の領収書を拝見したいのですが」

「ああ、それなのだが……」


見せられた帳簿の半分以上に、領収書が添付されていなかった。


「闇の商人から禁呪の触媒を購入しておるのだが、彼らは領収書を出さんのだ」

「では経費として認められません」

「なっ——! しかし研究には不可欠で——」

「領収書がなければ支出の実在性を確認できません。会計の基本です」

「ここは魔王城だぞ! 人間界の常識を持ち込むな!」

「帳簿に人間も魔族もありません。数字は数字です」


モルガスの眼窩の炎が赤く燃え上がった。怒っている。だが俺は引かない。


結局、闇の商人にも簡易的な受領証を発行させることで合意した。出せないなら取引しない。代替の合法ルートを三件、俺のほうで探して提示した。研究費の不明支出が消え、年間約八百万ゴルドの適正化。





監査から二週間。城内での俺の評判は地に落ちた。


食堂のおかずが一品減った。デザートが消えた。「経理のせいだ」という噂が広まり、廊下ですれ違うオークの兵士に舌打ちされるようになった。


構わない。嫌われるのは会計士の宿命だ。数字が正しければ、それでいい。


削減効果を集計する。武器費の適正化で四千万、飼育費で六百万、研究費で八百万。合計五千四百万ゴルド。


三千万の赤字は、帳簿上では二千四百万の黒字に転じる。


——はずだった。


帳簿を最終チェックしているとき、妙な費目に目が止まった。


「極秘費目」。月額百二十万ゴルド。年間一千四百四十万ゴルド。


支出先は空欄。承認者は「城主」——つまり魔王本人。備考欄には一言、「問うな」とだけ記されている。


会計士として、これを見逃すわけにはいかない。


いや、正直に言えば、見逃すこともできた。魔王直轄の費目だ。触れないほうが身のためだろう。だが——三千万の赤字を黒字にしろと言ったのは魔王自身だ。聖域なき改革を求めておいて、自分の支出だけ聖域にするのか。


魔法帳簿には、追跡機能がある。金の流れを遡れるのだ。


俺は極秘費目の資金の行き先を追った。


魔王城の金庫から、匿名の運送業者へ。運送業者から、国境付近の中継地点へ。中継地点から——


人間界の村落。


それも一つではない。魔王軍の侵攻で被害を受けた七つの村に、毎月均等に分配されていた。


食糧、建材、薬品。匿名の寄付として届けられている。


送り主の記録は残っていない。だが承認者は「城主」。この城に城主は一人しかいない。


俺はしばらく、帳簿の前で動けなかった。





翌朝、定例報告。


玉座の間に入ると、魔王はいつものように腕を組んで座っていた。角が天井にぶつかりそうだ。


「今期の収支見通しを報告します」


帳簿を広げる。削減効果の内訳を淡々と説明し、最後に結論を述べた。


「各部門の経費適正化により、五千四百万ゴルドの削減を達成。今期は九百六十万ゴルドの黒字で着地する見込みです」


魔王が眉を上げた。数字に敏感なこの上司は、すぐに気づいたはずだ。


五千四百万の削減で三千万の赤字を埋めれば、本来は二千四百万の黒字になる。九百六十万との差額、一千四百四十万ゴルド——極秘費目の金額とぴったり一致する。


つまり俺は、極秘費目を維持したまま黒字化した。


「……内訳を見せろ」


帳簿を渡す。魔王の赤い目が数字の列を追う。武器費、飼育費、研究費。一つ一つ確認し、最後のページに辿り着く。


極秘費目。金額はそのまま。備考欄に俺が一行だけ書き足した。


「継続承認済。次期も予算計上」


魔王は帳簿を見つめたまま、しばらく黙っていた。


「……お前」

「はい」

「中身を見たな」

「会計士ですので」


また、沈黙。


玉座の間に差し込む夕日が、魔王の巨躯を赤く染めている。六本の角の影が壁に伸びる。


「誰にも言うなよ」

「帳簿は守秘義務の塊です」


魔王は——小さく、笑った。


あの恐ろしい顔が、ほんの一瞬だけ、ただの疲れた経営者の顔になった。戦争を続けながら、自分が壊したものを自分で直している。誰にも知られないように。帳簿の数字だけが、その矛盾を静かに記録している。


「好きにしろ」


いつもの一言。だが今日は、その声にわずかな温度があった。


「では、来期の予算案を来週までに作成します」

「ああ」


俺は一礼して、玉座の間を出た。





廊下を歩きながら、考える。


魔王がなぜ戦争をしているのか。なぜ人間を攻めるのか。俺にはわからない。政治も戦略も、俺の領分ではない。


だが、帳簿は嘘をつかない。


数字の奥に、この城の本当の姿が見える。武器を買いながら食糧を送る。城を攻めながら村を助ける。矛盾だらけの帳簿は、矛盾だらけの城主の、声にならない独白だ。


世界を動かしているのは、剣を振るう勇者でも、玉座に座る魔王でもない。


帳簿を付ける者だ。


……というのは言い過ぎか。少なくとも、帳簿を付ける者だけが見える景色がある。それで十分だ。


日没のチャイムが鳴る。今日も定時だ。


自室に戻ると、机の上にゴブリンの給仕が淹れたお茶が置いてあった。冷めている。隣に小さなメモ。


「マルテ殿、デザート復活しました。セリア様が飼育予算の余剰分でベリーを育て始めたそうです」


思わず笑った。魔獣飼育部門の予算を削ったら、余った土地でベリーを栽培し始めたらしい。経費削減が新規事業を生む。教科書通りだ。


冷めたお茶を一口飲む。茶葉代、〇・三ゴルド。


経費として、適正。

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